板塀が立つ。 2022.08.28 中浜
8月28日(日),酒田出張の前日は,心の故郷・羽越本線沿線へ。早朝から碁石,鼠ヶ関,伊呉野を歩き。中浜集落にやって来た。
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中浜,想像通り,いや想像以上に魅力的な町である。散策を続ける。
中浜集落,大きく分けて4本の道が南北に走っている。前編で歩いたのが陸側から2番目の道と,最も陸側の道(すなわち国道)だ。
ここからは,海から数えて2番目の道を,北から南へ歩いてゆく。
海はすぐそこに。
東西の道。
前編で見た素敵な道の先にある廃屋。屋根は落ち,無惨な姿で夏に佇んでいた。
板壁に覆われた蔵の入口には「福禄寿」の文字が残る。
この道が,前編の道の入口である。
写真右の建物は車庫で,少し前にエンジン音が聞こえたので,此処から車が出て行ったのだろう。
茄子の葉の緑は,青みがかっていて不思議と美しい。
南に下ると,家が少なくなってきた。
緩やかに海岸通りへ繋がっていった。
砂浜。
晴れれば美しいこの海も,この天気では陰鬱な表情を見せる。まさに人間的だ。
大きな流木が並ぶ。
海岸線に沿う集落の4本目の道を,北へ歩いてゆく。海水とも雨水ともつかぬ水が路面に溜まり,景色を反射している。
海に塀を向け,防御の姿勢。
横道に咲く。
塀の形や種類に統一性はない。唯一,褐色という色彩的な共通項により,集落の印象が形作られている。
そして海景もまた褐色なのだ。
海の象徴的存在。
北上する。板塀の奥の家が目立つようになる。
近付いてみると,塀は存外高く感じられた。
夏の朝にも寂寥は存在する。しかしこの弛緩した空気では,心に迫るものは今一つ感じられないのが事実でもあった。しかしそれこそが,憂鬱のリアルというか,倦怠にも似た日常の翳を落とし込んだ心象風景としては現実的であった。
この記事の冒頭の写真の一角が左奥に見えている。
海側の道はこの先,袋小路となるが,行ける所まで北上する。
そこそこ新しい家があったり,さほど撮影せずに折り返してきた。
黄色。
これまた黄色,集落内の小さな公園にて。
川と緑と。
ここまで朽ちた姿を見ると,胸が痛んだ。
川沿いを歩く。
一番初めに歩いた道を,最後にもう一度歩く。
そのままぐいぐいと南下。
これで中浜集落の道は概ね一通り歩いたことになる。
大好きな集落が一つできたのが嬉しかった。ここは必ず,季節と天気を変えて再訪することになるだろう。
その17(府屋)に続く。
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