梟の島

梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

磐越西線撮影旅行(18):去らば新津のキハ40,去らば青春時代。

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(ありがとう。愛を込めて。2020.02.09 新津駅)

 

惜別乗車も,会津若松から津川まで,思い返せばあっという間だった。

津川から先は,さらにスピーディに時が流れていったように記憶している。酒の力と,ゆったりと身を委ねられる優しく柔らかいモケットのおかげで,若松で一度エンストした身体は幸いにも動いているし,意識も明瞭で,十分にこの旅路を楽しむことが出来ている。

いよいよこれが,キハ40の未更新車に乗車する最後の機会になるかもしれない。車内のディテールを撮影してゆく。

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これもまた,最近Twitterで他人の写真を浴びるように見ていることに触発されているのかもしれない。被写界深度の低い撮影はあまり好みではなかったのだが,自分がそこで感じた被写体の空気感を正しく保存できる手法なのだとすれば,それはそれで自分の武器にしなければならないと思うようになった。さらに,こういった構図を模索して対象物を観察するという行為が,新たな発見を生むということも大いに考えられる。ゆえにこれを積極的に練習してみようと考えるようになったのである。とはいえ,まだまだF値は絞って撮っているのだが。

 

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改めて考えてみれば,キハ40は,そこまで古い車両ではない。所詮,我々と10歳ほどしか変わらないのだ。いま二十歳のヲタから見た251系と変わらない古さなのかと思うと,何だか気持ちが悪いのだが,この決定的な差はやはり,国鉄デザインか否か,というところにあるのだろう。この統一感のあるデザインに親しみを覚え,愛好し,これまで全国の国鉄型を追い求めてきた。そんな国鉄型車両も,いよいよ風前の灯火だ。訣別の時は近い。

 

馬下駅で,233Dは236Dと交換する。新新潟色も,これで見納めだ。明るい夕陽を浴びて,暖かみのある色に染まっていた。さらば,紅白の鋼鉄車。

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猿和田駅手前あたりから,車中にも夕陽が柔らかく差し込んできて,アルミのサッシと青のモケットを暖色に染め上げた。

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「夕方晴男」は今日も健在である。この表情,このトーン。これはきっと「エモい」と言われる奴なのだろう。

 

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叙情的な叙景詩が,自分の心の核たる部分に直接的に訴えかけてくる。自分は,人間味のある「もの」からしか感じることの出来ないこの叙情性の中毒なのだろうか。いずれにしても,命に限りあるものとの一期一会の機会をこうして体験し,記憶と記録に変えてゆくことが出来るのは,哀しくも幸せなことなのだろう。

 

夕陽は雲に隠れ,列車は再び街に差し掛かる。窓の外が徐々に暗くなってゆき,車内のトーンが変化してゆく。いよいよ,最後の旅路も「コーダ」へ。

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後ろ髪を引かれるよりも遙かに速いテンポで,列車はあっという間に,宵闇迫る新津駅に到着した。

 

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最後にホームで,別れの撮影だ。

 

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復活した「レモン牛乳115系と,刹那の競演。

 

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労いの気持ちを込めて,最後に車体に触れ,撫でる。エンジンの振動を感じた。やはりディーゼルは生物的だった。

 

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4人,2人で,最後の記念撮影を終えると,車両は車庫へと回送されていった。

 

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さらば,新津のキハ40。たくさんの非日常に登場する,自分にとっての名優だった。

 

ぽっかりと,心に穴が開いたような感じがする。

 

新潟まではE129系,キハ40と比べると何と機械的で明るく,無機質なのだろう。実際のところそんなことはあまり考えておらず,ただの移動手段として認識することしか出来なかった。

新潟に到着し,駅ビル地下の「ぽんしゅ館 魚沼釜蔵」なる居酒屋で晩餐。ここでもまた体力の限界が来て,くたばる。店員に再三水を要求したこと,日本酒も肴も美味であったこと,天井がやたら高かったことなど,断片的な記憶が残っている。その後,土産と上越新幹線車内で飲む酒を調達する2人と,切符調達&新幹線の座席を確保する2人に分かれ,体調不良の自分は後者になり早々に車内で着席する。幸い車内清掃が無く,入線後すぐに乗車できる列車だった。自由席で2人掛けを2列確保し,座席を転回する。思えば優等列車でボックスを造るというフォーメーションも過去に記憶が無く,斬新な試みだった。1936新潟発,とき346号は,全ての駅に停車する,かなりゆっくりとした列車だった。それでも所要時間は2時間16分,新潟と東京は近い。再び酒を飲み,気付けば15時頃からずっと飲んでいることにはなったが,まあ百薬の長ということで,帰京後比較的すぐに体調が快復したことを考えればこれが結果的に良かったのだろう。高崎あたりからは全員眠りに落ち,気付けば大宮,上野,そしてあっという間に終着の東京に到着したのだった。

東京駅のコンコースでくはね夫婦と別れ,中央線へ。新幹線の車内で眠れたので,体調はだいぶ上向いた。23時前に帰宅,53時間の非日常は幕を閉じた。

 

これまでに何度も書いてきたが,自分にとって大切な,数々の非日常の記憶の中に,新津のキハ40は常に居た。景色の中に抒情性のある日本海側をいつしか愛好するようになり,あけぼの号には幾度も世話になった。羽越本線はタレントが豊富で,過酷な環境の中でも充実した撮影ができた。磐越西線の非電化区間は,初めに乗ったのは2010年9月の青海川旅行だ。こういうものもこうして改めて久々に思い返してみると,青春の貴重な1ページである。本腰を入れた撮影旅行は4回,足繁く通う人からしてみれば少ない機会しか体験していない事になるのだろうが,思い入れの強さは人それぞれであるし,自分にとって意味のある場所であることは紛れもない事実である。

20代という成長の記憶・青春の記憶のピリオドと,新津のキハ40のピリオドを,どうしても重ねて考えてしまう。不可逆な時の流れ,その無常さに虚しさを覚え,悲嘆に暮れることもしばしばである。しかしそれでも,未練が全く無いかといえば勿論嘘になるが,非日常では,やれるだけのことはやった。沢山の非日常に彩られた青春を,「国鉄型車両」という軸を通して作り,味わう事が出来た。この自分にしか作り出せなかった時間と記憶とを,本当に誇りに思うし,幸せに感じる。全ての出会いに感謝である。

新たな試み,磐越西線非電化区間の撮影の未練の消化,そして古き縁との訣別。今回の旅も,体調不良こそあったものの,幸い重要な場面では何も妥協することは無かったし(3人のヘルプに心から感謝である),記憶も記録も大変に実りの多い,2日という時間以上に充実した,濃く鮮やかな非日常を体験することが出来た。そして「4人旅」という新たな試みは,人生の次なるステージの幕開けを示唆しているようでもあった。ここから,連続で微分可能な成長と変化で,20代から30代へとシフトチェンジしてゆく事になる。貪欲さを忘れず,青春のフラジャイルな感覚も忘れず,先にある何かを常に求める攻めの姿勢を貫いて,様々な非日常によって人生の時間を鮮やかな記憶に変換してゆきたいと思う。

去らば,新津のキハ40。去らば,青春時代。

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