梟の島

-追想の為の記録-

弘前散策(9):日没前の街歩き,そして帰京。

落陽と岩木山。 2022.05.25 奥羽本線車窓

 


5月25日(水)は,およそ1年半ぶりの弘前出張である。午前中は近代建築を中心に市内を巡る。仕事後も時間があったので,弘前城の西側を巡ってから,中心街の近代建築を午後の光の下でふたたび撮影し,17時に自転車を返却。帰京までの残された時間で,鍛冶町・新鍛冶町の歓楽街を歩いている。

▼その1はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

引き続き時間の許す限り,歓楽街を散策する。

 

本町坂の東側。

 

灯りが点る。

 

その隣の「グランドパレス2号館」。朝にも撮影したが,この看板はなかなか惹かれる。「半分のリンゴ」「スチュワーデス」「愛人」あたりが素敵。

 

1階はさっぱりとした空間。

 

2階に上がると,昭和がようやく顔を覗かせた。

 

「スチュワーデス」には飛行機の機体風の窓が並ぶ。

 

手の込んだ造作,70~80年代の雰囲気だろうか。

しかし随所に目張りがされ,嘗ては自由に往来できたであろう通路も,今は殆ど封鎖されてしまっていた。3階の空間にも立ち入る事はできなかった。

 

仕方なしに1階に下り,テアトル弘前の横を抜けて外に出た。

 

北上してゆく。

 

ダンスホールのあるカネヨビル。

 

ここも中廊下式。

 

少しやんちゃな雰囲気の車が停まっていた。

 

MEIJIYA OTTOなるビル。明治屋シリーズの建物はどれも金と青の印象が強く,きっとコンセプトカラーなのだろう。

 

「城東閣」,嘗てはこのブログで紹介するに相応しい激渋空間だったのだが,3~4年ほど前に綺麗に整備されたらしい。一足遅かった…。

人で賑わっているのであればよいのだが,18時近いのにその様子は無く…「そうじゃないんじゃないの…?」という心の声が思わず口を突いた。

 

城東閣の東端から北上すると「かくみ小路」。この辺りの方が活気が感じられた。

 

かくみ小路から,城東閣を後目に南下してゆく。この道を歩けば,歓楽街の全てを網羅した格好になる。

ストリートビューで見返してゆくと,「弘前センター」なる渋いソシアルビルが2棟,一茶食堂の向かいに建っていたらしいのだが,それも見当たらなかった。ここ2年ほどで解体されたのだろう。

 

弘前センター跡の南,「鍛乃館」も,かなりやつれた印象だった。

 

カネヨセンター。

 

南側の入口はなかなか渋め。今思えば,なぜ2階に登らなかったのだろう…。

 

この一枚を最後に,歓楽街の撮影を終えた。

 

北川端町で一枚。

 

弘前昇天教会に戻って来た。

 

夕刻に見る煉瓦造の建築は,また味わい深いものである。この時間ならば決して半逆光も悪くない。

 

陰翳と色彩の共存共栄,演出過剰に見える超現実。

 

中央弘前駅。ちょうど上り列車が来るようなので,土淵川の西岸で待機した。

 

長老がゆっくりと姿を現した。

 

深い溜息をついて,重たそうな身体を休める。

 

次に来る時まで,どうか元気で居ておくれ。そう願いつつ別れた。

 

中土手町商店街で一部,撮影できていなかったところを掠めるように通り,JR弘前駅へと戻る。「終電」までの時間は既にぎりぎりだった。

 

イトーヨーカドーの南側の住宅街に気になる建物があったのだが,遠回りになりそうで,接近を断念。後々見返してみれば,このまままっすぐ抜けられたらしいし,建物の造作もなかなか美しかったようで,実に惜しい事をした。

北北東に向いた建物なので,早朝か夕刻の撮影が望ましいだろうが,どなたか是非記録を取っておいてほしいと思う。

 

県道17号線をひたすら歩き,ラストスパート。改札を抜けホームに着いたのは,青森行の列車の発車3分前だった。

あまりにも天気が良かった分,日没まで少し時間がある中での撤収は勿体なく感じられたが,仕方がなかった。

 

列車は黄昏の弘前盆地をゆく。岩木山のシルエットの右肩に,落陽が沈んでゆく。

 

田圃の早苗と,山と入日。雲は無い。

 

幸せで,尊い時間だった。

 

最後の最後まで雲に隠れることなく,桃色に燃え尽きていった。

 

日没とともに車窓は黒ずんでゆき,新青森に着く頃にはすっかり夜の帳が下りていた。新青森駅で夕食を手配するつもりだったのだが,なんと駅中の物産館の営業時間が19時までに短縮されているらしく,既に終了していた。コロナ禍で仕方がないとはいえ,がっかりである。しかし幸い,NEWDAYSで鯖寿司を購入できたので良しとする。

 

新青森を発ってすぐに夕餉。シソと生姜が効いていて美味だった。

道中は終始快適で,何事もなく無事に帰京,帰宅した。

 

日没を奥羽本線で見送って,その夜に自室で眠るというのは,改めて何だか奇妙な感じがした。自分にとって,旅はまだ非日常であり続けていることの一つの証でもあろう。そしてこの奇妙さは,東北方面への夜行列車での移動の感覚が,身体の奥深くに刻まれていることにも起因しているのだと思う。

終日汗だくになり,皮膚が剥けるほど五月の陽光を浴びながら散策をしたが,弘前には偕行社などの近代建築を幾つか積み残してきた。その心残りはさほど大きくはなく,どちらかというと歓楽街が2010年代に様変わりしてしまっていて,被写体としての魅力がかなり失われてしまっていたのが残念であった。一年一年,街も人も老いてゆき,昭和は遠ざかってゆく。文化財という歴史の上澄みだけが美しく保存され,中庸以下のものや俗悪なものは,価値を顧みられることもなく淘汰されてゆく…そんな当たり前の摂理を散策するたびに突き付けられるのだが,それでも「まだ大丈夫だ」と確認できるから,趣味として続けていられるのだろう。

今回で弘前はかなり網羅的に見て回ることができたが,ここから黒石,温湯,大鰐,大館,鷹ノ巣,二ツ井,男鹿,秋田そして羽後本荘と,幾らでもきちんと散策したい場所が日本海側へ続いてゆくのである。自分に時間があるうちに,出張に頼らずここらで一度,純然たる旅行を久々にしてみよう。この夏から秋が勝負所である。忙しさにかまけて怠けずに,自分の内なる欲求に更に正直になることで,もう一つ次のステージの「景色」を見てみたいと思うに至った。

 

 

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