梟の島

梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

「ヒーロー」の死。

初めてNBAのテレビ放送を見たのは小学校2年生だっただろうか。まだ当時は高井戸に住んでいた。BSとケーブルテレビでの試合の放送は,それほど高頻度ではなかったかもしれない。それでも,オタクの素質を十分に持ち合わせていた少年は,全てのチームを覚え,各チームのスタープレイヤー達を覚えていった。親は時折雑誌を買ってくれた。まだ国だとか人種だとか,そういった概念すらよく分からない年頃だった自分には,彼らというスター達が,とんでもなく凄い存在に見えていたような気がする。ちなみに,物心ついた頃から,大きいものは好きだったようだ(貴乃花ではなく曙を応援していたくらいである)。

そんな中で,気付けばレイカーズのファンになっていた。まだ9歳か,もしかするとまだぎりぎり8歳だったか。コービーとシャックの2人の,もはやパフォーマンスとでも表現すべきプレイに,魅了された。2人の愛すべきキャラクター,人間味というのが,また彼らを好きになるのを後押ししてくれたように思う。勿論2人のみでなく,チームの全てのプレイヤーが,それぞれのスタイルでそれぞれ活躍するさまというのが,楽しかった。まだネットに慣れない頃,PCのメールアドレスを「lakers@~~」にしてしまい,米国から夥しい数の迷惑メール(半数以上がバイアグラの宣伝)が届いたりもした。

高井戸時代は,休み時間にバスケットボールをすることが毎日の楽しみの一つだった。小3の終わりに小学校を転校したが,その時にクラスメイトがくれた文集には,バスケ姿の自分の絵が沢山描かれている。転校後は,仲良くなった友人の関係もあり,野球への気持ちが強くなってゆき,最終的に中学高校では野球部を選択したのだが,その際にも部活は野球にするのかバスケにするのか,最後の最後まで迷ったのだった。結果的に自分は野球部で背番号8を付ける事になるのだが,小学校時代,常にこの2つのスポーツが自分と共にあった。

小6の秋頃だったか,父がアメリカに出張に行った際には,コービーの背番号8のレプリカユニフォーム(小学生サイズ)や,レイカーズのチャンピオンのキャップ,タオル,おもちゃのゴールリングとボールなどを買ってきてくれた。黄色の8番を着るのは本当に気分が良かった。小6の二学期にアメリカから転校してきた,バスケ好きのクラスメイト(後日聞くとその頃はまだ日本語が流暢には話せなかったらしい)に,コービーのユニフォームを見せたときの感情の記憶は,不思議なほど鮮明に残っている。

今こうして思えば,戦隊モノを基本的に見なかった自分にとって,幼き日々の「ヒーロー」は,コービーと古田敦也だったのだろう。そして,個人競技の要素がより強いバスケットボールのほうが,そのプレイヤーのヒーロー性は強く感じられたから,必然的にコービーが自分にとってのNo.1ヒーローだった。彼らに,スポーツを観ること,スポーツをすることの楽しさ,面白さ,そして彼らの尊さを教わった。「事実は小説より奇なり」という言葉を知るよりも遥か昔に,彼らからそのことを学んだ。後年,漫画やアニメ,ドラマというものに興味をさほど示さない日々を過ごしたのも,もしかすると彼らが現実世界の面白さを強烈に教えてくれたからなのかもしれない。

朝の中央線各停の車内ビジョンでコービーの訃報に触れ,自分でも驚くほどに強く動揺してしまい,30分ほど涙が止まらなかった。今日のNBAでは,コービーの永久欠番の背番号8と24にかけて,試合開始直後に8秒バイオレーションと24秒バイオレーションの時間を取り,コービーへ捧げたチームもあった。ネイマールはゴール後に24を両手の指で作り彼に捧げたようだ。アメリカのみならず,各国の様々な舞台で活躍する著名人が,コメントを寄せた。彼は言わずもがな,世界のヒーローだった。
筆舌尽くしがたいほど喪失感は大きいが,それでも彼が自分の人生に与えてくれた物は決して無くなることはない。これからもその記憶と,それが自分にはあるということの幸せと共に,スポーツ,そしてすべての「現実世界」の,様々な場面でのドラマを心から,心で楽しみたいと思う。

ありがとう,ぼくのヒーロー。R.I.P, Kobe.

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