梟の島

-追想の為の記録-

明智町散策(1):「日本大正村」の周辺で,昭和の匂いを探す。

f:id:anachro-fukurou:20211220184430j:plain

昭和は続く。 2021.10.09 明智町

 


10月9日(土)。前日は岐阜出張にかこつけて,繊維問屋街や柳ケ瀬の街並みをひたすら歩き回り,数百枚の写真を撮影した。土曜日は完全なる「旅行」である。早朝から美濃太田,多治見を散策し,乗継の時間で恵那駅前の一角を歩いてから明知鉄道の車窓を楽しんだ。

anachro-fukurou.hatenablog.com

明知鉄道の終着駅,明智駅にて改札を出る。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184443j:plain

駅舎は木造の簡素な造り。思ったよりも観光客が多かった。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184446j:plain

しかし駅を出ると街は至って静かで,人影は見当たらなかった。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184326j:plain

さて,ここは本日最後の目的地,明智町である。

駅前通りの突き当たりを左へ。明知鉄道の車中もここも,とにかく変な天気だった。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184330j:plain

畳の旅館に泊まること,ローカル路線に乗ってのんびりと道中の時間を満喫すること,地方都市をのんびりあても無く歩くこと。今回の行程ではこの3つをテーマとしていたので,この日のここまでの流れには満足であった。

この長閑な感覚に,言語的な補足は不要であろう。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184334j:plain

完全飼料。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184450j:plain

旧保母歯科医院は,昭和元年築の建築である。看板の部分にも意匠が凝らされていた,かつての美しい姿のことも知っていたので,現在の形は少し残念であった。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184454j:plain

街。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184458j:plain

明智町は「日本大正村」という名称を掲げて街の観光地化を図っている。その「立村」は1984年に遡る。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184338j:plain

大正村の中心たる施設である「浪漫亭」の裏手に伸びている,大正路地。

あまりネガティヴな情報は書きたくはないのだが,専門的な目線で見てゆくと「?」が浮かぶ箇所は無くはない。その辺りはその3に回すとして,いずれにせよこうして「古い街」そのものが脚光を浴びているのは嬉しい限りである。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184502j:plain

昼食は鄙びた食堂でとろうかと思っていたのだが,特にそういった候補は見当たらなかったので,街道沿いの「庵」という店に入った。カツ丼をぺろりと平らげた。

早朝から動き回って来たので,ここで一息休憩を入れ,再び街に出る。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184506j:plain

日本大正村」の交差点。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184342j:plain

観光地化されていない場所の「昭和感」を追い求めるセンサーがはたらく。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184346j:plain

おみやげに 蜂の子,いなご。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184350j:plain

曲線的な持ち送り。たまに見掛ける形である。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184354j:plain

運輸会社の錆びた看板。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184510j:plain

道の両側に,同様の意匠を持つ商店があった。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184402j:plain

「あったかいねー」「ねー」

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184406j:plain

老夫婦。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184514j:plain

自転車屋,クラシック。

f:id:anachro-fukurou:20211220184410j:plain

山と街の共存。中山道の宿場町は「線」の街と山の景色が絡むのが面白いが,ここ明智町は「面」の印象である。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184518j:plain

鮮やかな塗装が印象的な電気店

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184522j:plain

意匠を凝らした店もある。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184414j:plain

小さな橋を渡った。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184418j:plain

突き当たりを右に折れれば,昭和の空気感を色濃く残す一角へと道は続いてゆく。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184527j:plain

晩夏か,初秋か。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184422j:plain

「印章」も死語になりつつある。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184426j:plain

絵のような道だ。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184532j:plain

建具こそアルミサッシに更新されているが,腰壁のタイルや,2階の欄干の造作,その下のアールの付いた小壁など,妙に色艶のある建物である。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184536j:plain

古い自動車教習所の看板。イラストのアングルが格好良い。フェンダーミラー,良いなぁ。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184434j:plain

明智町を代表するY字路。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184439j:plain

全体的に作為的な感じがせず,見られることを過度に意識していない感じが自然で美しいと思う。

 

f:id:anachro-fukurou:20211220184541j:plain

旧旅館建築。現在は地階で軽飲食・喫茶「アミー」が営業中である。よっぽど入ろうか迷ったのだが,常連客で賑わっているよつな雰囲気が感じられたので,通過した。

「大正村」の明智町に来て,気付けば結局関係のないところばかりをほっつき歩いていた。

 

その2へ続く。

 

 

▼関連記事はこちらから。

 

▼ 宜しければクリックのご協力をお願い致します。

にほんブログ村 写真ブログへ

にほんブログ村 写真ブログへにほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ