梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

東伊豆町散策(2):伊豆北川・国道135号線の西側,緑の町を歩く。

緑の侵略。 2022.06.04 伊豆北川

 


6月4日(土)。Twitterの相互フォロワーさんと東伊豆町へ。伊豆北川駅で下車し,坂戸階段の多い集落の散策を始めた。

▼その1はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

伊豆急行の鉄道橋と国道135号線をくぐり,ここからは一度集落の中心部を離れ,西の山側に回り込むことにした。

 

緑に佇む錆。

 

薬缶というものの持つ不思議な魔力がある。鍋やフライパンとは全く異なり,そこに生命が宿っているような感じがするのだ。恐らくは球体に近い形状の閉曲面であるから,記号的に「頭」のようであったり,魂を内に込める「皮膚」であったり,そういう風に認識してしまうのだろう。また,湯を沸かす時に薬缶がさまざまな音を発するというのも,生命体のように感じられるもう一つの理由なのだろう。

 

海が遠く感じられる。

 

坂を上ると,再び蔦の侵略を受けた建物が見えてきた。

 

生命力の漲る葉の陰翳と色相,働きを終えたものたちの滅びゆく質感。

 

パラボラアンテナを薄緑が占領していた。

 

階段の掛かる入口の先に,人の営みは絶えたようだ。

 

かくれんぼ。

 

補色の美。

 

洗濯物は,其処にある日常,人の営みの象徴であり,或いはそれそのものである。まさに旅先で求めているものを凝縮した要素の一つと言えるのだが,かなり直截的な存在であり,撮影にあたっては人の姿や人の顔を写す行為とほぼ同等の倫理的な引け目を感じてしまうことが多く,なかなかレンズを向けることが出来ない。伊豆急行の車中,丁度そんな話が盛り上がっていた矢先に,この景色に出くわしてしまった。

階段の下の,緑に囲まれた下見板の家の軒先に干された洗濯物,その向こうには海が拡がり,水平性には島影までが浮かんでいる…浮世離れしたような景色に対し,もはや親しみを超えた尊さの結晶,或いは日常を遥かに超えた非現実を観ているような感覚であった。SNSには決してアップしないが,洗濯物に対する一連の思考と躊躇,それをも超越した眺望があったという記録として,この記事には1枚の写真を掲載しておこうと思う。

 

さらに進むと,海岸沿いの集落が見えてきた。

 

山の斜面に駅があり,坂を下ってくるとオーシャンビューの社員寮がある。斜面に広がる家々の隙間には階段が張り巡らされている。

高台からは町の様子を,決してドローンに頼らずこの目で見る事ができる。先程まで歩きながら眺めたばかりの生々しい記憶と,俯瞰する視点からの眺望の,確かな知覚の連結を感じられた時,この街を本当に知ることができたという嬉しさや,この街の一部になれたような錯覚が心に芽生えた。

 

あの階段や,緑に覆われた建物は,あとできっと行ってみようと思った。

 

さらに北に歩いてから,満を持して階段を下り,集落の中心部へと戻ることにした。

 

大木の横を抜ける。

 

石積みの階段からは,並々ならぬ風格が感じられる。

 

6月の緑は,人間に喩えてみれば「高校生~大学生」である。若さと活力のピークにあり,魂の隆盛を感じる。

 

 

石垣の下の道を進むと上り階段があり,この先は行き止まりであった。

 

たくさんの色,たくさんの役者が路傍に散りばめられている。

 

だいぶ標高が下がって来た。

 

細いコンクリート柱が印象的だった。

 

海老茶色の瓦の廃屋があった。

 

瓦屋根と,目に鮮やかな紫陽花。

 

内外の反転。

 

家の向こうは国道135号線である。その下を潜る道があるようだ。

 

何と,下り坂の勢いもそのままに,国道の下へと階段が呑み込まれてゆくのである。

 

そしてこのスペースから階段を見下ろすところに柵が無い。なかなか驚きの空間であったが,その異常さは写真で記録するのが極めて難しいものだった。

 

国道の下には,素敵なポンプが眠っていた。

 

その3に続く。

 

 

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