2019年4月下旬。石岡市内への出張のついでに,中心街に残る看板建築を見て回った。
石岡は1929年に大火に見舞われ甚大な被害を受けたが,その後の復興として,関東大震災に対する復興建築として東京界隈で流行した看板建築が建てられた。その1930年頃の建造物が街道沿いに現存している。観光地としての知名度はさほど高くはないが,とても貴重な景色を見る事ができる街である。
この日は目抜き通りである355号線沿いの「中町商店街」と,その一本東側の道を歩いた。
355号から東に折れた県道138号線沿いにある,大和田家貸店舗(登録有形文化財,1930頃)。
いきなりゴテゴテの異形な「看板」が放つオーラに圧倒される。これが目抜き通り沿いではないところに建っているところにグッとくる。側面は板張で,両脇の建物が無い今,ファサードに懸ける熱量がよく見て取れた。
無名の戦後建築,恐らく元美容室と思われる。ストリートビューでは,完全にモジャモジャな様子が見られる。
守横通沿いにある,おにぎり「河内屋」。スナック・喫茶「一茶」は閉業しているのだろう。
住宅も,文化財級の建物が残る。
そして355号沿いに出て,福島屋砂糖店(登録有形文化財,1931)。外壁の塗装の剥げ方が土壁+漆喰ではないのは一目瞭然だったが。何とこれはコンクリートだという。とても貴重な例である。
そして「看板建築の看板娘」,十七屋履物店(登録有形文化財,1930)。春の夕陽を受け,深い黄色を呈していた。
雲一つない空。本当にセットのようだ。
その隣,福島屋砂糖店との間に建つ,久松商店(登録有形文化財,1930頃)。壁面はもともと銅板だったらしく,その様子も見てみたい。今日はこの光線状態,この色調がとても美しかった。
十七夜履物店の斜向かい,355号線の西側には,すがや化粧品店(登録有形文化財,1930)。「也可¨す」も健在。ここまで凝るか!というほど,徹底した神殿建築の意匠を纏う看板建築である。
すがや化粧品店の斜向かい,中町信号の横には,玉川屋,吉田靴店(石岡将棋会館),ヤマモト時計店,石岡富國社が並ぶ。いずれも文化財指定は無いようだ。
この,ぎっしりと連なりながら建つ美しさ。現代の,隣り合う複数の建物の高さもまちまち,セットバックするか否かもまちまち,という街並みと比較すると,この統一感は極めて美しく感じられるものだ。この西洋風な,装飾的な建築物群というものが,無機質で均一的な建物の建ち並ぶ現代において,いかに貴重であり刺激的であるか。恐らくは二度と建てられることはないであろう,デコラティブな中小商店。しかし近い将来,「歴史」の1ページとなってしまうものなのだろう。
森戸文四郎商店(登録有形文化財,1930頃)。建具も年季の入ったものを使い続けている。1階の開口の広さは,構造を専門としている者からすると不安になるが…。
四隅のみタイル張りで仕上げられているのも興味深い。
駅に戻る道中にも,水酉酒店など,複数の看板建築が見て取れたが,年代などは不明であった。
石岡の案件は既に終わってしまったので,仕事で再訪する機会は残念ながら無いのだが,見落とした登録文化財の看板建築があったことに後から気付き,がっかりである。下調べはもっと入念にすべきであった…。
西向きに建つ物件が多いので,看板建築を目当てに石岡を探訪するなら夕方がお薦めである。近くに寄った際には是非見て頂きたい。昭和初期の情景が,まだ石岡には残っている。
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