宿場町の名残。 2021.06.17 旧越河宿
6月17日(木)。前日は福島県内を散策。磐越東線・大越駅の南側の名も無き商店街,磐城常葉駅前,船引町,三春町,郡山の夜の街を散策。出張調査の当日朝は郡山の市街地を歩き,調査の間の移動時間では村田町の重伝建を歩いた。
▼村田町の記事はこちらから。
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14時半頃に二件目の仕事を終え,この日のタスクは終了。福島へと車を回送するのだが,高速ではなく下道を利用し,その道中で,斎川・越河・貝田・藤田・桑折の旧宿場町を巡る。まずこの記事では,斎川宿,越河宿,貝田宿を紹介してゆこう。
国道4号線を外れて旧道に入り,斎川宿の北側の斎川踏切を渡る。ちょうど貨物列車が通過していった。前日からここまで,ずっと雨か曇りだったのだが,ここにきてようやく太陽が顔を出した。
斎川宿。ほぼ現代の建物に更新されていて,往時の面影はない。真っ直ぐに伸びた幅の広い道にのみ,宿場町の気配を感じることができる。
検断屋敷。嘗ての「大動脈」の宿場町であることを現代に伝える貴重な遺構であるが,塀と門はすっかり荒廃してしまっていた。右手に見える石塔には,明治天皇御休息所と記されていた。
塀の横から屋敷を覗き込む。金属板葺きの屋根は,特に傷んだ様子は見られなかった。しかし,丁寧に管理されているという感じではない。宿場の中でも特に立派な屋敷だったように見受けられるので,勿体なく感じてしまう。
鉄道駅が作られなかった宿場町の宿命を象徴しているかのようで,心持ちは複雑であった。
白石駅へ向かう市営バスが通過していった。
緩やかな坂。
目を留める者は居なくなってしまった看板たち。
宿場町の南端にて。忙しないが,斎川を後にして越河へと向かう。
越河宿。宮城県の南端の宿場町である。越河駅からは南に外れた場所に位置する。
下見板の家。
石造の蔵も健在。
越河は宮城県,次の貝田宿は福島県。県境に位置する越河峠(国見峠)は,かつて東北本線の難所であった。
兜造りの大きな住宅。壁も屋根も金属板葺になっている。かつては茅葺屋根だったのだろうか。
水路のある町。
初夏の陽射。
はっきり言ってしまえば,被写体となるような「もの」は殆ど存在しないのだが,そんな越河の町がどういう訳か,この日の自分にはとても強烈に刺さった。
昨日から続いた曇天下の撮影から解放され,青空と太陽光の恩恵にあずかれたこと。綿密に計算された旅程の中に,旅情を感じられる「隙」が存在していたこと。
束の間の自由な散策は,まさに「旅」であり,今の自分が求めているものだったのかもしれない。
町の端から,道を振り返る。
この蔵を最後に撮り,貝田へと向かった。
越河からものの数分の運転で,貝田宿に到着。案内標識を視認することなく,宮城県白石市から福島県国見町へ,県境を越えた。
案内板。
入母屋屋根の立派な住宅。
空は青く,緑は鮮やか。
「御婚礼家具」もすっかり過去の文化である。
貝田宿は峠の山裾に存在している。南を見ると,阿武隈川沿いの平野を見下ろすことができた。ここがまさに峠へ入口のであり,県境である様子が良く見て取れる。
長閑な午後。
国道4号線に下りる坂道。
火の見櫓が,町を見守る。
たばこと宅急便。
縦板壁の小屋。
奥州街道の宿場町,宮城・福島県境編はこれにて終了である。この先は藤田・桑折の街を歩く。
国見町藤田,旧宿場町の街並みに続く。
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