梟の島

-追想の為の記録-

桐生散策(3):桐生市西公民館本館,絹撚記念館ほか。

桐生市西公民館本館。 2022.02.27 桐生

 


2月27日(日)。2月の日帰り散策の集大成として,桐生へ足を運んだ。まずは駅北口,末広町から本町通りへと歩き,金善ビル,旧松岡商店事務所,桐生織物記念館を見て回った。

▼その1はこちらから。

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引き続き,桐生織物記念館の北にある,或る建物を見る。

 

「桐生市西公民館本館(旧水道事務所)」(1932,登文)。3階は増築部である。

 

アールデコ調,良い。

 

ファサードの線は多ければ多いほどいい,そう言い切っても間違いではない気がする。

 

入口。

 

西面。

 

3階の階高が随分と高いので,ひょろっとした印象であった。

 

東へ移動しつつ,裏道を適当に散策する。

 

五十番に戻ってきた。

 

昼食休憩として入店。かなりの大盛況だったが,殆どは先客だった。退店後の一瞬を狙い,撮影。

 

大混雑だったのでかなり時間は掛かったが,ようやくありつけたカツカレーはクラシカルで美味だった。

 

レジスター。

 

長い休憩の後,散策を再開。

 

すぐ傍の路地へ。このまま抜ければ,その2の冒頭,金善ビルの附近へ出られるが,既に歩いた道なのでここで引き返した。

 

西に抜ける。

 

何か居るなぁ…と思いつつ。

 

千登里料理店への路地。

 

新川橋通りを渡り,斜めに切れ込む細い道へと進んだ。

 

ラーメン専科。

 

その1でも歩いた末広町通り。晴れていたので永田内科を撮っておいた。

さて,ここで大きくサイドチェンジ。駅の南口へと大移動。

 

旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟(絹撚記念館)(1917,市指定)。

撚糸とは,その文字の通り,糸に「撚り」をかける工程である。かつて桐生駅の南口には鋸屋根の工場がずらりと並んでおり,全国6箇所の模範工場の一つだったという。現存する建物は,この事務所棟(および附属する蔵)のみである。関東大震災前の貴重な遺構であり,群馬県では最古の洋風石造建築(木骨石造)である。

 

戦時中は軍需工場となり,戦後は接収された後は放置され荒廃していたが,1970年より群馬庶民信用組合桐生支所の事務所として再び利用されはじめたという。

 

階段。

 

その後数年間は不動産会社の事務所として使用されたが,平成5年,解体の危機にさらされた。そこで市が保存に動き取得,翌年には市指定文化財となった。

3.11で壁面等が大きく破損したが,修繕され,2013年よりこのように公開されている。

 

日本絹撚株式会社は,大正7年には従業員1,000人を超える日本最大の撚糸工場だったという。戦前の桐生の産業を支えた,街を代表する大企業の一つであった。社長の前原悠一郎氏に関する展示も充実しており興味深かったが,何よりも当時の製品の色の繊細な鮮やかさ,美しさに心を奪われた。

 

なお桐生市には縄文時代の遺跡も多く,出土品も多数存在する。ここにはその一部が展示されている。

 

附属する蔵では,桐生の歴史を紹介する写真などが展示されていた。

 

階段を登り2階へ。

 

応接室だったか。隣の広間では,市内の街並みの写真などが展示されていた。

 

もう一室は社長室だっただろうか。昭和の家電が展示されていた。

 

狭い階段室でも,この構図だけは必ず撮る。

 

1階に下りてきた。

 

外観。2月の日曜日,影は既に長く伸びていた。

 

かつては工場の敷地内だったため,中心街から少し離れており,そのせいか正面の道路は閑散としていた。今後も多くの人に愛される建物であってほしいと願いつつ,散策を再開した。

 

その4へ続く。

 

 

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