そして夜へ。 2022.08.10 大阪
8月10日(水),大阪出張。現地集合までの30分弱を有効活用し,メトロ谷町線・都島駅から歩いてすぐの桜通商店街を歩いた。仕事後は小松商店街,稲荷商店街を巡り,中津商店街を歩いている。
▼中津商店街・前編はこちらから。
時刻は日没15分前。中津商店街の北端から,周辺の街を歩く。
裏路地。
室外機は猫のように。
商店街の横道,ちょうどアーケード内の道幅が変わる場所に繋がるところである。
緑。
物干しのある裏路地は,撮るときに罪悪感のようなものを感じてしまう。せめて夕刻ならば…と,あまり有効ではない免罪符を掲げつつ,追体験のためにさっと撮らせていただいた。
夕飯の良い匂いがしていたっけ。
アーケードの北端に戻って来た。そろそろ日没だ。
白い時間。
いつか喧噪の中に居た記憶。
そして蒼く暮れてゆく。
ディテール。
この時間は,光と翳のどちらも等しく主役となる。だからこそ美しい。
記憶し,記録してゆく。
最後は道幅の狭いエリアを抜ける。
ブルーモーメントの終焉と同時に,南端に到着。
短い時間ではあったが,中津商店街の黄昏をしっかりと堪能することができた。
その後も中津駅の周辺をぐるっと散策したが,特に目ぼしい店は無く,細いホームの中津駅から一駅,十三に移動した(車内で路線図のデザインの話をした)。当初目を付けていた純喫茶は何と盆の臨時休業…。少し散策するも,気になった店が残念ながら閉店後で,やむを得ず街を彷徨うこととなった。
「十三」「公設」「市場」の文字が3面に分かれている。ちょうど探訪前日にTLで見た所だったので驚いた。ここの青信号の青がレアな色であるとか,そんな話をした記憶がある。
優柔不断と食への根本的執念の低さゆえ,一人だったら徘徊の末に入店を諦めていたかもしれないところだったが,今日は良い店に巡り合えた。
1階は渋い印象で好みの空間だったが,何となく選択した2階はかなり綺麗だった。運良く貸切状態で,終始快適だった。何よりお肉が美味だった。今思うと何故,料理の写真を一枚も撮っていないのだろう…やはり何だかふわふわしていたらしい。
色々な話をした。かなり違う所も多いのに,「芯」と「表面」の部分が似ているように感じて面白かった。何となく此処で言語化してしまうと陳腐になる気がするので,ふんわりとした雰囲気の記憶の中に留めておきたいと思う。
食後もアーケードと歓楽街をふらふらと歩く。
ナポレオンプラザの裸電球が綺麗だった。
その名の通り風流な風貌のアルサロ。「アルバイトサロン」の略だったことを翌日調べて思い出し,そして2017年2月に富岡で見掛けていたことも思い出したのだった。
これだけ大量のラブホが当然のように建ち並び,しかも道幅が広く整然としているのは,錦糸町に似ているかもしれない。東横インも苦戦を強いられている事だろう。
そんなラブホ街でひと際存在感を放つのは,パピヨンでもバタフライでもなく,“Chou”であった。
2軒目に入るにも中途半端な時間になってしまったので,名残惜しかったがこれにて解散となった。お互いに忙しい中,ピークは過ぎたとはいえ未だ災禍の流行の中,無事に会えたのは奇跡的であったと思う。
出張先で人に会う機会はまたあるだろうか。あるといいな。
十三駅前を少し歩く。流石に疲労も蓄積してきていた(そういえば睡眠時間4時間の後,初電で東京を発っていたのだった)ので,大した撮影はせず。トイレ探しに苦戦し,結局は銭湯まで我慢した。
「宝湯」はなかなか大きかった。靴箱にはかなりの数の靴が入っていたので少し辟易としたのだが,中を覗くとピークタイムを過ぎていたからか,そこそこ空いていた。
風呂上がりにカフェオレか何かを飲んだっけ。いかついアルファードとヴェルファイアが通って行った。
0時すぎに十三から大阪に戻った。駅中のコンビニも開いていなかったので,自販機でマッチと麦茶を買ってから適当に時間を潰し,午前1時すぎのサンライズ,Bソロ下段に乗り込んだ。十三から後の記憶はかなり曖昧である。12日間で夜行列車に計3泊,しかも全て経費という罪の味,日頃のご褒美として堪能させていただいた。
これまた朝の記憶が完全に消し飛んでいるが,翌週のヘヴィな打合せのために翌日は仕事をした筈である。日常というのはかくも曖昧で不可逆的なものである。非日常の鮮やかな記憶で脳内が埋め尽くされてゆくのは,きっと幸せな事なのだろうと思う。
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