梟の島 -叙情的叙景詩-

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旧亀岡家住宅(1):八角形の塔屋をもつ擬洋風の民間住宅,唯一無二の存在感。

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美麗。 2021.11.23 旧亀岡家住宅

 


11月23日(火祝)。飯坂温泉・橋本館で朝を迎え,のんびりとした時間を過ごす。その後は保原駅に移動し,駅から中心街を散策してきた。

▼その1はこちらから。

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保原の中心街は一通り見て回ったので,移動を開始。バスも無いし,タクシーに乗るのも微妙な距離。列車の時間は合わないので,陣屋通りを20分ほど歩いた。

 

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一駅先の大泉駅に到着。橋から線路を見下ろす。ちょうど上り列車が発車していくところだったので,駆け足で撮影。

緩やかな下り坂を歩いてゆくと,保原総合公園という大きな公園がある。その中に,お目当ての近代建築が保存されているのだ。

 

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公園の枯れた芝生を歩くと,ものの2~3分で辿り着いた。これこそが国指定重要文化財,旧亀岡家住宅である。

左側の平屋が居住棟,右側の総二階建が座敷棟である。側面から既に異様なオーラを感じる。

 

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正面へ。

 

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美しい八角形の塔屋。壁には銅板,軒には持ち送り。

 

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洋風の戸袋。

 

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塔屋の背後には2基の尖塔が控える。

 

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正面玄関。付柱にハンマービーム。

 

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薄日が差してきた。

 

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線の多さが際立つ。アイボリー色はペンキ仕上げのようだ。

 

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窓には棒状の鉄格子。これもまた,ファサードの線の印象を際立たせている。

 

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ついに太陽が顔を出した。

 

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時は来た。背景の空も青く晴れ,夕刻の暖かい陽射がファサードを柔らかく染め上げた。

 

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旧亀岡家住宅(国指定重文,1904)。桑折町から保原町に寄贈され,1986年に一度は解体されるも,1995年3月に現在地に再築された。

 

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設計は,近代建築や街歩きが趣味ならば一度は必ずその名を聞いたことがあるであろう,江川三郎八。大工棟梁は飯坂町の小笠原國太郎(なかむらや旅館新館などを手掛けた人物)が担当した。

 

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施主の亀岡正元は蚕種製造などで財を成した豪農・政治家であり,1889年に区長や村会議員を務めた後,県会議員,群会議員,村長を長きにわたり歴任した人物である。民間住宅ではあるが,政治家としての社交場としての用途を兼ね,洋風(擬洋風)の意匠を取り入れたと考えられている。明治期の個人邸で,これほどにまで徹底して洋風に徹した建物は,特に農民住居として限定すれば他に類を見ないものである。

 

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「とくにこの遺構が、明治・大正・昭和戦前を頂点とする繭の量産兼蚕種専業地帯に排出した豪農層が、経営の成功によって建立した記念物であり、かつ、それが明治10年代に伊達郡役所や桑折町戸町役場などの見事な洋風建築を生んだ桑折町の隣村に位置していたことを考え合わせると、その意義は大きく、またその建立形態も首肯できるものであろう。」(旧亀岡家住宅調査および移築保存工事報告書より)

 

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当初は桑折町の屋敷地内,および桑折町内での保存が図られたが,財政難により不可となった。そこに保原町が手を差し伸べたことで,主屋は一命をとりとめた。所有者による寄贈の意向表明から桑折町の却下まで2ヶ月,東北工業大学の草野教授と福島県教育庁文化課長が陳情のために保原町を訪れてから,保原町が引き受けの判断を下すまでは凡そ1ヶ月程度だったようである。決して大きな自治体ではないが,よくぞこの名建築を引き受けるという英断をされたと感心するばかりである。

 

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赤瓦と銅板の印象が強い。そしてこの象牙色のペイント。何とも独特だが,実に美しい。時間帯も陽射も完璧だった。

 

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中央には煉瓦積みの煙突,両脇にはランタン(換気塔)が配置される。

 

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子供たちが遊ぶ大きな公園の中で,当たり前のように余生を送る近代建築。移築されても国指定重文。どれほどの価値があるかは,この事実だけを切り取っても明らかだろう。

 

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全容。

 

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東北地方太平洋沖地震では,鋼製の風見鶏が倒れ,漆喰壁に亀裂が入ったが,瓦やガラスをはじめ躯体にも大きな破損はなかったという。

 

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総工費は現在の時価で20億円以上とも言われている。その理由はどうやら室内の造作にもあるらしい。

 

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あまりにも外観が美しくて,いつまでも撮影していられそうなくらいなのだが,時間が無くなってしまうので,見学料(たったの210円)を払い中へお邪魔する。

すると,想像をはるかに超える空間が我々を待ち受けていた。

 

その2へ続く。

 

 

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