梟の島

-追想の為の記録-

長崎建築紀行(4):黄檗・崇福寺は,文化財建築の宝庫。

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黄檗建築の代表。 2020.09.16 崇福寺

 


2020年9月16日(水)は,長崎出張初日。昼からの打合せまで時間があるので,早朝から長崎電気軌道を撮影。その後,市内の近代建築群を巡り,グラバー園を堪能。

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思案橋を逍遥し,その後は黄檗宗崇福寺へ向かう。5年ほど前に宇治の萬福寺黄檗宗大本山)も訪れたので,今回の崇福寺探訪で,国内の黄檗建築の代表格を押さえることになる。

 

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まずは国指定重要文化財の三門がお出迎え。早速,異国情緒が漂う。

 

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三門は1849年,この竜宮門の形で再建されたという。勾欄の文様や軒反り,鴟尾など,一貫した中国風のデザインである。

 

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意外と門の内側の造作は見落としがちなので,こうしてジロジロ見るのは大事。

 

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階段を上り,山門を見下ろす。強烈な軒反りの屋根を見慣れないせいか,何というか「邪悪さ」を感じてしまう。

 

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階段を上ると現れるのが,第一峰門(だいいっぽうもん)。国宝である。中国・寧波で加工された材料を船で長崎まで運び,1695年に建設されたという。

 

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まずレリーフのような文様に目が行く。 

 

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しかし何と言ってもこの門を国宝たらしめているのは,国内に類例のない「究極の詰組」であろう。四手先であるだけでも凄いのだが,「四手先三葉栱」という…凄い。中国華南地方でも珍しいらしい。

 

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幅広の扇垂木などにも中国の建築様式がみられる。

 

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これだけの異国感がありながら,確かにここは日本であるというのが,不思議な面白さだ。

 

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ちょうど境界部分で見上げてみる。一体どれだけの部材が,この門の組物に詰まっているのだろう…。土砂降りにも関わらず,暫く見入ってしまった。

 

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第一峰門をくぐると,大雄宝殿が見えてくる。これまた国宝で,1646年に遡る仏堂である。当初は単層だったが,建立の3~40年後に上層が付加されたらしい。上層部分は和様の色が強い。

 

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香炉(という呼称で良いのだろうか)。独特な存在感を放っていた。

 

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護法堂。黄檗寺院の伽藍配置としては,ここに門としての天王殿が来るらしいのだが,ここ崇福寺は斜面に建っているため門にすることが出来ず,仏堂となっているとのことである。

 

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1731年の建立。この形,「半扉」というのだとか。

 

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この独特な形態の天井を「黄檗天井」という。

 

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礎石にも中国風の模様。

 

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堂内では韋駄天が祀られている。

 

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大雄宝殿と護法堂とは互いに向き合っている。あまり引きが取れないので,真正面で正対することは出来ず。

 

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少し斜めから角度を付けて。

 

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威徳荘厳。

 

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大雄宝殿へ。他の宗派の建築では見たことのない,独特な納まり。

 

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色鮮やかである。

 

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堂内。

 

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媽姐門(まそもん)。菩提門とも呼ばれる八脚門である。

 

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1666年の建築,こちらも重要文化財

 

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媽祖堂を奥に見る。

 

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媽祖堂は県指定史跡。勾欄はまさしく黄檗スタイルだ。

 

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和様と黄檗様式が混在した造り。1794年の建築だという。 

 

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堂内を再び。

 

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線の多さは,自分の好み。

 

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とにかく雨が強かった。

 

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最後に,大雄宝殿を背面側から見る。濃密な黄檗の空間,とにかく色々と勉強になった。

さて,これにて午前の長い散策はピリオド。電気軌道に乗車し,一度ホテルへ荷物を置きに帰る。思案橋電停の直前で電車に行かれてしまった。会議の時間が迫っていたので,小走りで追い掛ける。信号待ちの間に追い越して西浜町から乗車し,何とか事なきを得た。

会議は予想よりも早く終了したので,夕方は再びカメラを持って歩くことにした。

長崎電気軌道その2へ続く。

 

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