これまでに何度か「心の風邪」を引いた事がある。この時は自身2度目,かなり軽度の症状が出ていたのを覚えている。
2泊3日の研究室合宿の最終日,山形市内で一行から音も無く,誰に見送られる事も無く離脱し,陸羽西線に乗って再び庄内へと抜ける。その後北上し,何時か行こうと思っていた象潟(きさかた)へと向かった。
何かをしたかった訳でもなく,ただただぼうっとしたかった。その目的と舞台とが,あまりにも綺麗に合致しており,その記憶と記録は今なお自分にとって特別な物として残っている。ここではその前半を振り返る。
彷徨の始まり。
海風が,雨の匂いを連れてくる。稲穂は金色まであともう一月といったところだろう。とぼとぼと,潟湖の跡を歩いてゆくと,空模様の通り,小粒の雨が降ってきた。
小島を超える道。この僅かな起伏が,一帯に不思議な立体感を与えており,飽きる事は無い。尤も,心が毀れ気味ならばの話だろう。
夏曇りに佇む。
この湿気た空気,温い風,半ば打ち棄てられた美しき景色。人間から離れ一人になった自分の心に,不思議と浸透してゆく。重く,深く,沁み込んでゆく。
小山に登れば,その隆起した地形が際立つように浮かび上がる。これが潟湖(せきこ)の面影である。目的も当てもなく,そぞろ歩く。
愛らしき沈黙の小屋が,哀しげに花々に彩られている。ファインダーを覗き,被写体との束の間の対話。何となく,心が通じ合ったような,そんな感覚だっただろうか。
その傍らに,もう一つの小屋。心の隙間に,すっと入ってくる。これが日本海側の夏の情景の持つ力だろうか。静かに,突き放すことなく,ただ穏やかに寄り添ってくれる。
大塩越集落を抜ける。人の気配は殆ど無かった。
松を伝えば,鉛色の日本海が忽ち姿を現した。
その2へ続く。