4丁目の夜。 2021.10.07 岐阜・繊維問屋街
10月7日(木)。出張の前夜,名古屋駅東口の柳橋中央市場・マルナカ食品センターを散策してから岐阜入り。再び散策に繰り出し,夜の繊維問屋街へ。中問屋町と東2丁目・東3丁目のアーケードを撮影してきた。
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「東」から,今度は問屋町の中央へ。まだまだ街は大きい。
その前に,中問屋町の外観。
東3丁目の外観。
東2丁目,駐車場になってしまった一角。
そして問屋町の中央,3丁目・2丁目を見る。
南側に戻り,順番に。まずは4丁目に入ってゆこう。
それぞれの街区が,独自の看板を掲げている。
中問屋町に比べればかなり明るい。
No.4
水戸・大工町,芸術館通りで見たレリーフに再び出会った。
正対。
続いて,隣の3丁目。
エルシー,ヤングファッション。シャッターにも店名が描かれている丁寧さ。
3丁目の看板は,4丁目に比べるとかなり控え目である。
続いて,隣の2丁目j。
ここのライトが一番眩しかった。比較的あっさりとしていて,撮りどころは少なめだった。
fashion city.
両方向から伸びる庇,吊るされた看板。立体感が堪らない。
向かって左が2丁目中央通り,右が先程まで歩いてきた2丁目。
一条通りと一丁目の古い看板を見る。
1丁目は幟がずらりと並んでいて,あまり撮影が捗らなかった。
さて,2丁目中央通の南側を西に進めば問屋町中央ビルが聳え立つ。まずは5階建の巨大建築が残存することに驚かされる。
青い空が見えぬなら青い傘広げて…宇多田のCOLORSではないが,実に壮大なキャンバスである。眼前の景色におぼえる違和感から,青空を塗った巨大な壁を作るという発想は,当たり前のように思えて実際はなかなか奇妙なものなのだということを思い知らされる。
横穴。
嘗ては左側のような褐色が一面に広がっていた訳で,その時代にも撮影してみたかった。思えば岐阜駅で下車するのは11年半ぶりのこと。あの当時は,県庁所在地では観光は出来ないなどと思っていたっけ。無知とは恐ろしいものよ…。
竣工から半世紀以上が経った今,装いを新たに,令和の世を生きる。
さて,時間もだいぶ遅くなってきたので,残る2本のアーケードを歩こう。
夜の繊維問屋街(3)へ続く。
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