梟の島

-追想の為の記録-

小浜・湖東旅行(2):小浜の一日を総括。

ここまでに綴ってきた各記事を纏め,間を埋めつつ,2019/11/23の旅行記とする。

レンタカーを調達して,まずは飯盛寺へと向かう。

続いて,妙楽寺

さらに続いて神宮寺。このあたりで正午を超えた。

空腹を我慢しつつ,明通寺で文化財としてのクライマックスを迎えた。

ここから,萬徳寺へ移動。こちらも車でのアクセスがやや難しかったが,着いてびっくり,15台ほど停められる駐車場は車で埋め尽くされていた。ちょうど出庫する車と入れ替わるように駐車し,受付を済ませるが,境内は大混雑。お坊さんらしきおじいさんが案内の文言をほぼ休みなく喋り続けているのが,これまで静かな空間に居続けたこともあり,やや耳に刺激が強い。江戸初期建設という書院建築の縁から名勝の庭園を眺めるように設計されているようだが,広縁も混雑していたし,肝心の紅葉がややピークからずれてしまっていたため,喧騒を避けるようにそそくさと本堂へ上がった。

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こちらは特に指定は受けておらず,時代としては他のものと比べるとだいぶ下ってくる。これまでの4寺と比べ,最も来客は多かったが,我々の滞在時間はもっとも短かった。スケジュールも押してきていたので,何とかしてこれを回復できたのは良かったが。

続いて,コンビニ経由で,蓬嶋楼へ。

想像以上の長時間滞在となってしまったので,遊覧船を諦め,羽賀寺へ向かう。その道中で,古河家本宅前を通る。

 

本日巡った寺の建立年と大まかな形式を纏めてみる。

■明通寺本堂  1258年   桧皮葺 入母屋 5間
■明通寺三重塔 1270年   桧皮葺
妙楽寺本堂  1296年   桧皮葺 寄棟  5間
■神宮寺仁王門 鎌倉末期
■羽賀寺本堂  1447年   桧皮葺 入母屋 5間
■飯盛寺本堂  1489年   茅葺  入母屋 5間
■神宮寺本堂  1553年   桧皮葺 入母屋 5間
■萬徳寺本堂  江戸初期? 銅板葺 入母屋 5間

まず何といっても,鎌倉,室町期の建造物をこれだけ纏めて見られて,ただただ満足である。明通寺,羽賀寺と神宮寺は,表記上の形式は類似でもプロポーションやシルエットがそれぞれ大きく異なり全くの別物であったし,「六者六様」で実に面白かった。特に茅葺入母屋の妻入に吹放しの付く飯盛寺は,あとから振り返れば一際異彩を放っていたし,明通寺の美麗な佇まいをこの目で見る事が出来た時には子供のように浮かれてしまうほどだった。これだけ偏った一日を過ごしたにも拘らず「食傷」にならなかったというのは,なかなか稀なことではないか。小浜,侮るなかれ。この街は,遊覧船を始めとするほかの観光にも時間を使いながら,是非2日間じっくりかけて巡るべき,素晴らしい観光都市だと感じた。

夕食は駅前の居酒屋へ。店の内装は小綺麗で,高級寿司でも出てきてもおかしくないような佇まいなのだが,カウンターの向こうで厨房を仕切るのはヤンママ風(おそらく年下)の店員で,彼女と基本的に顔見知りの,少しガラが悪い感じの客が奥の座敷に五月雨式に入ってゆくわ,そのうちの一人に至っては厨房に少し入ってくるわ,「地域経済」感とでも言おうか,独特の世界を感じた。そんな女将とも談笑し,列車に間に合うように素早く食事を済ませ(とはいえどれもゆっくりと味わった。どれも美味で,特にサバしょうゆ焼きは一日の疲れた身体に沁みる味だった),18時53分,943Mで小浜を後にした。

駅中の土産屋は既に閉店してしまっていたので,敦賀までの1時間は特に食べる物もなく,すぐに就眠。敦賀1956着,2016発のしらさぎ16号に乗り換え,鳩原のループをGPSで楽しみ,米原には20時50分到着。コンビニでちょっとした夜食を買い込み,今日もまた東横インにて,長い一日の幕が閉じた。

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