梟の島

-追想の為の記録-

長崎建築紀行(1):長崎市内の近代建築を巡る。

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雨の街角。 2020.09.16 長崎・印刷会館

 


2020年9月16日(水)は,長崎出張初日。昼からの打合せまで時間があるので,強い雨の降りしきる朝,長崎電気軌道を撮影してきた。anachro-fukurou.hatenablog.com

長崎電気軌道の撮影と一部で時系列が前後するが,今回の記事では午前中に巡った長崎市内の近代建築物を纏めてゆく。

 

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まずは長崎駅前,長崎交通産業ビル。「交通会館 県営バスターミナル」の文字にも年季が入っているが,竣工は1963~1964年とのことである。2022年にバスターミナルが移転を開始するようで,高度成長期を見守って来た生き証人としての建物がまた一つ,姿を消すことになりそうである。

 

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日新ビル。1961年よりも遡るようなのだが,竣工年は定かではない。ネットでは「長崎で2番目に古い」と言われているようだ。

 

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大きな窓が印象的だ。線が多くて素敵である。

 

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すぐ隣には印刷会館。こちらは1927年ごろ竣工という情報が。 旧日本生命保険長崎支社だという。丸窓が可愛らしい。

 

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交差点に向いたアール,独特な塗色。増築と言われる3階部分も,良く馴染んでいる。 

 

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県営桜町駐車場の北側にある「学研長崎支店」と「三和軽印刷」。前者は大久保上町第1ビルというらしいが,詳細は不明。スチールサッシなので,半世紀ほど経っているだろうか。

 

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長崎市民会館,1974年。その正面にはかつて長崎市公会堂があったのだが,現在は跡形もない。

 

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定番だが,眼鏡橋を見ておく。1634年に完成した,国指定重要文化財である。1984年の長崎大水害で被害を受けたが,しっかり復原された。

 

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古川町5丁目,中島川沿いに建つKYOビル。凄いデザインなのだが,いったい当初の用途は何だったのだろう。

 

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長崎銀行本店。1924年,旧長崎無尽本店。

 

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場所を大きく南へ移し,旧長崎税関下り松派出所。国指定重要文化財,1898年竣工の煉瓦造,擬洋風建築である。現在は長崎市べっ甲工芸館として公開されている。

 

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旧香港上海銀行長崎支店。1904年竣工の煉瓦造(正面は石造)建築で,こちらも国指定重要文化財である。威厳と質量感が凄まじい…。

 

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コリント式の大オーダー。

 

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グラバー坂。平日の朝,人っ子一人居なかった。

 

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大浦天主堂へ。

 

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1864年完成の聖堂を明治8年に改築したものである。本格的な洋風建築の最初期の例として,国宝に指定されている。

内部は撮影禁止。ほぼ無人の堂内で,あれこれ考える。

 

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曲線美。

 

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見上げる。

 

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海の方を振り返れば,マリア館大浦カトリック教会。

 

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旧羅典神学校も国指定重要文化財大浦天主堂のプティジャン神父が神学校の設立を計画し,1875年に完成。木骨煉瓦造建築である。

 

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床下を覗くと煉瓦が見える。

 

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神学校の校舎および宿舎として,半世紀ほど使用された。軽やかなデザインだが,3階建ての迫力を感じる。

 

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吹放しが絵になる西洋建築。

 

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ベランダが更にファサードを印象付ける。 

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大浦天主堂と旧羅典神学校の隣には,旧長崎大司教館。ドロ神父と鉄川与助の共同設計で,1915年に竣工した。 1989年まで大司教館として使用されていた。100年を経た建築だが県指定文化財というのが,なかなか贅沢な話にも思える。

日新ビル,印刷会館,旧長崎税関下り松派出所,旧香港上海銀行長崎支店は中を見ることが出来なかったほか,旧長崎英国領事館も工事中で姿を見ることが出来ず,そこは残念だった。しかしまあ,見所の多いこと多いこと…。

その2では,グラバー園内を紹介する。

 

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