梟の島 -叙情的叙景詩-

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西武多摩川線(1):新小金井~多磨~白糸台を撮り歩く。

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籠の中。 2022.01.23 西武多摩川線 多磨~新小金井

 


1月23日(日),旧友と撮影に出掛けた。

生憎の曇天だったので,昼からオンライン飲みをするという怠惰な日(ドラえもんの初期の作品のタイトル「ぐうたらの日」を思い出した)にしようかとも思ったが,折角の機会なので計画を敢行。西武多摩川線を撮影すべく,武蔵境駅で合流した。コロナ禍にもZOOMでのオンライン飲みを何度か開催していたので,プラットホームで再会した瞬間,前回に顔を合わせてから2年が経っているという実感は全く無かった。大学時代も平均すると出掛けるのは半年に一度とか,そのくらいの頻度だったので,久方ぶりの再会という現象そのものがごく自然なものだったのかもしれない。

 

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西武多摩川線。比較的近くで生まれ育ったが,これまで殆ど縁の無かった路線である。新101系に乗り込むと,列車は程無くして発車した。

 

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3扉車に揺られ1駅で,新小金井駅に到着。

 

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列車は出発するやいなや急停車した。駅南側の踏切で何かあったようで,安全確認をしている様子だった。暫くは構内からの「撮影大会」の状態となった。

 

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沿線の撮影地に向けて歩き出す前に,少しばかり駅前を散策。

 

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この日はk-3ⅱのみ携行し,k-5ⅱsは留守番。広角レンズにわざわざ付け替えるという行為の面倒臭さを久々に味わった。

 

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御菓子司のある街角。

 

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タイルとサインポール,大きなサッシ。飾り気は無いが好感の持てる佇まいだ。

 

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駅前に戻ると,上り列車がやって来た。先程の安全確認の影響で,数分遅れているようだ。所謂「赤電」カラーである。

 

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交換列車はスカイブルー。京浜東北線103系の色ともやや異なる,何というか現代的なカラーリングである。残念ながら,いずれも曇天が似合わない塗色だった。

 

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有名撮影地「いちご橋」まで移動すると,我々が新小金井まで乗った編成がちょうど戻って来た。このカラーリングは伊豆箱根鉄道1300系仕様である。

 

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この特別塗装は,西武多摩川線開業100周年を記念して,2017年より実施されているという。

 

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赤電も同様である。赤電は1990年に絶滅したが,2010年代に入り,近江鉄道や三岐鉄道,そしてこの多摩川線で復刻されている。

ちなみに多摩川線の最終延伸は1922年だということで,そこから数えれば今年が100周年である。

 

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暫く構図の調整に腐心していたのだが,どうやらこの人道橋と線路の標高差が通常よりも大きいようで,違和感の正体は列車が思ったより遠くを走っているという事のようだった。鉄道にレンズを向けるのが久しぶりということもあるが,何といってもこの距離の感覚というのは,鉄道撮影の難しさでもあり,面白さでもある。街並みや建築物は往々にして被写体が近いので,この感覚は久々にして新鮮であった。

 

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この門型鉄塔と送電線は,東京電力が昭和42年に建設したものだという。

 

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東京をゆく単線。

 

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縦構図で伊豆箱根鉄道カラーを仕留める。それにしても踏切を往来する車の多さよ…。

 

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リハビリとでも言おうか,まだ撮影が十分に成功していない感覚がずっと残ってしまい,暫くはこの有名撮影地に滞在することとなった。

 

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鉄道車両なしでも十分に面白い構造体である。方角は南南西を向いているので,夏場の朝であれば光が回るのだろう。

 

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赤電をここで仕留める。

 

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天気が良ければこちら側は順光なのだが,そればかりは仕方がない。

 

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少しだけ南側に移動して,下りを撮影。

 

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上りはどう頑張っても撮影不能だったので,後追いのみ。

 

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赤電を迎える。冬晴れならば良いのだろうが,この天気では絵力の限界があった。常緑樹が多く芝にも緑が残っており,枯れた印象にもならず,何とも中途半端であった。

 

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野方公園の脇を南へ歩いてゆく。

 

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ジョビ♀。今年はあちこちで良く出会った。

 

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踏切より多磨駅を遠望する。

警報機が鳴ったので,踏切外で待機する。時間調整なのか,はたまた安全確認だったのか,ずいぶんと長時間にわたり停車をしていた。3分ほど経ち,ようやく出発した。

 

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籠の中を行く赤電を見送った。

道幅は極めて狭く,その割に交通量の多い踏切だった。さらに3~4分ほど遮断器が下りていたものだから,両方向とも数台ずつが苛立ちながら待機している状態であり,全くもって落ち着かない時間であった。何度も繰り返し考えた事ではあるが,やはり撮影においてはプロダクトの質よりも撮影環境の方が遥かに重要なのである。

多磨駅前では,祖父の通夜の日に宿泊した記憶が突如として蘇り,とても驚いた。そういえば,ここだった。たった3年半前の事だが,自分で決めた場所ではなかったし,博論審査期間内であったし,記憶がぽっかりと失われていたようだ。

窓から見た夜の道,葬儀場の周りの景色。いずれも演出のような雨が降っていた。

 

さて,そんな感傷はあくまで後日譚である。多磨駅から更に南下して,撮影を続行した。多磨駅から白糸台駅までの間は,あまり撮影地が存在しなかった。もう少し畑も多いかと思っていたのだが,立派な住宅街が延々と続いていた。

 

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踏切でのイメージカット。こういう写真が本当に苦手である。

 

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住所は府中市。振り返ってみると,小金井市を発ち,野川公園の一角でほんの少しだけ調布市を掠め,東八道路を越えて府中市に入ったようだ。

 

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少年野球チームの自転車の列に道を譲りつつ,甲州街道の陸橋の撮影地へ。ここも曇天では絵作りがなかなか難しかった。

 

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青空に夕方の陽射でもあれば,なかなか面白い構図なのだろう。

 

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白糸台掩体壕の傍で見つけた古い家の板壁に,マルフク看板と,幾つかの琺瑯看板が残っていた。生垣の上に腕を伸ばし,ライブビュー撮影。その様子を旧友に撮られていたので,それを見せてもらったが,やはり街中を撮影している自分の姿は完全に「変質者」である。行為にも存在にも,必然性が感じられないのである。朗らかな挨拶の準備とオープンな心持ち,これらは最低限の免罪符として携行しなければならないと,改めて思わされた。

 

その2へ続く。

 

 

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