梟の島

-追想の為の記録-

羽越・磐西撮影旅行(14):さらば羽越本線キハ40,最期の挨拶。

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さらば,羽越本線キハ40。2020.01.12 今川~越後寒川

 

その13より。さて,羽越本線のキハ40を撮影するのも,とうとう残り2本となった。出発前の計画では,今川~桑川笹川流れの俯瞰を試みる計画だったのだが,ここは先人の作例が1人分しか確認できない,不確定要素の多いアングルであったので,これを捨て,昨日の雨で挑戦できなかった越後寒川~今川の笹川流れ「第1俯瞰」に白羽の矢を立てた。登り口も先程確認したので,アクセスできることは間違いない。この定番俯瞰に行かずして羽越線の撮影をしたと豪語するのは些か気が引ける,この撮影地はそのような存在なので,トリの撮影にはもってこいであると思い,実質的には「ここ一択」であった。

登り口まで移動して,列車が来るまでの時間は車中で暫し休憩する。ヨメ氏は引き続き疲労困憊の様子で,ここで短時間ながら眠っていた。駐車して何分か経った頃,ヲタ以外が来るはずもない陸側の駐車スペース(夏期は海水浴場の駐車場となる場所である)に,少し変わった暗いオレンジ色のツーボックスカーがやってきた。まさか我々以外にこの俯瞰撮影地に挑む人間など居るのだろうか。列車通過30分前にヨメ氏は復活し,無視できる小雨の中,登坂を開始したが,オレンジの車から人が降りてくる気配は一向に無かった。集中して登坂を続けると,先程の雨により足下がぬかるんでおり,やや難易度が高い。しかも,急坂だった第二俯瞰と比較しても角度はさらに急で,頂上まで最短距離で直線的に登るようなルートなのだ。さながら三点確保,手も斜面に添えるような形でぐいぐいと登ってゆくと,これまた案外スピーディーに登頂成功。見晴らしは最高だが,驚いたのは,丘(というよりは岩)の頂には人が立てるスペースなど存在せず,岩のてっぺんの丸い所に腰掛けることしか出来なかったことである。先人たちはこんなにも不安定な狭い場所で撮影を行っていたのか。丘の向こう側は切り立った崖になっており,もしもバランスを崩したら一溜まりもない。撮影アングル側を向いて座り,後ろの崖の下を覗くと,高所恐怖症でなくても恐怖が襲ってくる,そんな場所だった。

眼下には例のオレンジの車。ここから人が出て来て,着替えや身支度を始めている。いよいよ彼らも登坂準備なのだろうかと思って見ているが,カメラを持ち出す気配がない。さらに暫く眺めていると,どうやら彼らはご多分に漏れず釣り人のようだった。近くに磯は無いので,浜釣りの人々らしい。やがて彼らは我々が午前中に歩いた砂浜へと降りてゆき,膝まで水に浸かり,海原に向けて竿を振り始めた。釣りをしない人々からすれば彼らの行動はやや異常に見え,彼らが膝まで海に入っていった時には我々も思わず声を出して驚いたのだが,冷静に考えればこの荒天で崖をよじ登り岩に腰掛けている人間のほうがクレイジーなのだった。

小雨は止むどころか若干強まり,無視できない程度に降り続いており,途中で傘を差す時間もあった。下から見上げて崖の上に傘が一つ見えたらさぞ気持ち悪かろう…。 

 

練習列車として,直前に通過するいなほ(またもやゲテモノカラーのショッキングピンク)を撮影。

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本番は,ヨメ氏に広角アングルを託し,自分は第二俯瞰付近のストレートを走るタイミングの中望遠構図,準広角構図,そして広角構図と,欲張る作戦である。16時をすぎ,あたりはかなり暗くなってきた。遠くにみえる脇川大橋の方に,動く列車の気配を感じる。程無くしてキハの2連,828Dが蓬莱山の手前から姿を現した。

 

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褪色した世界。2020.01.12 今川~越後寒川

 

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想定よりはかなり暗かったのだが,それでも十分な出来であった。

 

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鼠色の夕刻。2020.01.12 羽越本線 越後寒川~今川 
 

続く列車までの間に,登頂記念の自撮りや,眼下の景色のスナップショットなどを撮る。案外時間が経ってしまったため,ラストの1本に向けた撮影地の移動が頭をよぎった時には,829Dの通過まで10分程となっていた。もともとは2本の列車をここで撮影する計画だったので,全くしくじったとか,悔しいという感情はない。むしろ迷わずに,第一俯瞰の後追いで,自分にとっての羽越本線キハ40「最終列車」の829Dを迎える覚悟が決まった。

今川方面の景色の中,駅付近に動くものが見えた。しばらくして眼下の隧道から現れたのは,青の510牽引の貨物列車だった。

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いよいよ光量の限界に近付いてきた頃,本命列車はやって来た。

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有終。 2020.01.12 羽越本線 越後寒川~今川

 

ヨメ氏は一本目のリベンジを果たした。露出は限界に近かったが,自分も広角構図と中望遠構図の両方をものにしてゆく。

 

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ブルーモーメント,羽越本線。2020.01.12 今川~越後寒川

 

俯瞰撮影は挑戦の要素が強く,アドレナリンが溢れながら行うものなので,これが羽越本線のキハ40との今生の別れとなるという切なさは一切感じることなく,充足感に満ちた最期の挨拶となった。

 

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最後の情景。2020.01.12 羽越本線 今川~越後寒川

 

西の水平線が濃灰色に滲み始め,羽越本線の撮影の終わりを,ほんの少しだけ実感したのだった。

今こうして紀行文をしたためながら思い返すと悲しくもなるのだが,それでもなお,この場所で最後を見送ることが出来た,その瞬間の記憶の絵をプリザーブすることが出来たという,満ち足りた感覚が非常に強い。羽越本線のキハ40は,もはや自分と同化した存在なのだ。たとえそこに居なくなったとしても,目を閉じ心に問えばその姿が確かに見え,気配すら感じられる,そのような存在になったのだろう。常に主たる被写体であり続けた訳では無かったが,人とは違う「青春」の記憶の大事な場面に,彼らは常に居た。こうして最後の最後に,羽越本線の日常らしい情景の中で彼らを見送ることが出来たのは,とても幸せな事なのだと,帰京後少し時間を開けた今,改めて感じている。

しかし,同化しすぎたからなのだろうか。3月改正以降も,笹川流れで待っていれば青や赤のキハ40がトコトコと走ってくる,そんな気がしてしまうのだ…。 

 

その15へ続く。

 

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