梟の島

-追想の為の記録-

旧北陸本線沿線散策(1):直江津駅北口を歩く。

コンパ。 2023.01.21 直江津

 


1月21日(土)。1泊2日で,直江津~糸魚川間を歩く。何年も前から温めていた行程を実行に移す日が,とうとうやって来た。

便利になったもので,北陸新幹線で上越妙高まで,もしくは糸魚川まで行けるようになった。未だに長野から信越本線で直江津へ,或いは大糸線で糸魚川へ…などと考えたくなってしまうのは,2015年2月,北陸新幹線開業直前,JR北陸本線・信越本線としての最期を目に焼き付けるべく訪れた後,この一帯にまともに足を運んで来なかったからである。ようやく記憶を塗り替える機会を自ら設けた格好である。今回の記事のタイトルは,あくまで自分の中での捉え方として,様々な観点から昔日を偲ぶ意味を含め,「旧北陸本線沿線」を掲げることにする。

正直な所,TLで筒石の街や駅を見る頻度が高く,その度に足が遠退いてしまっていたのだが,元々行きたかった場所であることに変わりはない。余計な雑念を振り払い,悉皆的に海岸線を歩くという大目的を掲げ,久々にこの非日常が「旅」になることを望みつつ,東京を発った。

快適な新幹線で,上越妙高へワープする。いくら「上越妙高」と聞いても「脇野田駅」と思ってしまう天邪鬼がプラットホームに立つと,冷たい雪がちらつき始めた。気温はほぼ零度。風が吹くと流石に少し寒いので,微かな撥水性のある薄いズボンを一枚,上から重ねて穿いた。

車内から高田の駅前を見る。「軒まで雪の降りつむと聞きし高田はここなれや」と,鉄道唱歌(北陸本線編。皆が思い浮かべるメロディーとは異なるので,是非調べてみてほしい)を口ずさもうにも,車窓に雪が全く見当たらない。1月下旬の高田に雪が無いとは,どれほど珍しい事なのだろう。8年前は軽く1m以上の雪が屋根に積もり,軒には鋭く深い氷柱がぶら下がっていたのだが。

積雪は無くとも,地元の人達は長靴を履いていた。防水靴であるとはいえ,自分の装備が少し脆弱なような気がして怯んだが,結果的には杞憂であった。

 

薄日の差す直江津駅に到着。この長大なホームよ。北陸本線の終着駅であり,信越本線との連絡駅でもある直江津は,鉄道の要衝である。

 

「えちごトキめき鉄道」という,質量感のない名称の鉄道。車両形式は何と言ったっけ。軽妙な足取りだった。最後に此処を後にした時は,115系へ乗り継いだのだったな…。

 

このホームの長さと構造,そしてトラス屋根は,記憶にある通りだった。

 

駅前。晴れている。

 

TLでも見かける駅前旅館。なるほど良い佇まいで,行程が噛み合えば泊まってみたくなる。

 

雁木。極めてはっきりとした伝統的な構成という訳ではなく,途切れ途切れではあるのだが,ここが雪国であることを充分に感じさせてくれる。

しかし何故か,冬なのに街に雪が無い。

 

街並み。

 

なるべく陽射のあるうちに,記録してゆく。

 

徐々に北へ歩いて行く。

 

駅前商店街という名称が,ひっそりと残る。

 

陽射があるというのに,いきなり雪が降って来た。上越妙高に着いてから此処までの間に,天気が二転三転している。

 

裏道はまず覗く程度に。

 

程なくして太陽は厚い雪雲に隠れていった。

 

この人工芝のある水路際の路地が,直江津散策の第一の目的地である。

 

「コンパ」の名前が印象的。そういえば江古田駅前にも同名の店があったな,などと思い出す。

 

勝手橋の多い水路脇を,西へと歩いて行く。

 

水路上への表出。

 

活用されている。

 

道を潜り,水路は続く。

 

トラス橋,ワーレントラスに鉛直部材が付いたものか。

このサイズ感の橋で,トラスがどれほど構造的な意味を担っているのかと問われると,正直かなり微妙で(面外変形も拘束されていないので猶更である),意匠的な意味合いが強いようにも思う。それゆえに愛らしいのかもしれない。

 

構造的な合理性を欠いている斜材の配置だが,それもまた可愛いじゃないか。

 

フィーレンデール橋もある。

 

歩いていて楽しい道だった。

 

その2に続く。

 

 

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