小京都の朝。 2021.09.11 静岡県森町
9月11日(土)。3ヶ月ぶりの出張の翌日,朝6時すぎにホテルを抜け出し,掛川の街を散策する。駅のすぐ近くの小さな歓楽街,中町商店街・連雀商店街を撮影してきた。
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昨晩は湘南色に塗られた車両が停車していたが,今日はバイクのラッピング仕様。窓に小さな水玉模様の開いた黒いフィルムが貼られていて,車窓など見えたものではなかった。こればかりは地方都市を走る中小私鉄がやってはいけない事だと思う。地元の足としての機能に少しでもプラスアルファの価値を見込まないことには,地方都市の衰退と運命を共にするのみではないだろうか。特に天竜浜名湖鉄道には木造駅舎など沢山の鉄道資源があるのだから,それを無駄にするような愚策は講じてほしくないように思う。
そんな訳で,途中駅に停車している際に車窓の写真を撮ることは叶わず。久々に気動車に揺られるも,旅情を感じる事は出来なかった。
遠州森駅に到着し,隣のホームに留置されていた車両とツーショット撮影。
そして交換列車がやって来た。
土曜日の朝,客はほぼ居ない。乗って来た列車と交換列車を静かに見送った。
無人の木造駅舎には静寂が訪れる。
国鉄二俣線の時代の雰囲気を残した,登録有形文化財の駅舎である。
簡易な改札が堪らない。
単に年季を感じさせるだけでなく,現役ならではの雑然とした空気感を纏っていた。
この駅を利用する乗客の様子を,例えば夕暮れ時の光の中で撮影したら,それだけで旅情を強烈に掻き立てられる絵が撮れるのだろう。車両の被写体としてのポテンシャルは高くないが,天浜線を楽しむ術は工夫次第で色々とありそうだ。
さて,ここは「周智郡森町」。聴き馴染みの無い自治体名かもしれないが,浜松市,磐田市,袋井市,掛川市,島田市に周囲を囲まれた,県西部唯一の郡である。
また森町は県内で唯一「まち」と呼ぶ自治体であり,同名の北海道森町と姉妹都市なのだという。
近世には秋葉街道の宿場町として栄え,「遠州の小京都」との異名を持つらしい。
不勉強故にこれまでその存在を認識していなかったのだが,今回の散策の下調べの際,秋葉街道沿いの街並みの面白さにようやく気付かされ,探訪するに至った。
まずは駅の北東に位置する中心街に向かって歩いている。
目抜き通りにも,被写体になるような雰囲気の建物が点在している。土曜の朝8時前,車通りは少ない。
森町の名産は,茶と椎茸。
本町の信号で左折すると,年季の入った書店がある。
大きな呉服店の建物。
成熟したファサード。
嘗ては酒屋だったのだろうか。
大きなキリン。
次の道を右折すると,大正時代に地理学者を「小京都」と言わしめた街並みの片鱗が見えてくる。
強烈な印象を放つ洋品店。集合体恐怖症の方には少し厳しいかもしれない。
傘屋。
平入りの建物は,1階の全面が開口部。
森町の歴史は古く,鎌倉期には「森市場」が形成されたらしい。戦国時代には武田・徳川の攻防により衰微に追い込まれるも,17世紀から再興。
1830年頃には人口1300人,旅籠屋24軒を誇る地方都市となっていたようだ。古くは太田川の左岸にあった街は,慶長の洪水で右岸へと移り現代に至るらしい。(町内の掲示板より)
これが「小京都」の雰囲気。
建具から中を垣間見る。
立派な店である。
現役の住宅も非常に規模が大きい。
連子窓の美しさ。
良いカーブ。
森乃茶。随分と大きな看板だった。
歩いてきた道を振り返る。古い街の雰囲気が感じられる。
歪みながら,令和を生きる。
電器店。
洋装店。
学生服を扱う洋装店も,ゆくゆくは消え去ってゆく定めにあるのだろう。
細道の十字路,その向こうには太田川。
徐行の家。
来た道を少し戻り,T字路から分岐する道を見ると,商店街らしい街灯が現れる。ここから北に展開されているのが森町仲町商店街である。
その2に続く。
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