梟の島

-追想の為の記録-

羽越・磐西撮影旅行(20):喜多方観光,そして帰京。

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近代の街。2020.01.13 喜多方

 

野沢から快速あがのに乗車すること30分ほどで,喜多方に帰着。まずは観光案内所で地図などを調達し,駅前の土産物屋でレンタサイクルを借りる。店の佇まいからは自転車を扱っている気配が全く無かったが,それもそのはず,例年ならこの時期この街は雪に閉ざされているのである。今回は幸いにも(鉄道撮影としては望まない事だったが)積雪が一切無いので,自転車での観光が可能となった訳である。1日500円で,自分にはやや小さい自転車を借り,まず目指したのは早めの腹ごしらえのラーメン屋。熟考の末,ラーメンマップ13番の「蔵美」に決めた。まだ11時だったが,店内には客がちらほら。ラーメンとチャーシューメンを注文。やや塩気が強めの澄んだスープが,修行後の身体に染み渡る。優しくて逞しい麺は,存在感があってとても良い。あっという間に平らげた。

 

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チャーシューメン。2020.01.13 蔵美

  

この後は酒蔵を巡る。清川→大和川酒造→小原酒造→喜多の華酒造という順番で,途中に伝建地区と,駅前諏訪通り沿いの街並みを見つつ,夕方手前にもう一件ラーメン屋に寄ろうという計画を立てた。

酒造巡りの記事はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

 

清川酒造,大和川酒蔵を巡り,ここから次の小原酒造までは若干距離があるので,途中の街並みを見て回る。蔵の街だが,近代建築もちらほら見受けられて面白い。中でも若喜商店は一際強い存在感を放っていた。

 

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若喜商店。2020.01.13 喜多方

 

どうやら大成建設の社長さんが喜多方出身なんだとか。建物内部までしっかり見させていただいたが,天井もかなり高くて開放的,近代的な造りであった。

 

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試食させてもらっただし醤油を購入。味噌も美味だったのだが,残念ながら自宅にはそこそこの量がストックされているので購入できず。

この後も諏訪通りを北上してゆく。

 

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ラーメン屋の並ぶ路地。 

 

そして吉乃川酒造を通り過ぎて,旧甲斐家へ。ははは,仕事の対象である。プライベートでも訪問したことを評価していただきたい。詳しく知っているので,写真は一枚のみ。

 

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旧甲斐家蔵座敷。2020.01.13 喜多方

 

ここで若干の長話の末,街の東側にサイドチェンジして,伝建地区方面へ。長屋が印象的であった。

 

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小原酒造を訪問した後,ちょうど伝建地区の北西に位置するラーメン屋「まるや」で,本日2食目のラーメン。素朴な中に優しさがあり,チャーシューも分厚くて絶品であった。

 

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チャーシューメン。2020.01.13 まるや

 

比較的時間はタイトになってきていたので,残り時間の計算を行い,喜多の華酒造へ。良い出会いがあり,四合瓶を購入。ビジネスホテルに一日預けていた荷物をピックアップして,駅前の土産物屋に自転車を返却し,1552発,234Dで喜多方を発つ。思い返せばあっという間だったが,のんびりと,良い観光が出来た。

この列車で会津若松まで移動して,50分ほどの乗り継ぎの間に,スーパー銭湯的温泉の富士の湯に立ち寄る。一昨年秋以来2度目である。短時間ではあったが,ナトリウム系(というジャンルがあるのかは分からないが)らしい,塩っぽい温泉のとろみのあるお湯は,朝の修行から冷え切っていた身体をしっかりと温めてくれた。土産物は十分に調達したので,ここでは何も買わず,構内のあかべえと自撮りをして,1710発の快速郡山行きに乗り込む。6連だったのだろうか,両数は失念してしまったが,長いホームを先頭車まで歩いてゆくと,空のボックスシートが残っていたのでラッキーであった。車中では酒とつまみを嗜む。温泉のリラックス効果もあり,深い眠りに落ち,気付けば郡山に着いていた。

郡山からは東北新幹線,やまびこ154号。腹はさほど空いていなかったので,特に何も食べず,ここも休息に充てる。混雑を懸念していたがそれほどでもなく,三人掛けの2席を確保して,ゆっくりと過ごすことができた。東京から中央線に乗り,帰宅は21時前であった。喜多方から正味4時間の所要時間,非常にスムーズな乗り継ぎで帰京することができたのだった。

 

3日間,終わってしまえばあっという間だったが,充実の日々だった。新津のキハ40に対する自分の思いというものを,改めてはっきりと認識することができた。羽越本線の撮影の未練はもう無いといって良いだろう。強いて言うならば,晴れた海を背に俯瞰をしてみたかった,という思いはあるが,その場面に出会えないというのもまた一つ自分らしさであるし,自分の記憶,日本海側へのイメージに即した記録はもう十分に得る事が出来ただろう。

あけぼの,485系いなほ,EF81牽引の貨物,そしてキハ40という,今思えば素晴らしき被写体達に恵まれた羽越本線が,いよいよ過去のものになろうとしている。その最後の場面に何度も立ち会えたことは僥倖であるし,羽越本線という場所が自分にとって特別な存在であることは今更疑うまでもない事実だ。戻せない時を思って悲しくなることもあるが,それでも,この記憶と記録とともに,この先の人生も歩んでゆく。いつの日にか「帰りたい未来」に出会えることを祈りながら。あの日々の追体験ではなく,飾らず作為的でない「再体験」を通して,時間軸を遡上する感覚を味わえる日が来ることを祈りながら。遂に終焉を迎えようとしている鉄道趣味だが,最後まで足掻いて,己の真の思いと向き合い,未練のないピリオドを打つために全力を注いでゆこうと思う。

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