或る紀行文(3)
■K
海岸線を伝って県境を越えることができないので,市街の北東端に戻ってから,再び北東へと上ってゆく。時間の関係上,当初計画では車で集落内をゆっくりと走るくらいに留めようと思っていたのだが,一度勢い余って目的地を通り過ぎた挙句,集落内の道は小型車でも通行不可能なほどに細かったので,急遽きちんと歩くことにした。
神社の境内に立つ大銀杏,少しピンクがかった茶色の中塗り仕上げの土蔵,犬と鶏の声。南に広い耕作地を有する集落は,全くもって海の存在を感じさせないものだった。






■O
前夜の就眠前に最後の予習をしていたとき,急遽ピンを足した場所だった。しかしUからの移動でタイムテーブルからの遅延が20分ほどに拡大していたこともあり,少しずつ焦りが出ていたので,その事をすっかり失念していた。Kの集落の風景を目から記憶へと直接焼き付けてから程無くして,峠道の雰囲気に変わった。このまま越えて海に抜けるのかと思っていた矢先,景色が開け,その奥に茅葺屋根の立派な旧家が並んでいた。運よく車を停められる場所もあり,しばし眺める。後にして暫く経ってから考えてみて,此処こそがO峠に位置するOの集落だったことに気付いたのだった。


■T
公衆トイレ脇に車を停めさせてもらおうと思っていたのだが,その手前,漁港への入口でおばあさん二人が椅子に座って談笑していた。どうやら,釣客から漁港清掃金を回収するなどの目的があってそこにいるようだった。写真を撮りに来た事を告げると,すぐ近くに車を停めておいてよいと許諾してもらえて,有り難い限りだった。
集落には立派な木造の舟屋があった。2階建で建ち並ぶのに,隣り合う建屋は構造的に分離していて,造りもばらばら。その人間味のような揺らぎが,見る者を惹きつけるのだろうと思う。舟屋の前の波打際でウミネコの群れが寛いでいたが,集落の舗装道にも一羽,はぐれたやつが居て,まるで猫のようにずっと道路を歩いてゆく。左に曲がる道を綺麗に歩いて曲がり,こちらの視界から消えてゆくまでの流れが,あまりにも「非鳥類的」で,笑ってしまった。
裏道の多い集落で,悉皆的には歩けなかったような気がする。舟屋や目抜き通りは勿論,小さな川に沿う細い道,川に架かる水管橋の歩行防止柵に干された軍手たちは,強く視覚から記憶されたように思う。河口に集い激しく水浴びをするウミネコたちが実に気持ちよさそうに鳴いていて,何とも微笑ましい光景だった。
ストリートビューからも確認できる「完全に外から丸見えの男子小便器」で用を足し,漁港を少し覗いてから,街を後にした。








■N
今回の行程の中で,計画段階の遥か前から,いつか探訪したいと思っていたのが此処であった。此処を知ったからこそ,7月そして今回,湾沿いの集落を悉皆的に巡るという一つの大目標を達成すべく,探訪する経緯となったと言って良いだろう,そんな「念願」の場所であった。
Tから一本道を北上し,集落の少し手前に車を置くと,海にせり出したすぐ傍の空き地から,その全貌が木の枝の下,入江の向こうに,ほぼ真正面に見えた。エメラルドの海,小さな漁港の奥,山裾にへばりつくようにして建ち並ぶ家々。此処もまた,県境でこそ無いが,奥へと続く道の無い,最果ての地なのである。その文脈の尊さ,とうとう訪れるに至ったのだという感慨,そして感性に充満する美しさに,込み上げてくるものを感じた。此処は間違いなくまた来ることになるだろうと直感的に口走っていた。漁港に下りてゆく途中には,ナンバープレートを外された軽トラが何台か棄てられたように停められていた。
港町は東に向いており,西側には斜面が続くので,集落には影も落ちているのだが,海岸線には13時の光が穏やかに降り注いでいた。入江の波はとても穏やかで,水はこの日に見た海の中で屈指の美しさを湛えていた。釣りは原則として禁止されているらしいが,漁港の人払いは比較的緩やかだった。木造平屋の舟屋は今はガレージとして用いられていて,その中でラジオを聴きながら漁具の修繕をしている方がいる。奥に行くにつれて道幅が狭くなる路地があり,その入口付近にある物干し竿には漁網が掛けられていて,その一箇所からのみ,磯の香りが漂っていた。
空撮を見ても道の様子が分からないほど密集した家々の間には,海岸線に直交する方向に3本の路地が走っていた。北から順に巡ってゆくと,鮮やかな黄土色の蔵が印象的だった。11月下旬にしては暖かい昼下がり,いつものように足音を立てぬよう歩いてゆくと,テレビの声が漏れ聞こえてくる。奥の神社に参詣した後,3本目の路地に入ると,集落の最奥には禅寺がある。或る有名な事件の犯人で有名な場所であるが,「寒村」などと描写されるこの場所は,確かに宝形屋根を戴いた仏堂は小さく質素な造りだったものの,決して寂しい場所ではなかった。杖をついた老爺が集落から上ってきて,二言三言を交わしたが,会話はきちんと成立していなかったように思う。老爺は境内にあった軽トラに乗り,両脇20cmほどしか残らないほどの狭い道を,確かな運転技術で下っていった。
景色は終始,暖かい秋の光,鮮やかながら穏やかな褐色に満ちていた。Uの集落が山に寄り掛かっているのに対し,Nは山に護られているような印象だった。招かれざる余所者を,この土地は素直に迎え入れてくれたような気がした。
しかし季節を変えればUと同様,"sublime"の概念そのものが存在していることは自明である。最後にもう一度,入江の対岸から集落を見返してみて,いつか再訪するならば,厳冬,強い孤独を増幅させて携えてみたいと思った。








■N2
NからTへ戻り,O峠の手前で西に折れて暫くゆくとN2に着く。Nの集落はN岬の東側にあるので,既に集落には山の影が落ちつつあったが,N2はそのちょうど裏側にあり,午後の光が充満していた。明るい道を歩いてゆくと,カメムシに何度も襲撃された。どうやら今秋は全国的に大量発生しているらしく,地元の方に,背中に付いたカメムシを払ってもらったときは,上着に匂いが残らないかと少しヒヤッとした。
集落には海水浴場があり,夏期旅館,年中民宿も多数存在していたが,果たしてその何割が現役なのか,季節外れの探訪では知る事はできなかった。町の構成は比較的単純のように思えたが,後から振り返ると歩きそびれた道があったことに気付いた。
天日に干された魚の切身,シラスから砂を取り除く人,舟屋の中に干された大根。堤防や防砂ネットが無いからか,海風に乗った砂が海岸線沿いの家屋に届いていたのが印象的だった。ここから先,面しているのは基本的に外海であり(対岸はIになる),空が広く,その砂の色や光の色も相俟って,とても乾いた印象を受けた。











■O
まさかの読み方に驚かされた。集落の入口,緩やかにカーブしたY字路の分岐からして美しかった。O海岸は,この日一番の美しい海岸だった。集落は道が複雑で歩きごたえのある雰囲気。やはり道が美しかった。
N2を過ぎたあたりから,いよいよ日没時刻を意識する必要があり,少し心が忙しなくなってきていたが,陽の光の色がどんどん濃くなってきて,秋の色が鮮やかに見えた。






■M
Oとほぼ連続した集落である。此処にも多くの民宿が存在していた。光線は既に大きく傾いており,鮮やかな直射を浴びられるのはここが最後になるかもしれないなと思った。夕方の犬の散歩をしている方と挨拶。裏道は想像していたよりもはるかに細くて美しく,歩いているだけで嬉しかった。幾つか点在している魔除けも印象に残った。
扉に付いたカメムシをうんざりしながら大声で数えているおじさんの事を,いつか複数のカメムシを同時に見た時にまた思い出すのだろうなと思った。







■S
Mから林道で直接向かうには道が悪く,時間のロスになるため,一度大きな橋の西端まで南下し,Oを経由してSへ向かった。発電所の巨大なタンクと煙突に圧倒された。
既に陽光は西の山の向こうに隠れていて,少し風が冷たくなってきた。浜には大小さまざまな円礫が並んでいて,敦賀の立石を思い出した。集落の中では綺麗な猫としばし戯れた。その先には茅葺屋根の旧家と神社があった。
砲台跡は行程の関係上,初めから断念していたが,灯台だけはとても気になっていた。山の尾根の向こう側にあるので,Sからは見る事が出来なかった。だからこそその姿を一目見たく,登山道からのアプローチを考え,かなり迷ったのだが,上ったところで灯台を西側から眺める事ができなさそうであることを知り,断念。当初計画通り,集落をあと2つ巡る事に決めた。




■O
Sに向かう際,大橋からのルートを選んだので,SとOのどちらを先に訪れるべきか,とても悩んだのだった。Oでも既に対岸の山に日が隠れているだろうと判断し,Sに向かってしまったのだが,結果としてこれが誤りだった。SからOに戻ってくると,ぎりぎりの太陽光が差し込んでいた。しかし車を停めて集落に戻ってくる数分の間で,光が失われてしまったのである。対岸の尾根からの距離を冷静に考えれば,Oの方がはるかに陽光の恩恵を受けられる場所だったので,先に探訪すべきだったのだ。久しぶりに強い後悔が残った。
集落は小さく,コミュニティセンターだけが不自然に大きい。北側の階段を登ると,白いビュイックが鎮座していて,そのさらに上にのぼると,漁港と集落を俯瞰することができた。蔵の並ぶ道が綺麗だった。







■C
どうにかタイムテーブル通り,最後の集落に到着した。既に夕暮れも中盤,辺りは薄暗い。辿り着いた安堵感で心の緊張が解け,何となく一日のクールダウンのような散策になった。野焼きの匂い,穏やかな時間。N漁港で折り返し,LEDライトの蕭然と点った細道を歩き,最後は雲に映る仄かな桃色の残照を湾越しに眺めると,16時56分,防災無線の「赤とんぼ」が鳴った。
短い余韻の消えた頃,車に戻り,もう一度気を引き締めるためにガムを噛みつつ,起点駅へ帰った。無事に給油を終え車を返却。走行距離5000km強のヤリスにとっても,恐らく初めて見る景色ばかりだっただろう。








■エピローグ
駅前食堂がまさかの休業日で,最後の最後に翻弄されたが,どうにかコンビニに寄り,焼きそば屋で夕餉にありつき,帰京のための終電にあたる特急に飛び乗るようにして,この街を後にした。車両の巡り合わせは全くもって予想外だったし,途中で方向変換することを忘れていたので,最後列ではなく実際は最前列の座席だったのも想定外だった。途中駅では他の客に交じって併結シーンを少し撮り,この日の撮影をすべて終えた。ハイボールでふにゃふにゃになりながら新幹線に乗り換え,その車中ではレモンサワーで追い打ちを掛けると,3日間酷使した身体は芯を失った感じがした。しかし恐らくガムの影響でなかなか眠くならず,いざ微睡むと車を何処かにぶつける映像が侵入思考のように脳裏を過り目が覚める。途中駅からの乗客の声の大きさに座席を少し移動したりして,何とか時間をやり過ごした。最後の30分ほどは流石に眠っていた気がする。
東京駅に到着し,伊勢鈴蘭のポスターを見るためにわざわざ八重洲北口まで移動して途中下車し,再入場して帰路に就いた。