栃木病院。 2022.03.20 栃木市
3月20日(日)。小山駅前,大平下駅付近を散策した後,栃木県栃木市へ。ミツワ通り共栄会を歩き,近代建築「若松理容」を見た後は,巴波川沿いを北上した。
▼その1はこちらから。
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倭橋からの続きである。
ポップなクリーニング店。
ひときわ渋い建物,1階左側には「増山製麺所」の看板が掛かっていた。
反復は美しい,いつだってそうである。
旧斉藤婦人科医院,とネット情報にあるが,詳細は不明。1924年の洋館で,かつてはCAFE15なるカフェが入店していたのだが,閉業したようだ。
薄桃色の板壁が,午前の光を鮮やか反射していた。
その近くで見た景色たち。
倭橋の一つ北,常盤橋にて。
横山郷土館。これだけ立派な石造の蔵が2棟もあれば,一大観光地である。蔵の2棟,店舗兼住居,離れの4棟いずれも登録有形文化財で,管理も良く行き届いている印象だ。行程が上手く組めなかった(というより単純に時間が足りなかった)ので,今回は内部の見学はできなかった。
軒の破風板にあたる部分は煉瓦積みになっている。
少し西に歩くと,ビビッドな緑色の巨大な近代建築が見えてくる。
旧栃木町役場庁舎(1921,国登録有形文化財)である。
1階は下見板壁,2階は漆喰壁のハーフティンバー。ポーチの意匠はどこか軽快だ。
栃木市立文学館として,つい先日(※執筆時にとって)からオープンしたらしい。この日は外観のみ指を咥えて見学した。ここもまたいつか内部を観る機会があるだろうか。
「元縣廰堀」に掛かる御幸橋。
旧町役場から堀に沿って北上し,栃木高校記念図書館(1914,国登録)へ。
西側に光が回るのは午後なので,また後で撮りに来よう…などと思って失念したため,ファサードの写真が無いという大失態。帰路の途中で気付いた時には思わず奇声を上げてしまった。
ふたたび巴波川,「開運橋」なる橋から北を見た。
嘗ては蕎麦屋だったようだ。
ここから次なる目的地に向けて歩く。
数分で辿り着いたのが,栃木病院(1913,国登録)である。
数多くの近代建築を抱える栃木市の中でも「本格派」の佳作である。ベランダや玄関を支える柱の軽妙さに驚かされる。
旧栃木町役場庁舎と同様,1階が下見板,2階が漆喰壁のハーフティンバーである。
曲線を多用することで「崩した」デザインは,これが公的な建物ではないことを示しているようであった。
玄関を見上げる。近代建築,決して天井の造作を見落としてはならない。
道幅が狭いので,全貌を捉えるのに必死である。
裏面に回ると,妻面のティンバーがハーフを越え,まるで禅宗様の詰組のようだった。
裏路地。
高木に見守られる現役の医院であった。
向かいの邸宅の石造の門柱がたいへん立派だった。
栃木病院から北上し,日光例幣使街道・重伝建への入口に建つ,舘野家住宅店舗(1932,国登録)へ。本当はもう少し早く来る予定だったのだが,ぎりぎりで東面に陽光が回らなくなってしまった。到着する時点で分かってはいたのだが,他に時間を取られ過ぎてしまった。
アシンメトリーのファサードはなかなか豪奢である。
ベランダの意匠,非常に手が込んでいる。
1階の造りもなかなか凝っていて,類例を見ない造りであった。
ここから北に歩けば重伝建だが,午後にとっておこう。あくまで筆者は太陽光線の下僕である。散策に最適な時間を選び,同じところを二度通るのも厭わない。ここで引き返し,南下した。
県道11号線の気になる建物たち。
旧足利銀行栃木支店(1934,国登録)。パラペットが回っているが,中は切妻屋根だそうだ。トスカナ式オーダーの太い角柱が,銀行としての尊厳を表現しているように感じられた。
ちょっと何言っているのか分からない…。
11号線から東に入った。
住宅街の中に気になる建物を見つけた。
近寄って見ると「田村歯科醫院」だった。下調べで情報を得ていない建物だったので少し驚いた。これまた逆光が厳しいので,正面側はまた夕刻に撮ることにした(こちらは忘れなかった)。
錆色の道をゆく正午。
巴波川から離れた東側へ。万町の南東の隅に近付いてきた。
その4へ続く。
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