旧道。 2021.11.03 鶴岡市温海乙
11月3日(水祝)。急遽決まった酒田出張の前日,羽越本線沿線の集落を巡ることにした。まずは勝木駅で下車し,寝屋と鵜泊の集落を歩いた。その後は鶴岡で車を調達し,加茂から南下。油戸,由良を経由し,三瀬までやってきた。
▼その1はこちらから。
anachro-fukurou.hatenablog.com
三瀬の海水浴場を発つ。三瀬から先,羽越本線は庄内平野を出て海岸沿いを走るので,ここから先は記事の題名通り「沿線」となる。
小波渡海水浴場,曇天。
2012年のSVでは辛うじて現役の様子が見て取れるが,どうやら廃墟化して久しいようだ。
ガラス越しに中を覗く。そういえば昼食にありつけていないのだが,時間もないので気にしないことにする。旅先だといつもこうだ。
小波渡駅前の道を東に進む。この先は行き止まりなのだが,それを承知の上で離合不能な細い道を注意深く進み,羽越本線の下り線のガード橋を潜る。散歩中の大型犬(ダルメシアンだったか?)が飛び出して来て驚いたし,飼い主の人も何故ここに車が来るのかと驚いていた。
急坂を上ると,集落を見下ろせる場所があるのだ。
鉄道撮影地としても知られている場所である。ここに来るのは8年ぶりだろうか。
枯れて,海風に曝されて。
薄日が差し,不思議に色付いた。
全く予定していなかったのだが,ちょうど下り列車がホームに入線してくる警笛が聞こえた。程なくしてトンネルから出て小波渡駅に入線する列車が見えたので,待機して撮影した。GV-E400の走行写真を撮るのはもちろん初めてだが,何とも景色とミスマッチで,感動は無かった。キハとは音が全く異なっていて,何とも近未来的な印象だった。
小波渡の集落の散策はほどほどに,南を目指す。五十川の駅前も時間の関係でスキップした。
鈴漁港のさらに南に,塩俵岩という奇岩がある。
小波渡では薄日が差していたのに,ここにきて急に嵐の予感。
板状節理と柱状節理。
波に洗われて,この形になったのだろう。
波の花。
海の色が示す通り,程なくして今日一番の酷い雨になったので,車に避難。10分ほど小休憩とした。
通り雨が去った。続いては温海乙(暮坪)の集落にやって来た。暮坪は立岩を背景にした鉄道写真でも有名な場所である。地図を見ると集落の地名は温海乙であり,暮坪という地名はその少し内陸の山の部分を示しているらしい。
全面開口の1階,冷静に見ると不安な構造。
この街もまたしっかりと現役の雰囲気である。
言語化するのが難しいが,良い道だ。
新旧混在。
南側は緩やかな坂になっている。
板壁の家。
集落内では弔事が開かれていた。仕出しの車が来て,食事を運んでいたのが妙に印象的だった。
さりげなくキリスト看板。
少し凝った意匠の板戸。
これにて温海乙の集落を去り,南下。
あつみ温泉駅前は,時間が足りないので通過した。2015年の鉄道撮影の際に時間があったので,街並みも撮影しておけばよかったと今更ながら思う。駅前の旧道を直進すると温海川に突き当たった。川に掛かる橋は通行止めだったので,一度国道へと迂回した。
「温海己」集落は,車から下りずに通過した。
国道と集落への道の分岐にある,あつみ豚のモニュメント。目が人間のようなので,ちょっと怖い。
大岩川甲の集落に入る。
地図に無い路地。
この飾り気のなさが落ち着く。
集落の中心部へ。
時計だ。時計塔,時計台…名称が分からない。どなたか名称が分かる方がいたら教えて欲しい。
タイルが入っていたようなのだが,両脇は欠損しており,判読不能だった。
集落で時を刻む,不思議な存在だった。
さらに南下してゆく。
来た道を振り返る。
線路と接近したあたりで街並みは薄くなった。
再び車に乗り,小国川を渡る。
集落名は「大岩川乙」になる。セメント瓦の家が姿を現した。鶴岡市加茂から南下してきたが,ここで初めて出会ったように思う。
S字カーブ。
郵便局もある,立派な街である。
国道から一本入っているのだが,交通量は少なくない。小国川沿いの集落からの車も通るのだろう。
またもや雨。不覚にもレンズを少し濡らしてしまった。
山側へと入る路地は,袋小路。
街の終わり。
もう1本南の袋小路。大岩川の俯瞰撮影地に繋がる道である。
雨に濡れ,枯草も暗い褐色に。
大岩川の散策を終え,車に戻り,小岩川へと向かった。
その5へ続く。
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