梟の島 -叙情的叙景詩-

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佐原散策(5):観光地の日常,違和感と心地良さ。

夕凪の水鏡。 2022.04.28 佐原

 


4月28日(木)。鹿嶋出張の後,鹿島神宮駅付近を散策した後,佐原に移動。昨秋に歩きそびれた路地を訪れた。

▼2022年探訪・その1はこちらから。

anachro-fukurou.hatenablog.com

引き続き小野川沿い,重伝建の街並みを歩く。亀村木材のあたりから東岸を南下してゆく。

 

4月にしては暑い一日だったが,この時間の水辺ともなれば十分に涼しく快適である。

 

縦材の細かさ,荒々しくも美しい戸袋の木目。そしてそれらを染め上げる西日の愁い。

 

ひときわ存在感のある一角。対岸から眺めた時には繊細さを感じたが,いざこうして目の前にすると,積年の迫力というものを感じる。その傍らの裸電球がちっぽけで愛おしい。

 

大きな硝子戸。やはり接近してみると,武骨さの印象が勝る。

 

よく「江戸時代のような」「タイムスリップしたような」などという表現が散見されるが(だいたいは奈良井宿の圧縮構図と共に),江戸時代を生きた経験も無ければタイムスリップした経験もないので,これらは須らく嘘を含んでいる。誰かにそう言われなければ,江戸時代のようだとも思わないし,タイムスリップしたようだとも思わない筈なのである。自分に正直で居る限り,知覚というものはそのような一般性を帯びたものにはならない。自分の感性と共鳴する部分を知覚の対象に見出したり,自分の記憶の中から似たものを探したり,須らくそのような「個別解」となるべきものなのである(尤も,丁寧な人間であれば,の話である。敢えて説明をつけるのならば,そういった稀有な経験の一つ一つを乱暴に同じ引き出しにぶち込んで来れば,毎度同じように「江戸時代のよう」「タイムスリップしたよう」と思うのかもしれない)。

 

制服の学生が駅へと歩いてゆく。

「江戸時代のよう」でもないし,「タイムスリップ」もしていない。「セットのよう」でもない。真実を目の前にしながらその真実に対して,一言では表せない違和感をおぼえていた。ハレとケの狭間とでも言おうか。確かに街並みは現役で生きているのだが,とても美しく修景されているので,それが不自然なのである。街並みは勿論,川といい柳といい橋といい,少しずつ全てが出来過ぎている。しかし明らかに不自然すぎるという訳でもない。違和感の正体は,この出来過ぎた街で平然と,令和4年の人々の静かな日常が営まれていることだった。

 

自分の日常と,この街の日常とは,決して交錯することがない。その寂しさや心細さが,平日の夕刻の静寂に増幅されてゆく。

それでいて,自分が完全なる部外者としてこの場所に存在できている,それゆえの清々しさも感じてしまう。その感情は恐らく,旅をする者が少なからず味わう類の物であろう。

この感情に引け目を感じる必要はない筈なのだが,それがどうしても,自分が都会育ちであるがゆえの「下って来た者特有のオリエンタリズム的思考・視線」なのではないかと,自分で恐ろしくもなるし,実際に周囲からそのように見られているのではないかと思うと憂鬱にもなる。

誰かの日常が尊くて,そこに溶け込みたいだとか,自分自身の日常を己の時間軸から一度切り離すことによる脱却・解放感に身を委ねたいだとか,過去への憧憬にも似た心安らぐ時間・空間を求めているのだとか,自分の散策の正当性を記述しようと思えば幾らでも言葉を並べ立てられるだろう。しかし,オリエンタリズム的視点であることを完全否定するのは悪魔の証明のようなのだ。逆向きに背理法を用いれば,そうではないとは言い切れないと,簡単に証明できてしまうのだから。ゆえに,好きなら何を思ってもよい訳ではない…このように,自分の感情までをも理性は徹底的に理論武装して否定しにかかるのである。

だからこそ,地元の方の好意に触れた時,初めて「石ころぼうし」を脱いでその地に存在することができ,心の底から赦されたと感じることができるのである。

 

尤も,佐原は観光地。余所から人が来ることを想定した街である。その点,この日の散策はいつもよりも幾らか気が楽であった。

 

木の下旅館。宿泊はもう出来ないが,現在も活用されている建物だ。

 

絶妙な色使い。

 

釘隠しの緑青。

 

休日は観光客でにぎわう道が,平日は犬の散歩ルートなのだ。

 

年齢不詳の「パーマ」。

 

寄棟の屋根が掛かる蔵。

 

正上醤油店(県指定)。

 

最後の夕日を屋根に浴びる。

 

三者三様なのだが,それでも色と素材が共通していて,意匠として「面」ではなく「線」が勝れば,自ずと統一感が出るものだ。

 

旧油惣商店 (県指定)。店舗は明治,蔵は寛政の建築。ちなみに最奥の近代建築風ビルはほぼ新築の千葉商船ビルである。重伝建の中に新築を建てるという斬新な試みだったらしい。

 

忠敬橋の脇の愛らしいシャッター。

 

中村屋商店(県指定)。店舗は安政期の建築である。

 

橋の南へ。

 

ああ,暮れてゆく。

 

人の気配が殆どない。

 

いよいよ落陽は,家並みの向こうへ姿を消してしまった。

 

寂寥が水面に揺蕩っていた。

 

その6(終)に続く。

 

 

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