出張にかこつけて,園城寺(三井寺)を拝観してきた。国宝・重文をはじめとする貴重な文化財が広大な境内にごろごろと点在する, とんでもないキャパシティの寺院である。終日本降りの雨で,撮影は困難を極めたが,このところのコロナ騒ぎも相俟って境内はほぼ人気が無く,静かに仏堂を眺める事が出来た。
まずは仁王門(重文)。1452年に甲賀・常楽寺に建立され,1601年に寄進・移築。
桧皮葺が綺麗なのだが,躯体の白さと1層の腰高さに目が行く。
受付を入りすぐに釈迦堂(重文)。室町初期の食堂(じきどう)。唐破風の主張が強く,桧皮屋根を葺き替えた後はまた違った表情を見せてくれそうだ。
組物は舟肘木のみの簡素な造りである。蔀戸は内側に吊られていた。なぜか柱の上方が新材に交換されていた。縁が広く,縁板も分厚い。
階段を登れば,国宝の金堂。すさまじいサイズである…この規模の桧皮葺の建物は,類例がぱっと浮かばない。 堂内の展示でも,葺き替えに相当数の桧の木を必要とする事が記されていた。
金堂(本堂)は1599年建立。1595年,秀吉に闕所(けっしょ。廃寺に相当する)を命じられ,それまでの堂宇が破却されたが,秀吉の死の直前に再興を許可され,そこから僅か数年で本堂,勧学院・光浄院を始めとする建物が再建された。さらに仁王門,後述する三重塔などの複数の建築物が各地から移築・寄進され,今日に至る。このことからもいかに強大な寺院であったかが窺える。
閼伽井屋,弁慶の引摺り鐘,孔雀小屋を見て,その次に現れたのが一切経蔵(重文)。こちらも1602年,山口・国清寺より移築,毛利氏により寄進されたという。
堂内には八角輪蔵。高麗式の経典が納められている。
細密な造りに,ライティングも相俟って,格好いい被写体だった。
三重塔は徳川家康より寄進された,奈良・比蘇寺にあった室町期の塔だという。
灌頂堂と,長日護摩堂。三重塔,大師堂と合わせて「唐院」と呼ばれているようだ。
境内はとにかく広大だ。村雲橋を渡る手前,苔の美しい一画があった。
予め分かってはいたのだが,勧学院はほぼ全く見ることが出来ず。疲労が溜まってきたので微妙寺を通過し,毘沙門堂(重文)へ。簡素な可愛らしい堂である。
そして最後に階段を上って到着した,観音堂(県指定)。土足で上れるのが不思議だった。高台になっており,少し遠くに琵琶湖を望むことが出来た。
大津の駅から徒歩圏内でこれだけのものを堪能できるというのは,何だか不思議な感覚だった。県庁所在地で観光は難しい,というのが持論なのだが,今回は良い意味でこれを覆されたように思う。
園城寺は文化財を愛好する身として,一度は来なければならないと思っていた場所なので,こうしてじっくり静かに探訪できたのは良かった。願わくば,光浄院・勧学院を見せてもらいたいものだが…今後の人生で良い機会に恵まれることを期待しつつ,今回の記録はここまでとする。