梟の島

-追想の為の記録-

湖東三山:百済寺,唐破風のある本堂と黄葉と。

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石垣と苔の参道。2019.11.24 甲良・百済寺

 

湖東三山の最も南に位置する百済寺金剛輪寺から向かう道は,ナビに従うと,かなり狭隘なところを誘導されたが,無事に到着。駐車場は金剛輪寺ほどではないが,それでもかなり大規模で,大型バスが目立つ。駐車場から拝観受付までの間に並んでいた出店も大盛況で,美味そうな物がたくさん並んでいる。先に拝観をしようという事で,受付を済ませ,眺望の良い庭園を経て参道へ。金剛輪寺ほどではないが,こちらも石段が長く,淡々と休み無く登ってゆく。黄色基調の紅葉はとても目に鮮やかで,退屈は全くしない。

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最後の石段を登り切ると,本堂が姿を現した。

 

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(唐破風のある五間堂。2019.11.24 甲良・百済寺

まず,昨日の小浜,そして今日の湖東三山の2寺にはなかった唐破風が目に留まる。そして次に,だいぶ傷んできている桧皮葺の屋根に意識が向かう。前者はともかく,後者はちょっとばかり職業病かもしれない。本堂はこの旅の道中で見てきた建築群からは大きく時代が下り,1650年の建造物。信長の焼き討ちに遭い,それまでの建物は全焼してしまったとのことで,結果として近世の建築となっている訳だ。かなりの高台に建っており,引きが取れず正面のアングルが撮れないというのは,「カメラ目線」からゆくと結構な致命傷なのだが,まあ良しとする。堂内も時代相応の新しさ(というと自分の感覚がかなり狂っていることが露呈してしまうが)を感じるが,構成は中世の密教建築を踏襲している点が珍しいように感じる。外陣で上を見上げると,簡素な竿縁天井が掛かる。蔀戸を留める金具の部分でかなりの垂下が見られ,構造的にかなりの欠陥が見受けられた。なお,内陣には入れず,仏像は外陣からのみの拝観だった。

 

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側面から見ると鎌倉期の様式に近い印象を受ける。正面と側面の表情に差があるというのは面白い。

境内や門前(というとニュアンスは異なるが…)や,あまりにも「寺ガール」に寄せすぎなパンフレットからは,湖東三山の中で百済寺が最も繁盛しているような雰囲気すら感じられたのだが,実際はそうでもないのだろうか。建物の傷みは,今回探訪した仏堂の中でもずば抜けて進行していたように思う。屋根の葺き替えが近いうちに実現できることを祈るばかりである。
見所が一箇所に集中していたおかげで,スムーズに境内の散策は終了。出店で揚げたての近江牛コロッケ(牛要素をほとんど見つけられなかったが…)とまつたけの串揚げ,自分達への土産用のカップ酒「湖東三山」を購入し,最後に名物の石垣のある参道(現在は養生のため立入禁止とのこと。記事最上部の写真)を下から撮影し,今度は比較的広い正規ルートの道で,百済寺を後にした。

 

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永源寺へ続く。

 

▼湖東三山はこちらから。 

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