梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

【梟の迹2022】上半期を振り返る。

 

2022年は意図的に暴れた。殆どの出張にかこつけて散策し,日帰りの非日常も数多く設けた。カメラを振り回した日数は約50日,平均週1回は何かしら此処の記事になる撮影をした。

その記録と記憶がただの絵日記だけに留まるというのが些か勿体なく感じたので,未来の自分が読み返した際に少しでも有意義なものになるよう,非日常と感情との相互作用や重要な項目をピックアップしながら,一年の「迹」を振り返りながら記してゆこうと思う。

 

 


 

■1月上旬:常陸太田

年始一発目,水戸出張の前日に常陸太田を訪れた。曇天の駅前を歩いてから昼過ぎに目当ての中華料理店を目指すも,5分前に営業終了。昼食を抜き鯨ヶ丘に上ると雲は消え,夕方晴れ男は2022年も健在のようだった。撮影散策は充足感とともに日没コールドを迎えたが,この日は成人の日。夕飯処を探すも,営業している店が見当たらない。灯りの出ている店をようやく一軒見つけるも,暫く待って欲しいとの事だったので諦めた。晴れた1月の日没後は「寒い」というよりも「冷たい」。昼食を食べ損ねていることもあり,放射冷却に体温が奪われてゆく。身体の中には燃料が無いので,すっかり足も手も冷え切ってしまった。強張った顔をどうにか解しながら人気のない街を彷徨うも,やがて意識が朦朧としてきた。自動販売機で買った缶コーヒーも,悴んだ手で持つと2分程で温くなった。やっとの思いでコンビニに辿り着き,エネルギーを仮補給。そこから数百メートル歩き旅館に着くと,落ち着いた雰囲気の猫が道路まで迎えに出て来てくれて,幻覚を見ているかのような不思議な心持であった。荷物を置き,さらに数百メートル北にあるうどん屋で食事にありつくまで,日没から夕食の為に約5kmを歩いたようだった。食事を軽視し食事に振り回される焦燥の非日常は,思えばこの日から始まっていた。

夜は宿でスペース。昨年末にオフ会を2度実現できたばかりで,Twitterへの期待感が非常に高い時期だった。

 


 

■1月上旬:那珂湊

那珂湊は出張後,日没まで2時間ほど残ったので探訪。曇天で歩き出すも,中盤からは雨になった。冬の雨の中,カメラ2台持ちはやはり辛いものだあったが,何となく新年の希望に満ちている感じがあったからか,苦にはならなかった。

小雨の出張後の2時間…今この天気でこのシチュエーションだったらどうするであろう。また別の機会に,晴れた日にと後回しにしてしまうような気がする。当時の己に見習わなくてはならない。

 


 

■1月下旬:西武多摩川線

旧友と久々の鉄道撮影。生憎の曇天であったが決行した。疫禍の再流行が始まってしまったので対面の酒席は設けられなかった。

街歩きや撮影に多少の閉塞感をおぼえつつあったので,行き詰まったら原点としての鉄道撮影に回帰してみるのがよいと悟った。

走行写真の撮影は刹那的な緊張と興奮が醍醐味であるが,ホーム撮りの面白さは誰かの日常を「石ころぼうし」を被って傍観する点にあり,街歩きに通底するものがあると改めて感じた。

 


 

■2月上旬:上野原

思い立ってから出発するまでの助走の時間が最も短い散策だった。

駅から市街地への道に掛かる,中央道を渡る「橋」が,ちょうど千と千尋のような此方と彼方の境界に思えた(後述の足利,栃木も同様)。

散策において,家路に就く時に味わう寂しい感覚や,日没後の蒼白い冷たさに期待しているのかもしれないと思った。奇妙なマゾヒストである。なお上野原の写真は何回かに分けて灯台(Twitterのこと)に投稿すると非常に反応が良かった。冷たく乾いた冬晴れの夕刻,最も「らしさ」が自然に表れるのかもしれない。H-mollのような心象である。

211系なんて,東北本線・高崎線,そして中央線から115系を追いやった憎き存在だった筈のに,いつしかその佇まいに郷愁のようなものを感じるようになってしまった。そういえば子供の頃,湘南色の211系の玩具を持っていたっけ。確かバザーで買った物だったと思う。

 


 

■2月中旬:足利

昨冬は近場の街巡りをテーマを掲げていた。鉄道趣味が原点である己にとって,非日常は関東の外に存在しているものという意識がどうしても強いので,これを補正する為にも敢えて近郊に目を向けたのだ。ちなみに片道3時間強までは全て「近場」の認識である。

個人的に,北関東は冬晴れの日が似合うと思っている。2017年の富岡の印象が強いのかもしれない。

何かと縁のある街・足利も,悉皆的に巡ると興味深かった。建物にも街にも,大好きな褐色がたくさん存在していた。そしてまさか年内にもう一度出張で行くことになろうとは,この時は夢にも思ってもいなかった。

 


 

■2月下旬:福生

祝日の午後。相互フォロワーの方の投稿で見て思い立ち探訪。こういうフットワークの軽さを大切にしたいと思うし,実践していて我ながら偉いと思う。どれだけ気と身体が重くても,カメラと本だけ持って飛び出してしまえばよいのである。独特な猥雑さを持つ街は,ふらふらと歩くには丁度よい規模感だった。黄昏の道を牛浜駅へ歩く道中,飛行機の低さに驚いた。

この時期,灯台ではとにかく,沢山の人に投稿を見て貰えるよう,実験的試行を繰り返していた。当時のメモより「自分のやりたい事は島でやっている訳で。人に見てもらうこと・人のプロダクトと思考を見ること、交流すること。灯台ではこれらが最優先。「うまく」曝さなければ、その先には繋がらない。誰を対象にして、何を狙うのか。」

また冬の間に所用で頻繁に訪れたため,国分寺,小平霊園周辺や一橋学園駅前を歩いた。高頻度の散策を難なく実践できたのは,心が冬を得意としているからなのかもしれない。

 


 

■2月下旬:桐生

やる事が多すぎる街・桐生。朝から散策するも,当然ながら色々と積み残してきた。スナック街のアーケードへの道が,横の建物の壁の崩落により封鎖されていてショックだった。とても風の強い一日だった。

大盛況の「五十番」で,注文から40分ほど待った上で食べたカツカレーは美味しかった。TVではメタバースについて放送していたっけ。絹撚記念館で見た糸の色の美しさも忘れられない。

桐生倶楽部に入れる曜日に再訪したいが,次はいつになるのだろう。

 


 

■3月中旬:飯能

ずっと昔から,春は大の苦手である。人々が浮足立ち,世界が喧しくなる。鉄道趣味としてはダイヤ改正のある,愛したものとの惜別の季節だ。透徹した冬の空は春になると濁って黄ばみ,空気は埃っぽくなり,すべてが弛緩していて美しくない。

昼下がりに出発する時,外はまさにこの春の苦手な部分を凝縮したような空気が充満していたのだが,陽が傾くとその景色の美しさに魅了された。春は夕暮れ,春も夕暮れだ。

この日の夕刻のスナップショットに珍しく納得できたのは,春の訪れに心が弱りつつあったからなのかもしれない。心の調子が悪い方が,結果的に良い絵に繋がると思う。すなわち,心の状態が悪い時に何も考えずに飛び出せるよう,最低限の下準備の済んだ状態の腹案を複数ストックしておくのが非常に重要なのである。春の対処法が一つ見付かったかもしれない。

 


 

■3月下旬:栃木

建築巡りは撮影時の陽光の角度を意識するために,同じ道を2度歩くような奇妙な散策になってしまう。時間との戦いに必死になって歩き回っている間は良いのだが,これは果たして何だったのか,本当にこれで良かったのだろうかと,日没後に唐突に空虚がやって来る。

特にこの日は(夕方晴れ男としては珍しく)日没の1時間前に曇ってしまった事も相俟ってか,酷く暗澹たる心持ちで駅に戻った。特に初春は不安定で,夕刻の空と光だけが命綱なのだ。
それでも出掛けさえすればその事実をもって自分を赦すことが出来るから,随分とましなのである。

 


 

■4月上旬:多摩湖

ふと水辺に立ちたくて訪れた。桜が満開だった。花見をする猫も烏も可愛かった。東京西部に引越した利点はこういう景色へのアクセシビリティの高さだと,初めて実感を持った。人造湖の淡い夕景は,日常に隣接した非日常としては十二分に優秀なものだった。

撮ったものを冷静に見返してみると,「消極性」が滲み出ているように感じる。春だからなのかとも思ったが,別に春でなくても同じ事なのかもしれない。

灯台では「夕景追想」を開始。やる気に満ち溢れていた。反響は想像通り薄かったが,この挑戦は小さな自恃に繋がっている。

 


 

■4月上旬:児玉・本庄

高崎線の車内から見た藤色に近い青空の色に,春の深まりを感じた。

気管支の調子が悪く,往路の本庄~児玉のバスの車中でぐったり疲弊してしまったが,車窓に鄙びた要素が増えてくるにつれ気力体力が湧いて来た。バスを降りてすぐ蕎麦屋に入り,冷やしたぬきそばという,元運動部とは思えない注文をした。

児玉で眺めた桜吹雪は忘れられない。寿命を少し吸い取られたような気がした。梶井の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」も連想。桜には生臭い「死」の匂いを感じると常々思う。

本庄の夕刻も艶があって美しかった。日没間際は軽く走りながら建物を巡るという,焦燥の行程であった。

つい先日,本庄の写真館の解体の報に触れた。残念でならない。

 


 

■4月下旬:大阪

新年度初の大阪出張に,サンライズ出雲・瀬戸で東京を発った(矛盾を孕む一文であるが,己を知る人であればもう訝しむ事もあるまい)。出発時刻が22時から10分繰り上がって以来,初めての乗車で,気付けば2年半ぶりだった。

大阪では午前中にアーケード商店街をひたすら巡った。京阪トップ商店街では「痛くない」と感じたことから,逆説的に日常の世界で,日々無自覚のうちに鈍痛を感じていることをも自覚した。時間軸の遡上は憧憬のような甘いものではなく,苦味と痛みを伴う苛烈な渇望なのである。

 


 

■4月下旬:鹿嶋・佐原

大阪出張の翌日が鹿嶋出張という狂ったスケジュールだった(ちなみに本業は2月頃から年末に至るまで,ついに繁忙期を抜ける事がなかった)。築地の某旅館に泊まろうと思ったのだが,着時間があまりにも遅くなるし忙しないので,ビジホ泊にした。あの旅館はいつか必ず泊まらねば。

鹿嶋出張の後は列車待ちの1時間で鹿嶋,そして夕刻の佐原を歩いた。特に佐原は,平日に歩くと土休日とは全く違った見え方をする事を知った。修景された街を,制服の高校生たちが下校してゆく。小型犬を連れて散歩する人も,ご近所同士で談笑する人もいる。この街は彼らにとって日常そのものなのである。この景色は彼らにどのように記憶され,どのように想起されるのか。そんな日常に異分子として存在して感じた孤独は,安堵と幸福にも似ていた。

コンビニパンを2日間で計11個食した。

 


 

■5月中旬:北小金・亀有

23区内でも山手線の東側は,個人的に縁の浅い場所である。この日の夕方は,北小金の路地と亀有のアーケードを見に行った。慢性的な体調不良と曇天の所為で,心はみるみるうちに萎れてゆき,鄙びた店を眺めただけで夕飯も食べずに帰宅してしまった。そんな日もある。

GWに富山に行こうと計画していたのだが,天気が優れないため延期した。本当は水鏡の富山平野を眺めたかったのだが…この中止や,連休中の気管支の不調もあり,この時期は燻っていたようだ。灯台のフォロワー数も伸びない時期だったという記録がある(本当にこの数字はメンタルの鏡であるから興味深い)。なお富山はきちんと9月に探訪を果たすことになる。

 


 

■5月下旬:弘前

弘前出張。前日の夜に発ち,青森駅前に泊まる。駅前銀座については,珍しく良い記事を書けたと思う。

弘前は自転車で建築巡り。先人があまり歩いていないであろう城の西側を巡ったのが楽しかった。若々しい新緑に淡く澄んだ青空,近世・近代の建築,そして残雪を戴いた岩木山を前にして,太宰の「津軽の旅行は、五、六月に限る」の一文を五感で噛み締めた。カトリック弘前教会の祭壇の前に立ち,その教義ではなく空間と装置に感情を強く揺さぶられたのは,何か己の中に弱っている部分があったからなのだろうと思う。

本当は翌日も散策したかったのだが,気管支の不調明けであり,また翌朝にオンライン打合せを入れられてしまったので(候補日調査でNG回答をして有休を確保しようと試みていた日に打合せが捻じ込まれた事により,当時心が酷く折られた事を今になって思い出した),日没前の終電で弘前を発つ。水の張られた田圃の上と下に浮かぶ,岩木山の右肩に沈みゆく2つの赤い落暉を車窓から眺め,充分に5月を感じられて幸福だった。この夕景のお陰で,晩春への未練と焦燥は静かに消えていった。

 


 

■5月下旬:真岡

真岡出張,終始曇天。何となく「教養の為」に歩いてしまったような,そんな感じがした。渇望無き非日常に曇り空,心にとっての好機など殆ど存在しなかったが,浅く差し込んだ刹那の薄日に救われる思いがした。

 


 

■6月上旬:新座

あまりにも夕刻が美しくなりそうなので,病院の後に仕事に戻らず,そのまま新座に向かってしまった。そして本当に,艶やかで美しい夕暮れ時となった。

西武バスは己の原風景の確かな一部でもあるので,何か写真趣味の理想に少しだけ迫れたような気がした。

細い夕月を見送り,北の空に瞬く遠雷を眺めながら,背凭れの割れたバス停のベンチで「ストロングゼロもどき」を飲む。静かすぎて心細い黄昏時,片道1時間圏内であっても心を揺さぶられる場所は確かに存在する。非日常の価値は決して距離では決まらない。

 


 

■6月上旬:東伊豆町

フクロウとして知り合った方と丸一日の非日常を同行するのは初めてであった。この日については後から何度か話し言葉で言及しているが,端的に言えば景色として6月上旬の一つの「正解」を知ったような感覚である。この季節ならではの色,そしてこの場所ならではのワニまでも見る,盛り沢山の一日だった。また散策の姿勢,人に対する姿勢など,同行は非常に刺戟的だった。そしてやはりまともに昼食を食べていない…。

日の長い季節・公共交通・日帰りの条件下で,片道3時間半はほぼ限界の距離だった。

 


 

■6月下旬:三島・伊豆長岡

まさかひと月に二度,静岡を訪れようとは。

梅雨明け直後の散策となり,この日は非常に暑かった。三島は32℃程度で済んだが,もし北関東に赴いていたら38℃の地獄で,散策どころではなかった。伊豆長岡の河川敷で食べたブルーハワイが,今年食した唯一のかき氷だった。

相変わらず昼飯を抜いたため,夕方にハンガーノックに陥った。コンビニでハイカロリーのクッキーと冷却材を兼ねたアイスを食べ,たちまち快復。夏は栄養と休息を欠かしてはならないと改めて学んだ。

やはり夕刻に曇った事で少し盛り下がってしまったが,ブルーモーメントは充実していたし,お目当ての中華料理店で食した夕餉も(昼食を抜いた事もプラスにはたらき)美味しかった。テレビではカルガモの親子の引越しを放送していた。こうして振り返ってみると,飲食店で見たテレビの内容を妙に記憶している事が多い。普段見ない分,逆に物珍しいからであろうか。

いつか晴れが確約された日に再訪したい。

 

 

下半期に続く。

 

 

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