梟の島 -叙情的叙景詩-

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大阪・アーケード散策(4):城東商店街の新アーケードに見る「希望」。

整然。 2022.04.27 蒲生

 


4月27日(水)。2年半ぶりの大阪出張が入ったので,仕事前にアーケード商店街を巡っている。放出みゆき通り商店街,放出栄町南通商店街,南鴫野商店街を歩いてきた。

▼その1はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

鴫野から大阪メトロで北に一駅,蒲生四丁目で下車。城東商店街にやって来た。

 

2年ほど前に新たなアーケードが完成したという。

 

地方都市では衰退した商店街のアーケードを撤去するのが時代の流れになっているのだが,さすがは大都市・大阪。この時代でもアーケードを新設するモチベーションと財力があるのだ。

 

商店街の周辺を逍遥。

 

手の込んだ平面形状。

 

アイスクリーム屋。

 

パイロンは何のために設置されているのだろうか。

この後,自動販売機に飲料を補充するコカ・コーラのトラックがやって来た。

 

はりぼてのポストを作る気力。

 

煙草店。

 

このアーケード,なかなか幅が広いのだ。これまで数多の全蓋を見てきたが,ここまで「ワイド」なものは珍しいのではないだろうか。

 

時刻はまだ9時前。

 

横道を見ると,これまた大阪らしい景色。

 

南へ抜ける。この辺りは住宅街が殆どなのだが,それでもわざわざ屋根を掛けるのかと,感動すらおぼえる。

 

南端。

全蓋式アーケードという前時代的になりつつあるものが,生まれて間もない姿で目の前に存在している。素材感は極めて新しいのだが,スタイルは極めて古典的なのだ。

 

そして少し大袈裟にはなるのだが,こういう「前進」こそが,財力的な意味ではなく,文化的な豊かさを表すものなのではないかと思うのだ。

 

いつからか,時が進むにつれて,淘汰され,簡略化され,画一化され,やがて廃止されるのが時代の常になってしまった。「サービス」はスマホやネットの中に圧縮され,見かけの自由度が上昇すると同時に乱数成分を失い,「あそび」は公共空間から失われつつある(乱数にはもちろん「人間」も含まれている)。カウンターカルチャーとして,そういう「あそび」に豊かさを求める人は一定数居るだろうが,社会の方向としては,確実に貧しい方に向かっていると認識せざるを得ない。子供の頃に夢見た「未来」では,あんなこともこんなことも出来るようになっていた筈なのに,今の自分と社会の関係はどうだろうか。間もなく出来なくなりそうな事を慌てて追い求めるという消極的な動機のみでしか,積極的行動を生み出すことができないのである。

 

そんな中,往年のスタイルを踏襲した新たなアーケード商店街の架構は,自分にとってとても正しく希望を持てる,背中を押してくれる存在であるように感じられた。

 

「便利にする」ことは幾らでもできる。しかし往々にして,その手段には暴力性が含まれる。そのプロセスは程無くして商業主義に飲み込まれ,エッセンスは切り捨てられてしまう。そうではない,価値の神髄を見極め,「より良くする」「続ける」ということが,精神の姿勢として本当に尊いものだと感じる。そんなものが理想主義的だという事は重々承知の上で,決してその矜持を忘れてはいけないし,決して越えてはいけない一線があるということを,声高に訴えていたいと思うのだ。こんな趣味を扱っている者だからこそ,その重要性を切実に感じるのである。

 

そして,乱数を含む「あそび」の面白さと尊さを,こうして此処で発信し「続ける」こともまた,自分なりの芯の貫き方なのである。

 

古いものと新しいものの共存・進化,そこには確かな文脈が宿っており,色々と考えさせられる時間になった。

さて,城東商店街から横に抜ける「城東中央商店会」には,昭和の香りを色濃く残すアーケードが掛かっているので,次の記事で紹介しよう。

 

その5(城東中央商店会)に続く。

 

 

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