梟の島

-追想の為の記録-

日立セメント太平田鉱山(6):さらば国内最後の鉱石専用索道。

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(揺曳。19.03.09 太平田鉱山)

 

2019年3月某日,茨城県日立市内。日立セメント・太平田鉱山の,国内唯一の鉱石専用索道は,今月末で見納めとなる。

助川市民の森の見晴らし台で,太平洋を背にのんびり泳いでゆく搬器たちを眺めてから,スギ林の中にある索道の中継地点に再び戻ってきた。 

anachro-fukurou.hatenablog.com

さて,再び獣道から,谷底から登坂する索道のバケットの行軍を眺める。昼休憩前に撮影した場所だが,十分に納得が行っていなかったので,未練を残さぬよう,今一度戻ってきたのだ。

 

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ふらりふらりと揺れながら,坂を上り下りする搬器たち。

写真右下に見える谷底の中継地点に接近するルートもあるらしいのだが,下調べによると道中にイノシシ用の罠が仕掛けてあるというので,断念した。

 

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111番と101番のバケットを見ると,搬器がぶら下がっている所でケーブルが大きく撓んでいる。搬器1つあたりに1t以上の荷重が掛かっていると思うと,力学的にはなかなか凄いオーダーだ。

 

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望遠レンズでファインダーを覗いていると,搬器の動きはとてもとてもゆっくりとしている。少々じれったさもありつつ,撮影的にはキリが無い。午後の半逆光の中,シャッターを何枚も切る。もしも順光で見るためには,ここを朝一番に訪れるべきだったのだろうが,それは仕方ない。いま得られる最高の絵を追求するのみである。

 

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撓むケーブル,穏やかな時間。「ビリビリビリビリ」と,ワイヤーの振動音が頭にこびりついて離れない。

回送側で54番が写真に登場,本日3回目であるw 午前中の撮影では54番を1時間程度の間隔で目撃したので,実際の操業速度は分速105mよりも速かったのかもしれない。

 

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谷底の地点から鉱山側の山に向けたケーブルが,午後の陽光を受けて白く光っている。昼休憩前とは異なった印象を受けた。

獣道に三脚を立てて動画も撮影したので,この地点には満足である。再びスギ林を抜けて舗装道に戻り,見晴らし台に向かう途中の,舗装道と索道が交差する地点へ。土手のような斜面を登り,フェンス越しにどうにか撮影してみた。

 

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気付けば太陽が随分と寝てきていたようで,順光で撮ると色温度はなかなか高めになった。錆びたような赤色のバケットが,どこか途上国を思わせる。幾十年と変わらぬ光景も,自分にとっては最初で最後のものである。

ここから舗装道を引き返し,市民の森入口の駐車場へ。トイレの洗面台で眼球を洗い,痒みによってパニックを起こさぬよう意識して冷静さを保ちながら,停めておいた車に戻った。時間の関係で市民の森の中から索道を見る別のアングルについては省略して,一気に荷下ろし場まで移動した。

 

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長旅を終えたバケットは,最後に急角度を下り,荷下ろし場に滑り込む。ここでも時折,積込場と似て非なる轟音が聞こえてくる。ここでは「同業者」も何人か居た。

 

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終着点。これにて,撮影は終了である。

 

昭和の「残滓」である鉱石専用索道。日本の近代産業の一角を支えた無名の役者が,2019年春,静かにその命を終えた。

帰京後暫くして,茨城県勝田で育った母に訊いてみたところ,日立と勝田ではやや距離があるが,この索道を知っていた。その名は確かに県内に轟いていたのだろうか。

貨物列車や鉱山といった,第二次産業の一つの象徴のような存在が,一つまた一つと消えてゆくことに,寂しさと不安をおぼえる。小学校高学年でまともに勉強を始めた時,最初に抱いた社会への疑念は,第一次・第二次産業に就く人の割合の低さに対してであった。デスクワークで研究業に近いが,建築という第二次産業に携わる端くれとしても,この社会の不可思議な「成熟」の状態には今なお懐疑的であらざるを得ない。こういった大前提としての問題意識に,対象物が年月を経て現代まで生き延びて(もしくは,死してなおその姿を現世に留めて)きたという文脈的な尊さが重なり,さらに眼前にそれが存在することによる,五感(視覚優位ではあるが)に訴えかける「美」の要素が追加される。廃墟や産業遺産(もちろん今回のように現役なものであったとしても)といった物たちは,対象物そのものに対する知的な理解・解釈,文化・歴史への造詣,そして現代社会に対する批判的な視座までも要し,それでいてルネサンスから続く退廃性への審美眼を要求される,非常に高度で難解な被写体である。だからこそ面白いのだ。このように,ここ「梟の島」で取り上げている被写体たちは,自分にとっては単なる懐古趣味やノスタルジーの対象というように一元的に説明できる存在ではないのである。その事を今回また改めて強く感じさせられた。

ただ,同じものをどのように愛好するかは人それぞれである。きっと同じものに(実際に対峙してもしなくても良い,あくまで情報として認知するというレベルで良いので)至った人間の殆どが,全く異なる思想や解像度をもって対象と接しているのだろう。自分と同じような解釈をしている人間を未だ知らない。似た人に出会えたら,年齢性別関わりなく,じっくりと対話してみたいと心から思うし,その為にこの場所をもって発信活動をしているといっても過言ではないのだ。

 

さて,後日談にはなるが,ここの索道は,3月下旬に操業を停止した後,程なくして外されてしまったという。Twitterでは搬器が積込場に集められている写真も目にした。

時代と共に,こういった「グッと来る」ものに次々と出会えれば良いのだが…。未来にはあまり期待をしすぎずに,いま出会うことの出来るものとの一期一会を大切に,これからも旅と撮影を続けてゆこうと思う。いつの日にか,仕事と趣味ががっちりと統合されて「何か」が出来る,その機会を虎視眈々と窺いながら。

 

 

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