梟の島

梟の島 -叙情的叙景詩-

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五能線キハ40,最後の秋(38):惜別・キハ40,鳴沢駅で最期の挨拶。

f:id:anachro-fukurou:20210428224006j:plainforever farewell. 20.11.1 五能線 鳴沢駅

 


2020年11月1日(日)。一昨日の出張調査後から続く,秋の五能線を追い求める撮影行も,いよいよ最終日の午後である。 塩見崎,深浦の「神社俯瞰」で海景を撮り納め,2835Dは北金ヶ沢陸奥柳田の陸橋で待ち受けた。

 

とうとう,最後の列車の撮影が終わってしまった。もし間に合えば,というダメ元で,2835Dを追って鳴沢駅へと向かうことにした。道中,法定速度を下回るスピードで走る車が渋滞を作っていたのでやきもきしたが,無事に先着。ちょうど列車が入線してくるところだった。

 

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まさか3日連続でこの駅に来ることになるとは思いもしなかったが,それだけ気に入ったということだ。

 

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ゆっくりと,列車はホームに滑り込む。

 

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煤けた車体。

 

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乗降客は無い。

 

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刹那の停車を終え,唸り声を上げて発車する。

 

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2010年夏,初めてこの車両を見てから,10年の月日が経った。

 

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あれほど当たり前だった「20代」という肩書きを失い,人生の新たなステージの入口で迎えたこの撮影行。時の流れは無常,私も歳を取れば,青春は過去のものへ。そして国鉄は遠くなる。

 

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エギゾーストを噴き上げて力行するキハが,一秒一秒,遠ざかってゆく。

 

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あけぼのという梯子が外されて,もう7年になる。その後ももっと通って,もっと沢山の記憶を作りたかった。そんな思いもあれば,2018年夏と今回の撮影で,十分にやる事はやった,という感覚もある。

 

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とうとう,惜別の時が来てしまった。

 

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それでも,実感は湧かないものだった。

 

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これが本当に最期の挨拶になるという実感を抱く間もないまま,40歳を迎えた気動車は秋の黄昏に消えて行ってしまった。

 

深浦のセイリングで昼食をとってから今に至るまで,何だか時の流れが随分と速かったように感じた。この後は,新青森駅まで車を返却する。秋の日は雲の向こうであっても釣瓶落としで,あっという間にヘッドライトが必要な時間帯となった。陸奥森田付近のコンビニで小休憩。津軽自動車道は無料開放中で,これに乗って五所川原市街を大きく迂回し,2018年前に大渋滞だった大釈迦の交差点をすんなりと通過した。こちら側から行くと,津軽新城付近のセルフスタンドのみが給油地点の候補になるのだが,これまた2年前に通過してしまった苦い思い出がある。今回は無事に入ることが出来た。セルフ給油はどうにも緊張するが,無事完了。駅レンタカーの営業所はガードの下の分かり辛いところにあるのだが,これも2度目なので無事にクリア。乗車予定の新幹線に対して50分ほどの余裕をもって返却手続きが完了した。600kmほどを共にしたスウィフト号に感謝を告げ,別れた。レンタカーは回替わりの相棒のようであり,別れる時には毎回なにか切ない感情が込み上げて来るものだ。

「旬味館」を歩き回り,ほたて飯弁当(半額で500円になっていた!)を購入し,ほかにも少しばかり土産物を物色。やはりGoTo効果なのか,混雑していた(あくまで私は出張の帰路である)。乗車予定のはやぶさ46号の1本前の列車は,新青森を15分ほど先行して出発するのだが,こちらは北海道からやって来た便で,入線時には既になかなかの混みようだった。46号は新青森始発。最後列の3人掛けの窓際を確保できたので,快適である。旅行客は車内での声が大きいのがやや気に障るが,それでも無視できるレベルだった。二戸あたりから徐々に周りの席も埋まり始めたが,やはり先行列車が客を吸ってくれるおかげだろう,混雑はなく終始快適だった。道中は大学時代の所属合唱団に現在少し首を突っ込んでいるのでその連絡を入れ,残りの時間はほぼ爆睡であった。大宮で一瞬だけ意識が戻ったが,次の瞬間には列車は上野に停車中,東京駅に到着してからもまだ少し朦朧としていたくらいだった。乗り換えて,無事に帰宅。日没まで鳴沢駅付近に居たのがまるで嘘のようである。喜多方調査から連続的に続いた非日常は,急浮上する形で日常へと連続してゆく。

これが五能線キハ40との今生の別れだった,という感覚がやはり無いまま,帰京し,非日常を心の中に位置づけてしまった感じがする。これもまた,その存在が完全に心の一部に同化してしまっているからなのだろう。目を閉じればその存在が確かに浮かんでくる,それだけで十分に幸せなことだ。しかし今回,喜多方駅会津若松駅そして弘前駅にGV-E400が停車している様を見て,とてつもない時間軸の断絶を感じたのもまた確かである。いよいよ本当に記憶でしか乗ることも見ることも叶わないのかと,現実を突き付けられると,分かっては居たが虚しくなるものだ。あれだけ熟知した沿線の撮影地たちも,もう探訪することは無いのだろうかと思うと,それもまた哀しい。東海以西や北海道とは異なる,JR東日本管内という,自分にとっての一つの「ホーム」が激変した2020年。自分にとっては,ちょうど十の位が一つ変わる年でもあった訳だが,分かりやすい節目の年になってしまった。

それでもまたいつの日か,何かの力に引き寄せられるように,深浦の街や千畳敷の海岸を訪れる日が来ると,今回の撮影で確信した。それに,少し視線を逸らせば,北陸や近畿,中国,四国そして九州には,近いうちに見ておかなければならない景色がまだまだ沢山あるのだ。人生の時間に対し(コロナ禍を差し引いても),これらの非日常を計画的に遂行していっても,追い付かないかもしれない。この先も引き続き貪欲に追い求めてゆこう,そう改めて感じさせられる撮影行だった。

 

去らば,JR東日本のキハ40。五能線津軽線八戸線石巻線羽越本線磐越西線只見線烏山線。各地で立ち会った情景は,生涯忘れることはないだろう。
 

 

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