6月23日(水)。八街市内での仕事のついでに,成田の街を散策。駅東口出てすぐの新新道,新道通りとその周辺の路地を撮影してきた。
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新道通りは新勝寺へのショートカットとしても機能しており,緩やかな坂道を登ると程なくして表参道に合流する。合流地点付近の表参道は白い石畳が敷かれた小綺麗な道で,建物も良く整備されていて立派なのだが,あまりレンズを向けたいと思うような雰囲気ではなかった。すたすたと歩いてゆくと,緩やかに右にカーブする下り坂が見えて来た。ここから先がいよいよ表参道の街の中心部である。
20km/h制限の一方通行。参道は急激に坂を下ってゆく。
カーブの内側。先程までの石畳のエリアとは打って変わって,鄙びた雰囲気の建物が姿を現す。
商店が並ぶ。
西側の街並みの奥の方に,持ち送りのある近代建築が見えたのだが,ついにファサードが見つからなかった。
西日に穏やかに染まる。
コロナ禍の平日の夕暮れ時ということで,人は殆ど居ない。
実のところ現地に行くまで,このあたりは所謂「映え」系の雰囲気になっているのかと思い込んでいたため,いい意味で裏切られた。
道幅が広すぎないのが美しさの秘訣か。
そしてこの高低差が,景色に立体感を与える。
3層のうなぎ屋・川豊の建物「川豊本店店舗」は登録有形文化財。明治44年に2層として建てられ,大正15年の旅館開業に合わせて増築されたという。綺麗な窓ガラスが現代風な雰囲気を醸し出しているが,立派な木造3層の文化財建築である。
隣にも鰻屋。
S字のカーブ。
扉には梅屋別館と記されている。かつてはこの写真の背後側,別館の斜向かいに,木造3層の旅館梅屋が建っていたのだが,2019年頃に解体されてしまったらしい。検索すると泊まった方のブログがヒットするのだが,実に惜しい物を失ってしまった,という感想しかない。跡地では工事が行われており,どうやら新築の旅館が建つのだとか。それならどうにか頑張って価値ある建物を残してくれ…と,たとえそこにどんな事情があろうとも,その専門職の立場である以上,そう思わずにはいられない。
寺子屋 成田遊膳の建物。鼠漆喰の重厚感。
その脇には細い路地があった。
左手が旅館梅屋のあった場所,奥に見えるのが大野屋旅館である。
大野屋旅館の側面に回ることのできる,道ともつかぬ道へ。
奥行方向の長さに驚かされる。
大野屋の脇を抜けるこの道は,いったい何処に続いてゆくのか…。
路地は小さな森へと入ってゆく。すると突然,ゴウンゴウンとけたたましい音が鳴り響き,聴覚を奪われる。新勝寺の暮六つの鐘が鳴ったのだ。
向こう側の森が微かに蠢き,夕風が吹き抜ける。このまま神隠しにでも遭うのかというような,不思議な時間,不思議な空間だった。
袋小路の先には古びた住宅。道はよく手入れされているので,住宅はどうやら現役のようだ。錯覚かもしれないが,テレビかラジオの音がうっすらと聞こえたような気がした。
別にやましい訳でもなく,何かに追われている訳でもないのだが,袋小路は来た道以外の逃げ道が無いので少し不安になる。
沈む夕刻。
さて,いよいよ辺りが少しずつ暗くなってきたので,表参道に戻ろう。
大野屋旅館。塔屋の載る木造3層旅館のシルエットが,夕空に映える。
一粒丸三橋薬局の店蔵(登録有形文化財)の前を過ぎれば,まもなく新勝寺である。
詰組がぎっしりと乗った,威圧感のある総門。2008年建立の新しい建造物である。早速その威容に飲み込まれる。
一つ一つの石燈籠もかなりの大きさなのだが,総門のせいでスケール感が狂ってしまった。
国指定重文の仁王門を背面から見る。
階段を上ると視界が開ける。
三重塔,一切経蔵,鐘楼。
成田らしさ。
三重塔は,1712年に建立された国指定重文である。
ただでさえ絢爛な意匠の三重塔に,艶やかな夕陽が彩りを上乗せする。
北に外れた低い夕陽が,6月ならではの角度から,朱色の塔を紅く照らしてくれた。
大本堂は1968年の建立。これもまた異常な規模の仏堂である。点景として人を置いてみた。
釈迦堂は1858年の建立,3代目の本堂という。現在の大本堂が完成するまでの110年間を支えて来た国指定重文である。
さて,成田散策の最終編は,境内に展開される易断所と土産物店の街を紹介しよう。
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