働く。 2020.08.22 筑豊商店街
8月22日。7時すぎに出発して,時間の許す限り北九州市の木造アーケードを巡る。想像以上に良い被写体だった到津市場を,1時間以上かけてゆっくりと堪能した。
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続いては,八幡東区の筑豊商店街へ。 コインパーキングに車を停めて,茶屋町1号線側からお邪魔する。
口が開いている。地元在住の常連客か,狙って見に来た人間以外,この横穴を見つけることは出来ないだろう。
吸い込まれてみると,こちら側に傾いてくる形の看板が並んでいた。空間としては,1980年代のイメージである。
揚げ物屋。せっせと支度を進めていた。或いはこのタイミングで既に購入できたのかもしれない。しかし,あくまでコロナ禍に出張ではるばるやって来た東京の人間は,前をそそくさと通過するのみである。
強烈な陰翳。
奥に進み,振り返る。消失点の明かりが,足元に敷かれた大きなタイルをも光らせる。
働く人のシルエット。
現役店舗はもう殆ど無いのだろうか。80年代の情景ですら,風前の灯火なのだ。
「おいしい漬物」。
突き当たりを抜ける。ブルーの鉄骨アーケードが印象的な大空間に出る。
青果店の若山商店。開店準備中だった。このように商品を外に展開して陳列するスタイルも,もはや希少である。中腰の作業が多くて大変そうだ。
平面形状としては,2本の道が並行に走っていて,それらが終点でこの大空間に突き当たる格好だ。今まで通って来た道に並行して走るもう1本の道の入口には,「筑豊市場」の「中央入口」と書かれている。
かつて中央とうたわれた道に入る。木造の架構が良く残っており,はじめに来た陰翳の道よりも10年,いや20年ほど時代が遡るような印象だ。
消火器と洋裁室。
2階の階高はかなりある。トラスの下弦材の位置が不思議で,壁に突き刺さっている。
この壁の奥,ちょうど写真下部,新しい木の柱梁が見えているあたりは。新築物件が建ち始めていた。嘗ては木造の架構のアーケードが続いていたのだろうか。その姿はもう拝めない。
残念ながら,この部分の架構にも新陳代謝の時が訪れるのも,時間の問題なのかもしれない。
住人の老夫婦が買い物から帰宅してきた。おばあさんはとても優しく話し掛けてくれたのだが,話を聞いていると,同じことがループしはじめてしまった。なるほど…。その後,八百屋のおばさんも,おばあさんの言葉を話半分で聞き流していた。
建物が老いれば,人も老いる。当然のことであるが,それを改めて痛感させられる。
足元には緩やかな勾配が付いている。
前時代の残滓なのだが,この景色は,東京出身の30歳の自分の原風景の一部に確かに共鳴するのだ。尤も,ここまで年季の入った(1950~60年代の)空間を幼少期に見ていたかと聞かれれば定かではないのだが,今でこそ5~60年前の物たちは,自分の幼少期を基準にすると,せいぜい2~30歳で,当時は決して珍しいものではなかった訳だ。こういった物に囲まれて育ったことは間違いないし,そのエッセンスが自分の核に深々と刷り込まれているのだろう。
自分はこうした亜空間の探訪を通じて,自分自身の人生の時間軸を遡上しようと足掻いているのだろう。
とにかくこの架構が美しくて,見上げてばかりいる。
淡い緑色の壁も,華奢なトラスと妻壁の色も,昭和。
小さかったが,とても記憶に残る空間だった。
その5(筑豊商店街・後編)へ続く。
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