旧妓楼で過ごす夜。 2021.11.03 松山旅館
11月3日(水祝)。急遽決まった酒田出張の前日,羽越本線沿線の集落を巡る。早朝は寝屋と鵜泊の集落を歩き,その後は鶴岡で車を調達して沿岸の集落を北から順に巡り,鼠ヶ関を越えて新潟県に戻り,最後は桑川海水浴場で日没を迎えた。
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さて,復路である。17時すぎで既に辺りは真っ暗で,街灯とヘッドライトを頼りに夜道をひたすら運転してゆく。ただでさえ視界は漆黒の闇で運転に気を遣うというのに,勝木付近から雨が降り始めた。やはり海の天気は変わりやすいものである。そしてあっという間に,ワイパーを最高速度で稼働しても意味がないほどの豪雨になった。信号のない暗い夜道の運転に酷い悪条件が重なり,かなり疲労を蓄えることになった。
県境を越え,まず目指したのは温海温泉である。過去2回お世話になった「ますもと食堂」で夕食をとることにした。昼食は非常食のパン(と鼠ヶ関で貰ったイカトンビ数個)だけだったので,冷静になると異常なほど腹が減っていた。
チャーシュー麺と餃子を注文。ビールを頼めないのがこれほどにも苦痛だとは…。
店内で客と女将さんの会話を聞いていると,温海温泉の共同浴場は,少なくとも先日までは県外の客の入湯を制限していたようで,11月に入って制限が解除されたかどうかは分からないとのことだった。温海で疲れを癒すのも悪くないとは思ったのだが,今日の宿泊地は酒田である。もう少し宿の近くで温泉に浸かりたいと思ったので,湯野浜温泉へと車を走らせた。
相変わらず道中,雨は降ったり止んだりの繰り返しで,いざ降るととんでもない豪雨になった。運転している最中の記憶が殆ど無いので,かなり集中していたようなのだが,目的地まであと僅かという所で急激に眠気が襲ってきたのを覚えている。睡魔をどうにか振り払い,湯野浜温泉の街に到着した。
カメラを出すのも憚られるほどの酷い雨だった。Google mapによれば下区公衆浴場のほぼ目の前に着いている筈なのだが,ロータリーのような場所から見てもそれらしい建物はおろか,それらしい看板すら見当たらない。やっとこさ案内の表示を見つけたところ,駐車場は少し離れた所にあるというので,真っ暗な集落の細道を運転し,それらしき空地に車を停めた。一切の案内が無く,ここが正解かどうかも分からないままだった。
下区公衆浴場は,道とも路地とも言えないような建物の隙間を少し奥に入ったところにあった。特に県外客を制限しているような文言は無かったので,無事に入れそうだ。番台のおばあさんに入湯料を払おうと思ったら,何と財布の中には僅かな小銭のほかに一万円札しかないではないか。おばあさんが机の中からポシェットまで引っ張り出して来てくれて,ぎりぎりドンピシャでお釣りを用意してくれた。いやはや,珍しく不注意だったが,救われた。
風呂は貸切状態だった。
湯船に最も近い洗い場で髪を洗い,身体を洗っていたら,地元のおじいさんがやってきて,すぐ隣に座って喋り始めた。人の良さそうな方で,楽しそうに話しかけてくれるのだが,訛りが強いし,風呂の中なので音が激しく響いてしまい,会話はとても難しかった。そして人の良さは感じるのだが,座る距離がとにかく近く,少し不安を感じるほどであった。
自分が湯船に入ると,おじいさんは先程まで自分の座っていた席に移動して身体を洗い始めた。もしかすると彼の指定席に座ってしまっていたのかもしれない。最後に上がろうと思ったら,ヘアゴムを洗い場の鏡の前に忘れていて,少しばかり邪魔をしてしまった(当時の自分は22ヶ月にわたって髪を伸ばしており,ポニーテールだった)。「乾かすの大変そうだね」「来週切るつもりです」と会話したのが妙に記憶に刻まれている。有言実行で,この翌週にはバッサリと断髪したのだった。
彼の言葉を聞き取り会話を続けようとすることでかなり頭が一杯になってしまい,正直なところ気持ちはあまり休まらなかったのだが,それもまた良い思い出か。肝心の湯はとても心地良く,一日の疲れをしっかりと癒してくれた。
風呂上がりはコーヒー牛乳,の代わりに,白いカフェラテを飲んだ。
番台のおばあさんに挨拶し,20時15分頃に湯野浜温泉を後にした。
コンビニに寄り,無事に運転を終え,21時ちょうどに酒田の松山旅館に到着した。声の大きな主人が迎えてくれた。もてなそうとしてくれている意思は大変伝わってくるのだが,耳は少し遠いようで,何度か同じ事を話してようやく会話が成立する感じであった。
松山旅館。嘗ての妓楼である。廊下を進むと,印象的な丸窓があった。
一番大きい部屋を案内していただいた。1泊朝食付で5,500円だったか。
ご主人が二階に上がると,突如として静寂が訪れた。さて,暫くは撮影タイムである。
酒田は大相撲の巡業でも有名である。
建具が並ぶとそれだけで美しい。
とても静かだ。この日の宿泊客は私一人。主人と女将さんは2階に居るのだろうか。
トイレと洗面台は廊下にある。
暫く撮影を続ける。
妓楼としてのディテールは,さほど残っているようには思えない。
それでも柱梁や化粧材は,素晴らしいものだし,年季を感じる。
格天井を崩したような形の天井。
ストーブを付けて,だいぶ暖かくなった。
狭い室内で,広角レンズで縦線の垂直を保ちながら撮影するのは,意外と難しいものである。何テイクか試して,ようやく納得のゆく絵になった。
さて,そろそろのんびり過ごそうか。
ビールを開け,静かな夜は更けてゆく。
ご主人がくれた「鳥海山の水」の瓶と。あいにく水は大量に持っていたので口はつけなかった。
風に建具が揺れる音が聞こえるほかは,耳の奥まで静寂が充満したようであった。時折2階から足音が聞こえると安心するくらいだったが,はてその足音は聞こえて良いものだったのかどうか,今となっては知る由もない。現場調査の前夜ということで,畳に敷かれた布団と毛布の間に挟まり,しっかりと休息を取った。
その12へ続く。
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