梟の島 -叙情的叙景詩-

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新座散策(4):西武中央商店会,黄昏と夜のアーケード。

黄昏,遠雷。 2022.06.02 新座

 


6月2日(木),ふと思い立って仕事を早々に切り上げ,新座の西武中央商店会を訪れた。

▼その1はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

日没を過ぎ,巨大な団地の前に広がる小さな商店街はブルーモーメントに包まれる。

 

ようやく,ちらほらと街灯が点り始めた。既に日没を超えているので,少し遅く感じられる。

 

北の空が青黒く沈んでいる。暫く眺めていると,雲間に稲光が瞬いた。音こそ聴こえないが,埼玉の中西部に雷雲が掛かっているらしい。

 

1時間ほど前まで黄色く色付いていたシャッター街も,この時間になると森閑として寒々しさを増す。

 

積年により刻まれた一つ一つの凹凸の深さに,愛おしさを感じるのだった。

 

自然光と蛍光灯の光の混ざり合う絶妙な時間帯に,朽ちた細部の陰翳が奇妙なほど美しく浮かび上がった。

 

寿司屋。

 

遠雷が瞬くたび,商店街に逃げ込める営業中の店が無いことが心細く感じられた。

 

ところで筆者は,もとより赤という色に対しあまり好意的な印象が無い。さらに近年の自動車のLEDの尾灯は,赤が毒々しくて人情味に欠ける。しかし暮待ちに見る30km/h制限の標識を縁取る柔らかい赤色は,どこか前時代的で優しく,美しく感じられた。

 

黄昏の骸。

 

一つ一つ,街灯が点ってゆく。八百屋の店明かりが路面を柔らかく照らし出していた。

 

いよいよ街灯がすべて点り,空と街の明暗が反転した。

 

土浦のMALL505でも感じたが,煌々と点る灯りに反比例するような街の静寂は,ポスト・アポカリプス的であり,少し前に軽く流行ったLiminal Spaceという概念にも通ずるものがあるように思う。

 

西端。道に看板を置いている飲食店の他は,いずれも19時で営業を終えていた。

 

雷雲が北東の空を包み,この画角だけは不気味な様相を呈していた。

 

天頂から南西の方角に雲は無く,生まれたばかりの細い月が団地の向こうに沈んでいった。

 

光を捉えるのは面白くもあり,難しくもある。現像の手腕という一つ目の逆関数に適合する変数を現地では取得し,帰宅後の現像ではその変数を,未来の自分や他者の目が現地を追体験できるような,普遍的な逆関数に適合する変数へと変換する。その場で変数の最終形を得るのが撮影の美学と考える向きもあるが,白飛びを防いでアンダーに撮影したものの明暗を補正したり,2種類の機体で撮影した色味のすり合わせを行ったりして肉眼寄りに補正したプロダクトの方が,所謂「撮って出し」よりも最終形の目的が己の思想に合致するのである。撮影の技術と同じくらい,現像の技術もまた自分にとっては重要なもののようである。

そしてその2段階を意識させないような最終形,2:3の枠の中に自らの身を投じられるような100%のタイムカプセルを作り出すこと…そんな地平に到達したいものである。

 

看板がいよいよ眩い。

 

濃紺に沈む東の空を背に,街は白さを増してゆく。

 

蛍光灯の光に炙り出される錆の翳。その向こうでは,若い月が暗雲に呑み込まれていった。

 

もう,すっかり夜だった。

 

人の気配が全くない訳ではないのが,却って寂寥感を増幅させた。

 

裏手にある団地の中のスーパーで「ストロングゼロもどき」を買い,ぼろぼろのベンチに座って飲みながら新座駅へ行くバスを待った。空腹だったのでメロンパンも食した。

 

新座は中線のある高架駅で,ホームも広々としている。予想外の長居の充足感と9%の安酒を身体に,ふわふわとした足取りで帰路に就いた。

 

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