梟の島

-追想の為の記録-

或る晩春の紀行文(1)

 
晩春の朝には,夜という黒色の衣裳を一枚ずつ脱がせ,世界の青白く透き通った肌を露わにしてゆく官能の行程,謂わば前戯が存在せず,提示された視覚情報に性的積極・消極のいずれも感じ取ることができない。たとえば4時よりも前に起きてみれば少し印象は異なるのかもしれないが,そういった光量の絶対値の問題ではなく,性質として無感動で,無粋にすら思える。この日も例に漏れず始発を狙い,4時半に目を覚ますと,窓の外にはただ衣服を脱がされただけの裸体としての朝が在った。

東京の気温は18℃。今日の目的地の最高気温の予報と等しい値である。

 

3月下旬からの2ヶ月余り,出張のためにX番線からの出発を三度ほど繰り返したが,その度に,X+1番線は己の背中に強い引力をはたらかせてきた。いよいよ3ヶ月ぶりに,その引力に身を委ねる時が来た。

自由席は想像よりも混んでいて,三人掛けの通路側C席が満席になった。窓際の席を辛うじて確保し,カーテンを下ろして朝日を遮り,暫くは睡眠に充てた。

晴天の予報だったが,関東を抜けても空には分厚い雲が広がっていた。目的地のひと駅手前から家族連れが乗り込んできて,ひとつ前の列に座った。目の前の席で窓に顔をつけて外を眺める少年が,昂奮を抑えきれずに「いろんなものがみえる」と口走ったとき,己の記憶の中にある相似の感情が,遠く深くから想起されたような気がした。

ターミナル駅の階段を降り,急いで路線バスに乗り換えると,運転士が乗客の車椅子を座席に固定しているところだった。日常を知らない立場からすると判断は必ずしも出来ないが,車内はこの時間にしては混雑しているように思われた。途中の停留所で下車し,社宅の脇を抜け,まっすぐに海岸へと歩く。中心街の散策はまたしても後回しである。相変わらず予報に反して,白い雲が空を覆っていた。風はなく,空気は気温の数字に比べればそれほど冷たくは感じられない。 

 


 

松並木を抜け,Y浜で海に対峙する。

きちんと護られた海岸の向こう,白い曇天の下には,澄んでも濁ってもいない,無表情の春の海があった。舗装面に激しい凹凸のある駐車場には,釣客の車が並んでいた。

己の目がただちに景色の中に悲愴を探し始めるのを感じた。 

 


 

国道の陸側にはニセアカシアの並木がすずなりの花を咲かせている。数株のハマナスが,色鮮やかで頼りない造りの花弁を風に靡かせている。シャリンバイは甘い芳香でその存在を強く主張し,その先の砂浜の縁にはドイツアヤメが一輪,孤高のままに俯いて枯れ始めている。人間の気配が無くなり,構造物も数少なく,意識が自ずと花々に向かうのが心地よかった。

S浜に着くと,雲の切れ間からようやく太陽が顔を覗かせたが,陽射は5分と続かなかった。オフシーズンの海の家は,視覚的には謂わば季節限定の廃墟であり,その寂れ具合から夏の活況を想像することが出来なかった。ペンキ塗りのけばけばしい壁面が,却ってその虚しさを強調していた。実際にその何割かは廃屋と化しているようにも思われた。二人組が何らかの木材を解体して,砂浜に掘った低い穴の中に放り込んで燃やしていた。

 


 

さらに歩いてゆくと左手に気になる建物が見えてきたので,海岸通りを離れて近付いてみると,それはSという名の団地であった。国道から少し山側に入ったところに,4階建,2階建,平屋の順に,古い鉄筋コンクリート造の建物が並んでいた。

2階建棟の1階には玄関の扉が等間隔に並び,その手前にはコンクリートブロックを積んだ鉤型の目隠し壁がある。2階の壁は鮮やかな新緑に覆われており,窓には山吹色のコンパネの目張りが施されていて,千葉県某所の団地を彷彿とさせた。この棟にもう誰も居住していないのは一目瞭然である。2階建棟の右手前には広場があって,恐らく誰も遊ぶ者の居なくなった公園遊具の周りには,オオキンケイギクの鮮やかな黄色い花が隙間無く咲き乱れている。平屋棟の間の道を,青い清掃車がオルゴールを鳴らしながらのんびりと走り抜けてゆく。コンクリートブロックの塀の短い切れ目を,紺色の水平線が繋いでいる。

いつしか空の雲は流れ,高い陽射が降り注いでいた。数分前までは存在すら認識していなかった,儚くも美しい空間との邂逅に,しばし忘我して佇んだ。

 

道端で立ち話をしていたおばあさんとおばさんは,あたかも知己であるかのように,己を自然に会話に迎え入れてくれた。

此処は昭和30年代の地震災害の後に,避難住宅として建てられたという。地震災害の直後の建築なので頑強な造りをしているらしく,壁が分厚くて後からエアコンの配管を通せなかったらしい。各戸まちまちの意匠の,前庭に迫り出した軽やかなバラック様の増築部分が,堅牢な本体と質量的な対照を成していた。玄関の扉の前に鉤形に造られた特徴的なコンクリートブロックの袖壁は,風避けのためのものであった。

団地には今,殆ど人が住んでいない。特に2階建棟は,庭の樹木に完璧に飲み込まれたような風貌の1世帯の他に人はないという。平屋棟に住んでいるおばあさんは,「こうしていないと人が住んでるように見えないから」と,自身の家の向かいの,廃屋となった平屋棟の庭に,可愛らしい花壇を作っていた。本当は自分の敷地ではないところに花壇を作るのは駄目だと自治体の人間に言われたことがあるらしいが,誰も何らかの効力をもってその善意の行動を制限できないし,決してすべきでもないだろうと思った。

「市の人は我々の事なんか忘れちゃったんだろうな」と落胆していた。このような散策にあたり,自棄の言葉を聞くことは少なくないが,この大都市の圏内に,忘却への諦念に苛まれる場が存在していることは,少なからず衝撃的であった。住人が居なくなったら更地にして,松林にする計画もあるらしい。

先日,太陽フレアがニュースを賑わせたが,その日にオーロラが見えたのだと言って,おばあさんはスマホの写真を見せてくれた(その写真が横ではなく縦構図であったことにまず違和感を抱いてしまった事だけは,此処に懺悔しておく)。水平線のすぐ上の空が燃えるような赤色を呈していたが,それが夕焼けの残照なのかオーロラなのかは判別できなかった。それが仮令どちらだとしても,彼女がオーロラだと思うのであればそれで良かった。4階建の棟に住んでいるおばさんはその「オーロラ」には気付かなかったらしいが,普段から海が美しく見える立地で,特に夕方は景観で有名なS温泉のような眺めなのだと誇らしげに言っていた。(その口ぶりに微かに含まれるように思われた,高層階から低層階へ向けられた無自覚的な優越感は,己の心の穢れが己だけに聞かせた虚構だったのだろうか。)

積雪はほとんど無いが,冬は特に風が厳しく,車の扉の開閉にも気を遣うという。これまでに何度も,秋のうちに引越してしまおうかと思ったらしいが,「やはり住めば都だね」と言う。聞き慣れた言葉ではあるが,酷烈な環境で生き続けて来た人の口から聞くと,その響きがしみじみと胸に広がった。

徒歩で訪れた珍客に向けて優しい労いの言葉を残し,おばあさんは家に戻り,おばさんは自転車で買い物に出掛けていった。

花と海と新緑と陽射に飾られた,晩春の優しさだけが,まっすぐ伸びる閑寂の道に柔らかく残されていた。

 


 

S公園の展望台で曇天の景色を眺めながら休憩し,パンを食べた。気付けばまた空が曇っていた。眼下にあるタコの形をした公園遊具は,数組の家族連れの賑わいの中にあった。陸側を見遣れば,「島」の内側であり(S公園が北西の頂点にあたる),S団地の風景とは対照的に,ここが大都市の一部分であることをはっきりと再認識させてくれた。完成から半世紀が経った分水(竣工までの紆余曲折をwikipediaで読むと興味深かった)の大堰を超え,寂しい旅を続けていった。

 


 

船小屋の中に,ワッカちゃんというハチワレ猫の体重が増えすぎているから皆で気を付けてほしい,という主旨の張り紙があった。微笑ましい内容でありながらも,1月で更新が途絶えているのが少し寂しかったが,みな健康で居てくれているだろうか。

 


 

この先,砂浜の中には埋もれた消波ブロックがあり,その狭間に空隙がある場合,上を歩くと陥没する危険があるらしい。万が一を思うと少々怖かったが,立入禁止の表示の脇を当たり前のように抜けてゆく釣り人の足跡に従い,A海岸の先へ歩いていった。アルビノのドバトとおぼしき白い鳩が,二羽のドバトと一緒に飛んでいった。

N砂丘は想像以上に幅が広い。浜辺から陸側を見上げると砂の斜面が高く聳え立ち,海岸線と平地とを完全に遮蔽していて,春の騒擾からも隔絶されているような感じがする。人の気配,生命の気配に乏しい,大きな砂色の空間に立ち,ただただ清々しい気持ちになった。此処に有るのは寂寥というよりは廓寥である。植物は点在しているが,浜の緑はあくまでも虐げられながら辛うじて褐色に根を下ろしている。生と死とが隣り合わせに共存しているようにも見え,その割合からすると,死に虐げられながら生が辛うじて存在しているような感じがして,とても好ましい。或いは生の気配が完全に絶たれた真冬にも来てみたいと思った。

そんな死の色を濃く呈した世界にも,静かにして見ていればたくさんの鳥が居ることに気付かされる。近くを歩いていたハシボソガラスに向かって「よう,黒い仲間」などと話し掛けてみる(言わずもがな,自分は黒いTシャツとパンツで歩いていた)。駐車場から遠い場所に釣人は無いから,誰の視線も気にする必要はなかった。積極的孤独による解放感は,寧ろ開かれた土地でのみ享受できるものである。

浜から少し離れたところに,トタンに覆われた漁具小屋が幾つか並んでいた。意図的に浜辺を避けるようにして建てられているのが不思議だった。それらを撮影してから,海岸線に戻るために,植物の侵略も砂紋もない,まっさらな砂丘の谷を選んで歩いてみた。見掛けに反して実はこの砂は柔らかいのではないか,一歩間違えれば砂に足を取られて動けなくなるのではないか,そしてやがては細砂に全身を飲み込まれてしまうのではないか…そんな妄想を掻き立てられ,小規模ながらも明らかに生命の来訪を拒絶しているように見える空間に身震いがした。結局は何事も無く砂の谷を抜け,その先の尾根を越えた後,浜辺に下りる斜面では愛機の標準レンズを望遠レンズに付け替えて,ハマボウフウの花などを,砂の上に伏せるように座り込んで撮影した。

 


 

K浜を抜けたところで海岸から離れ,コンビニに寄った。長らく砂浜を歩いてきた所為か,まだ正午なのに既に異様に疲れていた。風に飛ばされかけたビニール袋を走って追い掛けて取り戻し,駐車場の柵に寄り掛かってホットスナックを食べた。

休憩後は再び浜に戻り(なぜ疲れているのに厳しい方ばかりを進んで選んでしまうのだろうかと自分に呆れた),I方面へ歩く。陽射が無いと風が冷たく,汗はかいているが肌寒いので,カーディガンを着ることにした。忙しなく回転する2基の風力発電の小さなブレードを左手に見ながら,西南西へ黙々と歩を進めた。次のN海岸は特に景色が平たく広く,浜と海と空が視界の大半を占めていた。蘇った陽射が一面を白く光らせ,むしろ生の気配を消してゆくようだった。広大な砂浜にぽつんと生える小さな植物を見下ろして,そこに己の姿を投影してみたりした。波打際にはデッキチェアを据えて寛いでいる男性が居た。よれよれと進む謎の歩行者の後ろ姿に,彼は何を思っただろうか。

 


 

I浜の傍らに,産業廃棄物の最終処分場があった。砂の中に大きな穴が掘られ,その縁に傾いて停められた2台の重機が,穴の底の廃棄物を見下ろしていた。穴の斜面には,ハマヒルガオが悲しげに,震えるように揺れていた。陽光が憐れんでいた。薄いピンクの可憐な花たちは,まるで処分されるものたちの最期を飾る献花のようであった。この花を己の棺の中にも入れて欲しいと思った。

その少し先の,行き止まりに並ぶ漁具小屋の廃墟たちや,酷く錆付いた重機も,無常を心に強く訴えかけてきた。暗澹とした感情をゆっくりと咀嚼してから,一の町を散策すべく,海岸を離れた。

 


 

砂浜と集落を結ぶ細道が国道をくぐると,その向こう側の景色の美しさに,思わず感嘆の声が漏れた。褐色に見慣れた目に,晩春の生きた色がどれほど鮮やかに感じられたことか!色温度の低い青空を背に,アオダモの若い葉と白い花が眩しく映えた。

集落は,道の作りが古く煩雑だったが,建物は更新されているものが多い印象だった。共同住宅も点在していたが,これは大学が近いのも理由の一つかもしれない(最寄駅まで徒歩数百メートルの立地である)。青みがかった灰色の瓦が印象的だった。最後にひとつ,坂道の脇に建つ素敵な木造の小屋に出会えて嬉しかった。

そのまま二の町まで,内陸の道をゆくことにした。I住宅という団地には5階建棟が3棟,並列に建てられていて,特に奥の2棟には昭和40年代の建築のような雰囲気が感じられた。居住者はかなり少ないようだが,それでも駐車場に車は停められており,脇の公園にも人の気配があった。立地がやや不自然なだけに,どこか共産圏のような空気すら感じられ,壮観だった。

二の町のコンビニでアイスを頬張った。複雑な道を出鱈目に歩いてみたが,概ね一の町と似た印象だったので,視野を狭めつつ,古さを今に残す景色だけを拾い集めていった。この時点で,海岸から距離のある三の町の散策は割愛することに決めた。

 


 

集落を離れI浜の西側から,よく整備された漁港の脇を抜けて,U大橋を渡る。広すぎる歩道からは,墓地,漁港,その奥に拡がるUの町を一望することができた。寂しい海岸は此処でもまだ都市に程近い場所にあるのだと,改めて認識させられた。

U浜はサーファーの為に良く整備されていた。大橋から浜へ下る道がかなり遠回りになるので,国道の法面を無理矢理下りて短絡し,そのまま海岸沿いの小道を西に歩いた。雲はみるみるうちに吹き飛ばされてゆき,南中をとうに過ぎて高度の落ちてきた陽光は,まるで盛夏のような色調と深いコントラストで海景を染め上げていった。程無くして海を見る六地蔵に出会った。この地方の海岸線をかなり歩いてきた中でも類例の記憶が無く,集落からも遠い,人の往来を前提とされていないこの道に存在していることが不思議で,とても驚かされた。お供え物の様子を見るに,今も大切にされているらしい。目を閉じて手を合わせ,この旅の無事を,そして一帯の海岸の平穏を祈った。

 


 

横に逃げ道の全く無い海岸線で人とすれ違う時には,あらぬ想像を逞しく膨らませすぎて少し緊張したりしたが,恐らく彼らは散歩する地元民で,よれよれと歩く此方の存在にむしろ戦々恐々としていたのかもしれない。気持ち良く晴れた海岸からは,曇天の時とは打って変わって「生」の匂いがした。

海岸から離れ,U町の集落へ入った。Iとは少し異なり,昭和の香りが濃く残っていて,想像していたよりも遥かに「好み」の雰囲気だった。古家の下見板が,強い西陽を反映して眩しかった。夕暮れの気配をほんのりと感じさせる陽光が,景色を構成するひとつひとつの要素を黄色く強く照らしていて,小集落と季節の持つ美しさを最大限に引き出していた。未舗装の坂道を上ると,筋交いの露出した木軸にセメント瓦を葺いた,壁の無い小屋が,すぐ傍らの大木の青々とした葉を支えているように見えた。その奥には,海へと下る傾斜地に小さな畑があって,細い葉の列の間に造られた高い畝の影が,黒く深く,茶褐色の地面に縞を描いていた。ヒバリが2羽,仲良く啼きながら飛んでいった。

 


 

海岸に戻ってみたが,砂上を行く道がいよいよ途絶えてしまった。延々と続く海岸線に一つの「果て」がある事を知れたのが嬉しかった。暫く松並木の内側の県道を歩いて,再び海岸に出ようと試みたが,此処では立入禁止の表記に逡巡し,砂浜に戻ることを諦めた。陸側に切れ込み,巨大な太陽光発電所のソーラーパネル群の間の舗装道を抜け,U町からYの集落へ歩いていった。

Yは,比較的整然とした造りの集落だった。傾いた太陽光線が,差すような角度で景色に陰翳を与えていた。万物が自動的に,必然的に美しく見える時間であった。散策のタイムリミットが迫りつつあったので,昨夏に到達した最東端の地点までは行かず,Y浜海水浴場で海を見納めにして内陸へ進路を変えることにした。

海岸は階段状のコンクリートに護られ,かなり整然とした印象だった。低い夕陽が,まるでホワイトバランスを誤ったかのように,全景を黄褐色に染め上げた。南西の海岸線を望むと,昨夏に対岸の島影のすぐ脇に沈む日没を見送った無辺の砂丘が,E浜まで続いていた。その左手に聳えるYの山塊の輪郭は,橙の空と大地の黒をはっきりと隔てていた。眼前には,望んだ夕景そのものがあった。

本当はこのまま暗くなるまで,刻々と変容する海と空を眺めていたかった。名残惜しさとともに海岸を後にした。

 


 

最後にYの集落の西側を掠めるように歩き,海岸から4kmほど離れたE駅へと向かった。少し変わった柄の透かしのあるコンクリートブロック塀や,錆びたトタンに押さえられた倉庫の壁が,暗くも鮮やかに染まりながら,限界の斜光線に別れを告げていた。

予定通り日没時刻の少し前にKの集落を抜けると,田園地帯に出て,前方の視界が開けた。時間の関係で海を離れざるを得ないが,夕刻を無駄にはしたくないので,せめて黄昏の空を田圃の水鏡に映して眺めたいという,晴天への期待を存分に込めた計画であった。既に直射は失われていたが,空には淡桃色が広がっていて,その色が東側の山際にまで伸びていた。いかにも晩春らしい,涼やかな,柔らかな夕刻,といった印象であった。風は凪いでいるが,植えられてから恐らく3~4週間ほど経ったであろう早苗には黒々とした存在感があり,また田圃の水位も低く下がっていたため,水鏡は期待していたよりも曖昧で不明瞭なものであった。不審な探訪者を認めた青鷺が,嗄れた声で恨めしそうに啼きながら灰色の空に飛んでいった。

 

 

夕方が寂しいのは,今日の終わりを明示される事で,大切な人との別れがまた一日近付く事を直視せざるを得なくなるからだったと,幼い頃に己を支配していた恐怖に近い感情の原因をふと思い出し,ゆっくりと浸った。夕暮れに死と生を見て育ち,己の精神はある点においてそのまま今日に至っているのだと改めて覚った。

淡く穏やかに焼け残った空は,やがて涼風の中をブルーモーメントに沈んでいった。

 


 

列車の発車時刻に対し,ある程度の余裕をもってE駅前のコンビニに到着した。今日の宿泊地の最寄駅では夕食の調達が見込めなかったので,スパイシーチキン(本日2個目)とハムカツ,パンを買い,途中駅までの列車内で食した。マルエフビールが身体に沁み込んでいった。

訳もなく列車は2~3分の遅延を背負って走行していたが,途中駅での接続は無事に確保された。この途中駅の街は昨夏に宿泊・散策しているが,あの時は移動に路線バスと別の路線を用いたので,Y線に乗車するのは実に14年ぶりだった。

もう一度だけ列車を乗り継ぎ,目的地のS駅に着いた。駅前のドラッグストアでコンタクトレンズの洗浄液(吝嗇の性が出て,重いのに2本セットを選んでしまった)と2Lの水,翌朝用のクリームパンを買い,宿には20時45分頃に着いた。来客を歓迎する玄関前の黒板いわく,「居合大会」の客が来ているらしかった。

当然ながら和室を想定していたのだが,案内されたのはまさかの洋室で,大誤算であった。部屋に洗面台があるのは助かるのだが,石鹸が無いのが想定外だった。大浴場には写真で見たタイル貼りの丸い浴槽があり満足だったが,先客が居たのでやや落ち着かなかった。その先客の数分後を追うようにして上がり,浴室の写真を撮ろうとしたが,脱衣所に次の客が来たので断念した。

部屋に戻りテレビを点け,エピソードトークを矢継ぎ早に続ける番組をぼんやり眺めつつ,一日の写真を整理し,翌日に備えて24時前に就眠した。

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