錆びた人車。 2022.07.31 三川坑
7月31日(日),長崎出張の前々日。陸路で大牟田に入り,レンタサイクルで早鐘眼鏡橋,三池炭鉱宮原坑,万田坑を見学。その後は専用鉄道の遺構を巡りながら三池港まで移動してきた。
▼その1はこちらから。
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三池港の沿岸を北上し,程なくして三池炭鉱三川坑に到着。
ここが土日のみの公開なので,今回の旅程においてこの日が無条件で大牟田散策となったのだった。
三池鉱業所。
静態保存された専用鉄道の機関車たち。
繰込場。
その奥の職員浴場も痛ましい姿であった。
人車。
簡素な造り。
そう遠い歴史ではないのに,こうも簡単に「もの」は朽ちてゆくのか。
第二斜坑に向かう軌条。
その横の機械に目が行った。
これは何だろうか…?
宿命的な哀しさを抱いたものが,絵になってしまうのである。
もう,回ることはない。
満を持して第二斜坑へ。1940年より出炭が開始され,1997ねの三池炭鉱閉山とともに閉坑した。
木造の美。
斜面に眠る。
救急車の存在に,労働の重さを窺い知る。
注意事項。
埋められた坑口から斜坑の入口を見上げると,なかなかな急勾配である。
かつての鉱員は此処に入るときに何を思い,ここに戻るときに何を思ったか。
架構は木造のトラス。下屋の部分は修復され材が一新されていた。
鉱員用の坑口。
山ノ神神社。
この左後ろには第一斜坑の坑口があった。1963年の炭塵爆発事故で死者458名,重傷者675名,一酸化炭素中毒患者839名という激甚な被害があったその場所に,静かに黙祷を捧げた。
コンプレッサー室の脇を通り抜けてゆく。
その8に続く。
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