梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

青森・駅前銀座,懐古の夜23時。

思い出の地。 2022.05.24 青森

 


5月25日(水)は,およそ1年半ぶり,そして恐らく最後の弘前出張だった。

当初は有休をとり,出張翌日を散策に充てようと思っていたのだが,ピンポイントで26日の午前に打合せを捻じ込まれてしまった。どうやら自覚以上に,この遠征という「ニンジン」を目標として設定し,期待・依存してしまっていたようで,打合せが決まった時には心の重要な柱がぽっきりと折れてしまったような感覚だった。どのみちオンライン会議なので,ノートPCを背負って散策するという計画も考えてはいたのだが,前週の週末に気管支の症状が悪化してしまい,月曜まで人間生活に支障が出ているほどだったので,大人しく25日のうちに帰京する行程とした。それでも日帰りでは流石に腹立たしく感じられたので,24日の夜に出発し,前泊することにした。

調べてみると,新青森と弘前の東横インはコロナの影響で臨時休業となっていた。療養者を受け入れているという訳でもないらしく,純粋に経営が厳しくならないように,という判断らしい。当たり前が当たり前ではないことを改めて突き付けられ,複雑な気分であった。宿泊価格を据え置きにしてくれる他,過不足の無い設備と対応が大好きで,昔から根っからの東横イン贔屓なので,応援の意味も込めて,営業中の青森駅前に予約を取った。新青森から青森の一駅の乗り換え・移動で到着が20分ほど遅くなるのは少々億劫な気もしたが,他の選択肢を考えるのも面倒だったので即決した。

23時頃,青森駅に降り立つと,東京とは明らかに異なり,空気が緊張していた。5月も下旬だが,まだ東北の春の空気は,関東のように怠惰に弛緩しきってはいない。空気というものは,ピンと張り詰めているに越したことはないと思う。その嗜好と己の心の自罰的な部分に相関があるのかどうかはさておきとして,駅は改良工事が進んでおり,改札を出てからロータリーに至るまで,仮設通路を迂回させられた。外に出ても駅舎の姿はもう見れなくなっていたが,駅前のほうは,決して特徴的な景色ではないのだが不思議と印象に残っているもので,2010年,2014年,2016年の記憶が鮮明に蘇ってきた。

東横インはロータリーの左前,徒歩僅か1分ほどのところにある。チェックインの前に,その足元にある「駅前銀座」を訪れた。

 

駅から遠い側の角の店には数人の客あがり,賑やかな声が聞こえていたが,それ以外はほぼ閉店後のようだった。

 

 

2010年の夏,日没後の龍飛崎からタクシーで津軽今別へ移動し,スーパー白鳥で青森に戻り,札幌行の急行はまなす号に乗車するまでの間,この駅前銀座にある「みちのく母ちゃん食堂」という店で夕食をとった。鉄板で焼くホタテの味,煙と匂い,ほぼ聞き取れないほど強烈な「母ちゃん」が津軽弁で話して下さったことなどが,今でも忘れられない。

 

旅先でその土地の日常を体験し,その土地の人に触れたという点において,特に2010年の下呂・多治見(いずれも現地の方の車に乗せていただいた),そして青森の夜は,かけがえのない「一巡目」の記憶である。買って間もないデジイチと深緑色のガラケーを携え,愛すべき夜行列車で上野駅を発ち,不安と興奮の入り混じった心で旅先の空気と人情に触れた10代の若者にとって,その一連の経験がどれほど尊いものであったか,敢えて語るまでもないだろう。今でも旅先の日常との交錯を追求しそれに心酔しているのは,これらの原体験の作用が大きいのかもしれない。

 

 

 

残念ながら食堂は閉店して久しいが,ここは自分を形成した大切な場所として変わらず在り続ける。これからの旅路の全ての記憶は,12年前を礎にして積層してゆくのである。

 

見慣れたファミマと,少し先にあるローソンをハシゴして,水とアイスと翌朝のパンを調達し,約2年ぶりに東横インにチェックイン。風呂の壁に据え付けられたシャンプー,リンス,石鹸の3点セットが懐かしかった。

ベッドに入り「深夜0時の森」をぼんやり眺め,明日に備えて就眠した。

 

弘前散策その1に続く。

 

 

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