夕陽の差す漁港。 2021.11.03 村上市脇川
11月3日(水祝)。急遽決まった酒田出張の前日,羽越本線沿線の集落を巡ることにした。早朝は鉄道・徒歩移動で,寝屋と鵜泊の集落を歩いた。その後は鶴岡で車を調達し,沿岸の集落を順に巡り,ついに鼠ヶ関を越えて新潟県に戻り,勝木まで南下してきた。
▼その1はこちらから。
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時刻は15時を回った頃,羽越本線の旧線の遺構「芦谷セット」を出発した。ロックシェッドを抜けて暫くすると,当然のように着用したにも関わらずシートベルトの警告音が車内に響いた。後ろには車が続いているし,脇道もないし,道幅は広くなく,駐車スペースもない。カーブの多い道路を60km/hで走りながら片手でシートベルトの着脱を試みる訳にもいかない。アラームは初めは「ピーン,ピーン」といったリズムだったが,やがて怒り狂ったように「ピンピンピンピン」と鳴り響き,しかしどうすることも出来ず,軽いパニック状態に,安全装置のために危険に晒されるという事態に陥ったが,やがて現れた路肩に車を停めることができた。ほっと一息ついて金具を外し,再び着用。しかし「ピンピン」は消えない。エンジンを切り,再始動。消えない。まさか故障か思いいよいよ焦ったが,どうやら助手席に乗せたカメラに反応していたようで,助手席側のシートベルトを締めると車内は静寂を取り戻した。いやはや,脂汗をかいた…。
深呼吸して,運転を再開。時間の関係で越後寒川駅周辺の散策は諦め,その一つ南,脇川に到着した。
ついに,この地に来た。
眼前には常に日本海。
まずはバイパス「脇川大橋」から集落を眺めよう。
脇川。羽越本線の駅も設置されておらず,一般的な知名度は皆無であろう。鉄道撮影地としてはある程度有名な場所であるが,それもたかが知れている。景勝地・笹川流れからは少し北に外れており,わざわざこの地を訪れる者など,そう滅多には居ないだろう。
まだ雲は多いが,基本的には陽光に期待できそうだ。夕方晴れ男の力か,或いは三瀬の夕日地蔵神に願った甲斐があったのかもしれない。
晩秋の山並の美しさよ。
まるでセットのように,漁港のすぐ目の前に家が並ぶ。
大切に紡がれてきた生活が,ここにはある。
決して古い家屋ばかりではないのだが,街の造りから,この土地が経て来た時間の長さを感じ取ることが出来る。
ドローン要らずの視点。もっとも歩道は海側にしかないので,集落を眺める際には両方向の車を常に警戒する必要がある。
蓬莱山が見える。
これまでにいったい何度この場所に足を運んだだろうか。その何十倍,この場所のことを考えただろうか。病める時も健やかなる時も,いつだって下越の海岸線から眺めた日本海の情景が心の支えになっていた。
しばし雲に隠れていた太陽が再び顔を出し,黄色い陽光が降り注いだので,引き返して撮影する。
秋に訪れるのは初めてだが,こんなにも美しいのか…。心が震えた。
わざわざ走り,撮りに戻った。そこまですることは滅多にないが,この場所はあまりにも特別なのだ。
海岸線には波消しブロックが続く。
橋を渡り切り,集落へ入ってゆこう。
自分の影が構図に入ってくる時間帯。一番初めにこういう長い影を入れた写真を撮ったのは,2009年の吾妻渓谷だっただろうか。考えてみれば,あの旅も11月。最高の一人旅だった。
集落へお邪魔する。
下見板壁の家が点在する。道幅は狭い。
道は直線を描くことを知らない。
懐かしさが込み上げてくる。
夕日が優しくて,言葉を失った。
言葉など要らないのかもしれない。
ただの妄想に過ぎないのだが,街が私を出迎えてくれたような気がした。ただいま,と,確かに口走った。
実家はどちらも両親の代までに東京に出て来ていたので,自分の人生には帰省というものが存在しなかった。そもそも知らないものだから,憧れることも無かった。
もしも帰省先があったら。或いは,地方で生まれ育ったら。この集落の景色ひとつひとつも悲喜こもごも,まるで違った見え方をするのだろう。知らない物に対して決めつける事はしないし,分かった口を利くこともできない。だから,「田舎のある人生だったらなぁ」などという安易な発言は絶対にしたくない。
それでも今,人生の大事な時期に通った田舎に,改めて帰って来たのだ。自分にとっての唯一無二の心の故郷に「帰省」をしているのだと,今日ばかりは思わせて貰おう。
朝から晩まで,そして晩から朝まで,ずっとここで過ごしていたいと思う。ぼうっと景色を眺めたり,脳内で作曲してみたり,本を読んだり。
人ではなくてもいい,ここの「もの」の一部になりたいとすら思う。
色温度の高い,優しい時間帯。
ここにきて太陽に恵まれたのにも,強い縁を感じた。
海岸線に出て,脇川大橋を下から眺める。
太陽の光が優しすぎて,暖かすぎて。
至福の時間だった。
再び集落を歩く。
2013年,まだ今のような街歩きを始めていない時期だったが,この辺りで街並みの写真を撮った記憶がある。今回もやはり立ち止まり,シャッターを切った。
妻に板壁をあしらった蔵。
線路際をゆく。
すべてが優しすぎるのだ。
セメント瓦の家。
最後はクランクを抜け,3人ほど井戸端会議を行っているところに挨拶をし(やはり40代後半くらいからは怪訝な目で見られた),集落の北の入口へと戻った。
ずっと心に引っ掛かっていた悩みがすっと消えたような,日常に続く緊張がふっと解れたような,独特の満足感があった。やはり自分にとってこの場所は,唯一無二の存在だった。たった数十分の滞在ではあったが,記憶に深く刻まれる,至福の「帰省」だった。
その9へ続く。
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