梟の島

-追想の為の記録-

五能線キハ40,最後の秋(28):未明の岩館駅に,キハ40が並ぶ。

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友情。 20.11.1 五能線 岩館駅

 


2020年11月1日(日)。一昨日の出張調査後から続く,秋の五能線を追い求める撮影行も,今日が最終日である。

▼2日目の朝はこちらから。

 

気付けばもう11月だ。5時前に起床,早々にチェックアウトして,一路北へ。向かった先はあきた白神駅,一番列車の221Dを跨線橋から仕留める計画である。未明のドライブは,ちょっとイカツい改造車が柄に似合わず比較的ゆっくりとしたスピードで,自分の2台前を走っていたので,少々スピードダウン。それでも問題なく予定通りに進んだ。撮影は滝ノ間駅とあきた白神駅で迷ったのだが,結局は後者を選択した。ハタハタ館に車を停め,駅舎に渡るための跨線橋に入る。

 

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停止位置目標が2つあり,一つは2連用,もう一つは無印。無印のほうに停まると,先頭車両は跨線橋の真下を通り抜けて更に反対側に飛び出してしまうのだが,果たして3連の列車はどちらに停まるだろうか。正直予想してはいたのだが,案の定無印のほうだった。

 

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ゆっくりと入線する列車を,2連の停止位置目標を過ぎたあたりで,辛うじて止められるシャッタースピードで撮影した。

 

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撮影を終えて跨線橋から出ると,外は随分明るかった。到着時はまだ暗くて気が付いていなかったのだが,この跨線橋のガラスは日除けのために茶色かったのだ。

 

221Dは今年の春の改正で時刻が早まったため,岩館駅での折り返しに余裕がある。当初はこのまま南下して東八森付近で222Dを待つ予定だったのだが,折角だから欲張って,岩館駅北側の踏切から発車準備中の222Dと523Dの並びを眺めるとしよう。踏切に着いてみると,523Dは折り返し準備の直前だった。

 

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深浦から岩館にやってきた422Dの尾灯が未だ点っていて,2編成の尾灯が並んでいる様子を辛うじて1枚だけ撮影することができた。

 

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2枚目を撮ろうとしたところで,422Dの尾灯は消えた。

 

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少しの間を開けて523Dとしての前照灯が点る。折り返し列車の並びになるので,まるで右側通行のように見える不思議な絵だ。駅には若いヲタが2~3名ほど居るようだったが,まさかこうして数百メートル先の踏切からスナイパーショットで狙われているとは思うまい。

 

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日の出からまだ10分程度の薄暗い小駅は,五能線の要衝の一つであり,秋田県最北の駅である(奥羽本線の陣馬駅と緯度はほぼ同じだが,若干北に位置するのが岩館である)。

 

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1977年,初期グループが弘前に配置されてから,40年以上も紡ぎ続けられてきた,キハ40と五能線の日常も,いよいよ終焉の時を迎えようとしている。

 

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先代のキハ22が往く姿というのもこの目で拝んでみたかったものだが,そんな願いは極めて贅沢なもので,何ととうとう鋼鉄車自体がJR東日本管内から姿を消そうとしているのだ。

 

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いよいよ国鉄は遠くなってしまった。そんな寒々しい感傷を煽るように,沿線のススキは儚げで,秋の空気は冷たかった。

 

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程無くして警報機が鳴り,523Dが出発。

それを見送り,自分は222Dの先回りをすべく,東八森へと再び車を走らせた。

  

その29(東八森,ススキの朝)へ続く。

 

 

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