日が暮れてゆく。 2022.06.02 新座
6月2日(木),ふと思い立って仕事を早々に切り上げ,新座の西武中央商店会を訪れた。
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バス通りに戻ると,いよいよ太陽は旭ヶ丘団地の向こうに隠れようとしていた。
カーテンの無い2階の窓が,くろぐろと虚ろに見えた。
電器屋はシャッターが下りていた。
起点となる交差点から南西へ進む。この辺りは一足先に薄暗く,看板の灯りが眩しく浮かび上がり始めていた。
清瀬駅北口行きの西武バス。
フルカラーLEDが当たり前の時代になって来たが,一昔前はオレンジ色一色,通学で使っていた時には方向幕車も辛うじて残っていたのだった。自動車やバスは,インフラの中でもかなり短命な部類に入るものだろう。懐旧の眼差しを向ける間もなく,憧憬の対象は代謝していってしまう。
商店街の西端の道を,南に下りてゆく。ちょうど軒先の棚の片付けをしていた。19時に営業を終える店が多いようだ。
食料品店。
平屋の看板建築風の商店。街灯の方が背が高く,何となく間延びして見える。
飲食店の灯りが点る。
この辺りまで来ると,ひっそりと静まり返っていた。
商店街を外れ南西へ進むと,住宅街がひたすら続いていた。
バス通りに戻る。
枝豆色とでも言おうか。赤色の枠といい,強烈だ。
下校中の中学生が,筆者の側の歩道をわいわいと歩いていた。このくらいの年頃の集団は,とにかく歩くのが遅い。ともすれば止まって何かを始める。或いは何も始めていないのに,ただ停まる。一切の焦燥に心を追われていないその時間の尊さを羨ましくも思ったり,自分には何かそんな記憶はあっただろうかと脳の引き出しを開けてみて,これといって目ぼしいものが見つからずに閉じてみたりもする。鮮明な記憶といえば,やはり遠出をした非日常のものばかりである。学生の日常というものは,人間関係が現存していない限り,結局はただの無為な時間なのだろう。
団地の夕刻。
圧縮。
望遠レンズを持って明るい時間に来れば,「花夢音!」の連続を構図いっぱいに埋め尽くすこともできるだろう。
アーケードの陰翳が深みを増してゆく。
光の主張が次第に強まる。18時45分。まもなく日没だ。
気の早い街灯が眠たげに点った。
もう商店街は一通り巡ったのだが,移ろう光が美しくて,帰り時を失った。
それならばいっそ,完全に夜の帳が下りるまで居続けてみようと決めた。
その4(終)へ続く。
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