梟の島

梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

300記事達成記念に,16ヶ月の足跡を振り返る。

ブログ「梟の島」も遂に300記事に到達した。Twitterも1,000フォロワーを超え、軌道に乗っている。

丁度良い機会なので、ここまでの道程を振り返って、記録しておこうと思う。

 

2018年夏に論文の執筆を終えた後、文章をしたためる機会が極端に減り、頭が錆びついてゆく感覚があった。また、Facebookに写真を上げても殆ど反応が無い状況が続いていた。尤も、一般的な視点で見れば変なもの(鉄道やら古臭い街並みやら)、薄汚い所(バラックやら廃墟やら)ばかりが写っている訳だ。そもそも知人に嗜好の近い人間など殆ど居る筈もないので、当然の結果である。また逆方向も然り、奇人である自分の情報源としても既存のSNSは全く機能を果たさなかった。そこでブログとTwitterで全世界に向けて発信し、自身のアウトプット・インプットの「呼吸」を正常化するとともに、「未だ見ぬ友」を探すことにした。

2019/12/15(日付は愛する亀井絵里の卒業記念日を選んでいるw)、ブログ&Twitterのアカウントを開設。

まず直近の小浜・湖東旅行の記事を書き、Twitterにリンクを載せたところ、小浜・飯盛寺の副住職がリプライを送ってきて驚いた。早速SNSらしいことが起きるものだと思ったが、その後は特段のイベントは無かった。ブログは全くもってアクセス数を増やす術も無く、愚直に書き溜めるのみ。ぽつぽつと読者が増え始めるものの、やはり何も起きなかった。ただ、ブログはあくまで(その時点での、そして未来の)自分のために作るという大きな目標があったし、一つ一つの記事が小さな作品であり、完成したときに自己評価・自己満足が出来るので、他者の反応と関係なく、初めからずっと楽しかった。

Twitterは、とにかく繋がりを増やさなければ、人目にも留まらず相手にもされない。数で判断される世界だということは一目瞭然だった。まず荒海の中に出てゆくしかないので、フォロバしてくれそうな人を意図的に選びながら、少しずつ輪を広げていった。

しかしTwitterでは、自分が誰に向けて何をすればよいのか全く分からなかった。ブログのリンクを貼っても、TwitterのTLは激流であり、一瞬で流されて行ってしまう。アクティビティを神経質にチェックしてみていたが、5~6人しかリンク先の記事に飛んでくれない状態が長く続いた。もしかすると、多くは実際の知人だったのかもしれない。単発のツイートで写真をアップしようにも、何から手を付けたらよいのか分からなかった。工場夜景はやや反応が良かったが(いま思えばFacebookでも同じ傾向だった)、基本的には何をしても「凡打」を量産するばかりだった。大繩に入れないような日々が続き、意味のある出会いがあるようには感じられなかったが、それでも少しでも何かを掴むことが出来るよう、実験的に試行を繰り返した。

後から振り返ってみて分かった事なのだが、この時の自分はTwitterへの入口を全くもって間違えてしまっていた。「写真垢」と呼ばれる輪の中に入り込んでしまっていたのだ。そこは、綺麗なものを綺麗に撮りたい人たちの集まりだった。#PASHADELIC #東京カメラ部 などというハッシュタグがあるが、そこに居たのは、冷静に考えれば友達になれそうにない「カメラマニア」の人たちだった。HDR、とにかく明るいレンズ、極端な周辺減光、グルグルの星空、やたらと青い夜景、彩度の高すぎる夕景、色塗りした空、無駄にモノクロ化したストリートスナップ二年坂の夜景、東京国際フォーラム、忠霊塔と富士山。挙げ出せばキリがないが、こういった「マジョリティ」の世界の中で、僕は明らかに場違いだった。

いっぽうその頃、ブログの読者が急激に増えた。はてなブログの「おすすめ」に1週間ほど入ったことにより、多くの人が流入してきたようだった。このバブルも追い風となり、開始から4か月程度で読者は100人を超えた。尤も、登録だけして殆ど読みに来ることのない読者が圧倒的大多数なのだが、それでも悪い気はしない。モチベーションは常に一定で、あくまで自分が満足するものを作ること、それに徹していた。

さて、凡打を量産していたTwitterだが、ここでも絶えず繋がりを増やす努力だけは続けていたので、3月末にはフォロワー数は400人を超えた。それでも、その多くが先述の通り「マジョリティ」側の嗜好の人間だった。しかし後から振り返れば、例えば廃墟の人、工場夜景の人、建築の人など、今も繋がりのある「こっち側」の人も現れ始めていた。

 

ブログは、2019年度の秋~冬の撮影分を記事に纏めるうちに3月が終わった。ちょうどこの頃から社会はコロナ禍に突入し、新たに外に出掛けて写真を撮るどころではなくなってしまった。冬のうちにブログの記事を書き残しておいたことで、それまでに考え、感じていたことを保存しておくことができたのは、とても幸運なことだった。

4月以降は、過去の撮影分を記事に纏めてゆく作業に着手した。2019年春の山梨・日立、2018年秋の磐越西線、夏の川崎夜景、そして五能線と青森旅行。一つ一つ時間軸を巻き戻しながら、過去へと遡る形で進めていった。

すると、5月を過ぎたころから、アクセス数がじわじわと伸び始めた。SEO対策を学んだ訳ではないのだが、記事のタイトルに少しだけ工夫をしたのが功を奏し、google、yahooの検索で、記事が上位にヒットするようになったのだ。今でもGoogleで「五能線 撮影地」と調べれば2件目にヒットするし、画像検索でも上位に複数の記事が出て来るから驚いたものである。6月には1日平均130程度だったPV数も、やがて300を超え、9月には月間PVが10,000を超えた。来客が増えるのは、想像していた以上に嬉しいものだった。しかし読者数は140程度で頭打ちになっていたし、コメントのやり取りをするような関係が構築できた訳ではなかったので、「友」の姿は見えぬままだった。

 

Twitterは相変わらず燻っていたが、それでも6月頃にフォロワーは600人くらいになっていただろうか。このあたりの記憶は定かでなく、記録もない。ブログが右肩上がりで好調なのに反比例するように、Twitterのモチベーションは下降する一方だった。単発の写真はどうせ凡打にしかならないので手を抜いて、ブログのリンクを貼ることが徐々に多くなってゆき、8月下旬にはとうとう単発の写真の投稿を止めてしまった。この時点でもはやTwitterは、ブログへの窓口としての機能としてしか果たさない状態になってしまった。

 

春から完全在宅勤務が続いていたが、6月には水戸の現地調査、日暮里での打合せ、7月に浜松出張、8月には大分出張、9月には長崎出張、10月には弘前出張が入った。その都度カメラを持ち出し、出張前後に一人旅を繋げ、人を避けながら写真を撮りまくった。ブログには2017年度までの撮影分を纏め切り、8月下旬からは新たに撮影した写真を現像しながら記事に纏める日々が始まった。

しかし、それまでの数ヶ月間に渡って抑圧されていたこともあってか、とんでもない枚数の写真を撮影してしまい、これを記事にしなければならないという事態に陥った。紀行文は帰京後すぐに書き上げているので、記憶の保存という意味では大きな問題はないのだが、如何せん写真の現像は大変である。自分の目が肥えてきたので、納得がゆくクオリティに仕上げるために、以前より遥かに時間を要するようになった。その結果、7月までほぼ皆勤だったブログの更新頻度は、9月に入って激減。10~12月にアップできたのは僅か18記事だった。現像の負担の増加に、PV数が新規記事数に関係ないという事実、そして「未だ見ぬ友」が記事作成の先に現れる気配を感じられなかったことも相まって、完全にリズムを崩してしまった。

 

しかし逆に、転機が訪れた。ブログの更新頻度が落ちてしまったために、今度はTwitterで何かしたいと感じるようになったのだ。常にこの2つの媒体が自分の中で反比例している状態なのも興味深いものである。単発写真のアップも再開し、毎度おなじみの凡打を重ねた。しかしある時、尊敬する旅人ツイッタラーのツイートを見て、そこに「答え」を見た気がした。一連の長旅の写真を、自前のハッシュタグを付けて連投していたのである。1万人近いフォロワーを持つ人なので、一つ一つのツイートにも沢山の反応があるのだが、写真付きの複数のツイートを一連のものに纏め、ひとつの記録を作り上げ、他者と記憶を共有してゆくという方法の成功例を、それまで自分の周辺で殆ど見たことがなかったように思う(モーメント機能のようなものもあるのだが)。元々、1枚で人の目を引くような写真を撮れる腕もないし、そういうものを撮りたいとも思っていないので、この「連投」のスタイルは間違いなく自分に合っていると直感した。

すぐに実践した。自分のツイートにリプライをぶら下げてツリーを作る形で、1つの連続した記録を纏めることにした。折角だから、心の薄暗い闇が写真の隅々にまで顕現した、2014年の「象潟逍遥」をアップしてみた。すると明らかに、これまでの凡打とは違う感覚があった。1枚1枚で見ると平均の反応数は低いが、それでもこれまでより明らかに反応の量が多かったし、そして何より自分の満足度が高かった。この後も、某廃校、大津・長等3丁目など、同じようにアップ。こういった方法を取ることで、そもそも今までとは質の違う、自分の本来の呼吸に相応しいアウトプットが行えるようになった。

すると650人程度で頭打ちだった繋がりも、再び急速に広がり始めた。そして遂に、出会いたかった「未だ見ぬ友」の集団に辿り着くことができた。別府の夜の街の路地のツリーの筆頭ツイートに170人もいいねをくれるなど、1ヶ月前までは考えられないことだった。

その後もTwitterは軌道に乗り、フォロワーは1ヶ月で100人ほど増えるようなペースになってきた。中途半端にズレたセンスの人間の大したことない写真の垂れ流しで、大した情報もないのだが、正しい居場所で正しく自分に合った方法で呼吸活動をしていると、それだけでそれなりの反応がある。面白いし有り難いことである。

実際のところ最も重要なのは、こちら側からも「いいな、この人」と思える人がどれほど居るか、である。実際にリプライを送り合って,会ってみたい人間が今では何人も居るのだから、当初の目的の設定から考えれば大成功である。

そしてブログの方も持ち直し、今年に入ってからは週4程度の更新を保つことができている。昨秋の撮影分を今月中に何とか終えられそうな所までやって来た。ダイヤ改正でキハ40が引退したためか、五能線関連でアクセスしてくる人が激減。他の理由もきっと幾つかあるのだろうが、3月下旬からPV数が急落していてちょっと悲しい。折角ならばブログでも未だ見ぬ友と繋がれれば…とは思うものの、まあこれはあくまで自分のためという位置付けに変わりはないから、淡々と継続してゆけば良いだろう。

 

さて、次なる目標は何であろうか。

実際に会ってみる、というのは1つアリだと思う。概念としての他人がリアルになる時は、少なからず期待が外れたりするもので(そもそも「存在する他人」というもの自体がさほど好きではないのだから)、そういった幻滅は少し怖いが、感性だったり内面的な言葉だったりを互いに晒し、さらに言葉も交わしているのだから、そこに大きな齟齬は無いように思う。言葉と写真には、その人物がしっかり投影されている筈である。コロナ禍という難しさはあるが、これは一つ目標に据えておこう。

そしてTwitterで自分は何がしたいか。何だろう。承認されたい部分をしっかりと曝け出したいのだろう。そうするとやはり必然的に、単発の写真では表現しきれない。ズレた割にはそこそこ端正な感性、やたらと深くまで考え尽くす癖、薄暗さ、思慮深さ、ロマンチストで愛情深い部分、情報量と賢さ。

自然に振る舞っていては恐らく違った見え方になってしまうので、ここのズレ具合を上手く修正しながら、納得のいくアナクロフクロウを形作った時、その周りはどんな人が居てくれるのか。それを確かめるために、日々少しずつ動いていってみよう。

 

ずっと前から自覚していることだが、自分は全くもって真のヲタクではないし、何の分野のスペシャリストにもなれない、凡才である。備わっているのは、85点まで取れる学習能力と、85点を取るまでやり続ける執着心だけ。とことん1つの事を深掘りしている人に対するコンプレックスが強烈にある。だからこそ肯定されたいのが、「何と何と何について85点を取りたいという興味があるのか」という大前提としての感性と、さらにその対象と向き合った結果のプロダクトそのものだろう(すなわち一切の能力的なものは関係ない)。他人が何を承認されたくて生きているかなど分からないし、殆どの人からするとこの発言もまた「キョトン」なのかもしれないが、そういうことだろうと今は自己分析して思う。

そう考えると、もうちょっと頑張って100点を取った方がよいのかもしれない…。大きな目標として、仕事以外でこれを達成すること。頭の片隅に入れておこう。

 

自己満足はするが、自信はいつになっても無いままだろう。自信なんて持ったらお終いである。

五能線キハ40,最後の秋(24):大間越,海原と巨岩とキハ40と。

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屈指の絶景区間。 20.10.31 五能線 大間越~岩館

 


2020年10月31日(土),秋の五能線を追い求める撮影行の2日目。早朝から陸奥柳田~越水の「山線」区間で数々の列車を撮影。午後は岩館方に舞台を移し,小入川橋梁を様々なアングルで撮影。

▼一番列車はこちらから。

 

東八森で224Dを見送った後は,次の326Dまで少し間が空くので,この先の旅程のための下見を行う。まずは東八森駅の南側の陸橋へ。緩やかに右にカーブしながら南下してくる上り列車を仕留められるアングルだ。また逆を見れば,森を背にして築堤をゆく列車も,線路に対して左右両側から仕留められる。特段の障害物は無いので,326Dか翌朝の列車で訪れることに決めた。

土曜日なので誰もいない八峰町役場の駐車場で,車をUターンさせ,陸橋を再び渡る。101号に戻る途中で,自転車でゆっくりと坂を登る二人とすれ違った。年の頃からして,祖母と孫だろう。まだ14時台だが,夕陽に近い色調の斜陽を浴び,秋の枯れた景色を背に,その二人がとても美しく映えた。先程の象岩海岸での昼食の記事でも記したが,具体的な絵ではない,こういった体験が抽象化されて,安寧の記憶となるのだろう。少年よ,この平和な時間を忘れるなかれ。祖母と自転車を漕いだ記憶が実際にある訳ではないのだが,それを抽象化した際の空気感にどこか通ずるものがあったようで,咄嗟に自分の原体験・原風景のようなものを投影してしまった。自分までタイムスリップしたような感覚で,運転しながら胸が熱くなった。

続いてもう一箇所,下見に来たのは,鳥形駅の南側の陸橋である。ストリートビューでも確認してはいたのだが,実際に現地に来てみると想像以上に障害物が多く,撮影地としては及第点程度だった。積極的に選択するような場所では無いと判断し,これにて下見は終了である。

さて,次に深浦からやって来る326Dを,再び北上して迎えよう。どこまで行こうか悩んだが,あまり北に行っても却って撮影地が無くなるので,大間越付近で選ぶ。当初は中ノ澗崎を予定していたのだが,直前で吸い寄せられるように,ドライブイン福寿草の有名アングルに車を停めた。2年前の夏は,白いトップライトの下,これぞ盛夏の五能線!というような絵を撮ることが出来たのだが,今回はそのバージョン違いとでも言おうか,これぞ清秋の五能線!という絵に期待しての撮影だった。山肌の緑の色も違えば,太陽光の角度も全く違うので,とにかくすべての色が夏とは異なっている。これだけ豹変できるというのは,舞台自体のポテンシャルが極めて高く,素晴らしいものであるということだろう。

同業たちが既にベストポジションに陣取っていたので,自分は彼らよりも右側,101号に近い側に立ち,望遠レンズと標準レンズをそれぞれ付けた2台を準備して待つ。太陽は,ここでも味方してくれた。

 

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豆粒ほどの列車が,ゆっくりと海岸の橋梁に姿を現す。

 

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海は広く,岩は巨大,そんな雄大な自然の中に鉄道車両はちっぽけな点景で,人間の姿などはどこにも見えない。
 

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一度視界から消え,再び山肌の中腹付近に白い側面を見せる。穏やかな海原と,巨岩と,枯れた斜面に,相変わらず豆粒ほどの鉄道車両。このスケールこそが五能線の魅力である。

 

その25(東八森,オレンジ色の夕べ)へ続く(※近日更新予定)。

 

 

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五能線キハ40,最後の秋(23):東八森発車,たまには編成写真を撮影。

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長閑な旅。 20.10.31 五能線 東八森~沢目

 


2020年10月31日(土),秋の五能線を追い求める撮影行の2日目。早朝から陸奥柳田~越水の「山線」区間で数々の列車を撮影。午後は岩館方に舞台を移し,小入川橋梁を様々なアングルで撮影。

▼一番列車はこちらから。

 

岩館発の224Dを,小入川橋梁を遠望する撮影地で仕留め,直後に線路際で「顔」を撮ったが,ここで諦めないのが今回の撮影のしつこさである。八森方面に向かって追い掛ければ,十分に先回りが可能だ。早々に車を出し(予め発進しやすいように停めておいたのは勿論である),南下を始める。すると程なくして,ススキに覆われたあきた白神駅に停車している224Dを追い越すことができた。引き続き速度を保ち,リードを広げてゆく。幾つかの候補で迷ったのだが,最終的には東八森駅の南側にある踏切までやって来た。先客が1名居たので,その横に陣取らせてもらい,ビデオ用に三脚をセッティング。依然として光線状態は申し分ない。列車の通過まで2分ほどの余裕があっただろうか。陽光はゆっくりと加速するキハ40の車体に存分に降り注いだ。

 

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低く和声的なディーゼル音を響かせて,舞台に登場。

 

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存在感。編成写真もたまには良いだろう。

 

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枯草と,枯れ始めた山,角度の低い太陽光。流石に手前の田圃の稲穂は刈られてしまっていたが,それでも秋の清澄な空気が感じられるアングルだった。

 

その24(大間越海岸,海原と巨岩とキハ40と)へ続く。

 

 

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五能線キハ40,最後の秋(22):小入川橋梁,晩秋のスペクタクル。

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スペクタクル。 20.10.31 五能線 岩館~あきた白神

 


2020年10月31日(土),秋の五能線を追い求める撮影行の2日目。早朝から陸奥柳田~越水の「山線」区間で数々の列車を撮影し,一気に大移動して小入川橋梁へ。さらに追い掛けて,ガンガラ穴横を経由し,再び小入川橋梁に戻って来た。

 

223Dの撮影を終えて,同業を横目に,そそくさと退散する。同じアングルを繰り返すのは流石に勿体ない。岩館で折り返してくる224Dから南に逃げ,別の撮影地を目指す。八森界隈まで退却してから迎え撃つ作戦だ。

この移動の際,岩館駅北側の踏切を越えて101号に戻るのではなく,漁港から南東方向に抜け,あきた白神側で101号に合流する道を走ることとなったのだが,ちょうどこの途中に,2018年夏,遡れば2013年晩冬にも訪れた,小入川橋梁を斜めから遠望する撮影地がある。ここに10名弱の同業者が居るのが見えた。咄嗟に橋梁を見遣ると,実に良い光線状態で,紅葉も美しい。一度は通過したのだが,パスするにはあまりにも惜しい大舞台だった。意を決してUターンし,224Dの撮影を決めた。

紅葉に色付いた里山を画角に大きく取り入れて,いざ列車を迎えよう。

 

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大舞台には,鋼鉄車がサマになる。

 

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秋盛り。

更に二度おいしいのが,この撮影地。若い同業に続いて2番目で,道を渡って線路際の空地に小走りで移動し,山を背景にした縦構図で再び迎え撃つ。

 

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こちらも所謂「バリ順」で,良い絵を得ることが出来た。

 

その23(東八森で,たまには編成写真を撮る)へ続く。

 

 

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五能線キハ40,最後の秋(21):岩館・小入川橋梁,秋晴れのサイドビュー。

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映画のように。 20.10.31 五能線 あきた白神~岩館

 


2020年10月31日(土),秋の五能線を追い求める撮影行の2日目。早朝から陸奥柳田~越水の「山線」区間で数々の列車を撮影し,一気に大移動して小入川橋梁へ。さらに追い掛けて,ガンガラ穴横で2531Dを仕留めた。 

 

ピクニックを終え,再出発。日向に置いていた車は随分と暖まっていた。再び南下して,目指したのはまたもや小入川橋梁である。今度は海を手前に入れたアングルを試みる。陸奥岩崎陸奥沢辺の漁港の防波堤と同じ感じだろうと思っていたのだが,いざ現地に着いてみると,釣り人が何十人も居るではないか。そして防波堤にはフェンスがあるのだが,その向こうにも20人くらい釣り人が居る。ここから先は「自己責任」の世界,先人の動きに倣って先へと進む。真っ青な空に雲は無く,空を映した海もまた青い。完璧な光線状態であった。釣り人に紛れて同業も数人居たように記憶している。三脚を立ててビデオも回し,万全の体制で撮影。

 

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岩館行の223D,ゆっくりと空を泳ぐ。

 

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長閑な昼下がり。

 

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雄大な景色の中で,2連のキハは小さな点景となる。。

 

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晩秋の一コマ,まるで映画のようなホワイトバランス。

 

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穏やかな秋の午後,心温まるワンシーンだった。

 

その22(小入川橋梁,絶景遠望)へ続く。

 

 

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