半世紀以上を経て。 2021.09.11 二俣町遊郭
9月11日(土)。出張の翌日,掛川駅前と遠州森の街並みを散策した後は,天浜線の二俣本町駅へ。天竜区二俣町の中心街,クローバー通り商店街の看板建築群と横町周辺の街を歩いてきた。
▼その1はこちらから。
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散策開始から1時間半ほどが経過し,そろそろ駅へと戻る時間を意識する頃。土産物を買うべく,横町通りにあるマルカワの蔵に立ち寄った。
「マルカワの蔵 古民家ギャラリー」は,酒屋の蔵を使った商店兼ギャラリーになっている。
矍鑠とした老夫婦が丁寧に対応してくださり,建物の中を見せていただくことができた。
酒屋だった時代を偲ばせる。
主屋から,そのすぐ背後にある蔵へ。
蔵の1階では竹細工(浮き絵,浮き字という工芸品)の作家の方が展示を行っていた。記念にフクロウのストラップを購入。
2階は座敷蔵となっている。座敷蔵はこの界隈でも3軒ほどしか残っていないのだという。
壁は砂壁風の意匠の和紙貼り壁だろうか。筆者好みの青緑色で,光沢が美しい。連鶴の華やかな赤が良く映えていた。
床柱にはかなり断面の太い,立派な材が用いられていた。往時の財力が窺える。
座敷蔵の2階の窓から外を眺める。住宅や蔵が密集している。
主屋は3階建。2階は女中部屋のような造りである。
こちらも2・3階がギャラリーとなっていて,人々が集う場として活用されている。
当初は2階建だった建物に,3階を増築したという。
3階。
廊下の床板も良く手入れされている印象だった。
建具が取り払われていたため,かなり広さがあるように感じた。
この後,素晴らしい縁に恵まれ,なんと急遽,現存する旧妓楼の中を少しだけ見せていただける事になった。
■お目通し下さい
※1:現在も居住者のいらっしゃる住宅のため,現地を訪れて建物内まで見せて頂くのは容易ではありません。詳細にご興味のある方には情報は積極的に提供させていただきますので,Twitter(https://twitter.com/anachro_fukurou)のDM等でご連絡下さい。
※2:筆者は遊郭の専門家ではありません(全くの素人です)。記事の情報に誤り・過不足がある可能性がありますのでご了承下さい。もし出典のある情報があれば是非お寄せ下さい。
※3:妓楼内を見ることが出来なかったとしても,二俣町は大変に魅力的な街です。一人でも多くの人が足を運び,地域経済に貢献して下さることを切に願います。
※4:筆者は文化財建造物の修理・補強・保存を生業としています。妓楼建築の文化的価値,意匠,構法を損なわずに後世に残してゆくことに大変興味があるので,この物件に限らず,相談事があれば出来る限りのご協力をさせていただきます。何かあればいつでもご連絡下さい。
さて,文体を戻して本編に戻る。
だいぶ勿体ぶってしまったが,さっそく紹介してゆこう。
クローバー通りの2本西を南北に走る道から細い路地に入ると,旧妓楼がひっそりと佇んでいた。
ヒアリングによると,かどや旅館よりも南,このあたりが嘗ての二俣町遊郭だったらしいが,ピンポイントで場所を絞り込むことは出来なかった。
決して派手ではないが,細工の施された肘掛欄干が2つ並んでいる。
それでは,中へお邪魔する…。
まさかこんな空間が現存しているとは…。
この二俣町遊郭については,ネットで遺構に情報を殆ど見掛けなかったし,表通りを歩いてみても一帯が遊郭だったことを思わせるような雰囲気を殆ど感じられなかったので,とにかく驚いた。
廊下に軒が出ている。
そもそも遺構が存在しているとも思っていなかったし,まさかその中にこんなにも艶っぽい意匠の空間が,これだけの状態で残されているとは。驚嘆である…。
こちらの建物には現在も老夫婦が住まれていて,当然ながら公開はされていない。しかし本当に運が良く,突然の探訪だったのにも関わらず,ご厚意で階段と2階の廊下を見せて頂くことができた。感謝してもしきれない。
家主の方は遊郭としての営業を終了した後に入居されたようで(といっても半世紀ほど住まれているという事だろう),屋号は覚えていないとの事だった。
極めて良好な状態で保存されている装飾性の高い廊下と階段を目の前にすると,大変に貴重な物を記録させていただけるという興奮と責任のようなものが一気に肩にのしかかってきて,カメラを持つ手と両足が震えた。
廊下は薄暗く,ISOを1000まで上げてもシャッタースピードは平均1/10s程度。暗所の手持ち撮影に慣れていて本当に良かった。
これだけ綺麗な状態で複雑な造作を保存するのは,さぞ大変な事だろう。ましてや個人宅である。本当に頭が下がる。
住人のおばあさんは,過去にこの廊下で転んで頭を打って大変だったと話していた。住宅としての使い勝手は,決して良いとは言えないだろう。
厠の細工。
階段室のディテール。
天井板。
廊下に上がる2段の階段。
2階には,写真の方向(肘掛欄干のある方向)とその反対側に計4~5室ほどあるようだった。
1階は妓楼としての役割を終えた後に,商店兼住宅として改装されているようだった。それでも,2階のこの空間だけでも文化財級の佇まいで,終始鳥肌が立ちっぱなしだった。
外観。
前述の通り1階は改装されており,往時の雰囲気は感じられない。
2階は現役時代を良く残していると言えそうだ。
狭隘。
日の当たらない路地裏。
現甲園は,茶・しいたけ等を扱う現役の商店である。
路地を抜けてゆく。
夢か現か…。突如として訪れた幸運な機会に興奮冷めやらぬまま,旧妓楼を後にした。
さて,この情報がどの程度の新規性を持ち,どの程度の価値があるものか,筆者一人では判断しかねる。いずれにしても,住人の方の丁寧な生活により折角今日まで残って来た妓楼建築には,大変に価値がある。それだけは間違いのない事実だ。是非とも後世に残してゆきたいと思うのは,きっと私だけではないだろう。もしもこの希少な建築の未来が危ぶまれる時には,私財を投げ打って購入する事までは出来ないまでも,培った知識と技術,持ち合わせる人脈を生かして,出来る限りの力を注ぎたいと思う。それこそが,専門家としての能力と趣味者としての側面を併せ持つ自分の最大の使命だと思っている。
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