梟の島 -叙情的叙景詩-

-叙情的叙景詩-

【梟の迹2022】下半期を振り返る。

 

2022年の振り返り。上半期に続き,下半期も「迹」を纏めてゆこう。

 

 


 

■7月上旬:EF66 27について

言わずと知れた古参機関車EF66 27,通称「ニーナ」が奇跡的な復活を遂げ,関東に来た。ちょうど仕事後に上手くタイミングが合ったので,恐らくは最後の機会と悟り,その雄姿を見に行った。同業者数名の居るホームにて,力走を肌で感じ,見送った。

これまでも鉄道趣味には一つ一つピリオドを打ってきたが,さらに新たな点が加わってしまった。鉄道趣味において「昭和から続く日常の情景」を求めていた自分にとって,もはや撮影対象として成立するものはもう殆ど存在しなくなってしまった。一巡目の記憶のある,己の「内側」の範囲において,もうそれを見る事は出来ない。或いは「それらしいもの」を見る事は出来たとしても,実際のところそれを求める渇望のようなものはすっかり枯れてしまった。2014年3月,あけぼの号の定期運行終了をもって,本当の夢は潰えたのである。

つくづく己の非日常は,この潰えた夢を求めて彷徨う代償行動のように思えるのであった。

 


 

■7月上旬:逗子・横須賀

3人でのオフ会という初の企画。相変わらず企図するのが下手なので,お誘いを頂いてばかりである…。少しは人を誘えるようになれないものか。

探訪先は,解体工事着工が迫ったヨゼフ病院のある横須賀へ。逗子,田浦,そして汐入と巡り,夜は若松マーケットで打ち上げ。行動も着眼点も三者三様で興味深かった。

一人では訪れない景色を沢山見る事ができた。汐入の階段集落は地理院地図なしでは歩けないが非常に興味深かった。「気軽」の範疇を少しばかり越えた難しい距離感ではあるが,またふと思い立った日に訪れてみたい。季節も天候も制約なく自在に楽しめそうだ。

 


 

■7月中旬:赤羽

前週の若松マーケットにて連絡を頂き,四人会が実現。

普段の非日常の孤独,没入,寂寥とは異なる夕刻の魅力を感じた。一番街の暑い屋外席,二軒目のおでん屋はいずれも記憶に残る。終電後まで路上で飲み,最後は二人で夜通し歩いたのも思い出深い。佳い日だった。もう暫くは若く在りたいと思った。

あの夕刻に存在した自分が話し言葉の使い手だったからなのか(特にカメラを振り回している時間帯に関して。思い返せば夕餉の最中にじわじわと書き言葉の自分にシフトしたようである),ファインダーを覗く感性と書き言葉の自分とが5ヶ月の時を経て振り返ると,記憶を少し失いかけているような,自分に似た別人の写真を見ているような,そんな不思議な感覚にもなった。

 


 

■7月下旬~8月上旬:大牟田・荒尾,甘木,久留米,八女,黒木,長崎

火・水の長崎出張のために,土曜の夜のサンライズで出発。5泊4日という派手な行程を組めたことは,心身とも元気だったことの証左でもあろう。

初日の大牟田・荒尾では,三池炭鉱関連施設とアーケードと街並みで,嗜好の満腹中枢が壊れそうだった。曇天だったが酷く日に焼けた。大牟田,甘木,久留米,八女では念願の木造アーケードを巡ることができ,呪縛から解放されたような心持ちだった。

黒木の夏の夕刻は,今年一番の鮮やかさをもって記憶に刻まれた。黒木は夏の街。そんな風に断言してしまいたいほどである。盛夏の夕刻の理想といっても過言ではない,静かで艶やかな時間を過ごした。2日目のオフ会が行程と災禍に阻まれ実現できなかったのが残念,また必ずリベンジを果たしたい。

長崎は良く晴れた。夕方は同業者の足跡の無さそうな場所を巡り,地元の方の優しさに触れた。黄昏の空は桃色に燃え,あまりにも恵まれているように感じた。これだけ無償で貰ったものを次はどこに返せば良いのか…と考え,結局のところ灯台の光に変えるしか己には術が無いのだろうと思った。

往路は白いかもめ,帰路は黒いかもめ,いずれも惜別乗車であった。旅路の終わりに後ろ髪を引かれる感覚を味わったのは,一体いつ以来だっただろう。

次の長崎出張についてもそろそろ考え始めねば。ところで四国に縁が無く九州北部には縁が深いのは,どういった理由なのだろう。

 


 

■8月中旬:大阪

仕事前の30分,仕事後の1時間半で訪れたかった商店街を巡る。そしてフクロウとして初めて出張先で人と会う事ができた。ほんのりとした蒸し暑い空気が記憶に残る,素敵な黄昏時,佳い夜だった。

盆休みに重なったため往路のサンライズが確保できず,大阪駅で,当日キャンセルにより復路を確保できたのは,つくづく幸運であった。目当ての喫茶店もあいにく盆休みだったが,その場で決めた焼肉屋はとても美味かつ快適であった。ちょっとした夜の散策も記憶に残った。

この日も少し若返ったような気がしたが,それと同時に,昔とは明らかに異なる自分も感じた。欲が枯れ,強迫と恐怖,何より諦めの悪さが今日の原動力になってしまっているようである。この先どのように変容してゆくのか,今の自分には想像することもできない。

 


 

■8月下旬:下館

真岡出張の帰路,下館を散策。「西向きのあの子」に会いに行った。曇天が続いたが,夕方になり肝心の場面で晴れてくれた。西日に向かって歩きながら,もうこれでいい,夕方の美しさに触れていられればそれで充分なのだと,そう感じた。

実はもう少し見たい建物があったので,下館はもう一度訪れなければならない。勿論,時計店は何度でも見に行きたい。

 


 

■8月下旬:下越,酒田

2日間の出張にかこつけて,心の故郷に帰省。レンズを故障させた記憶と,30km歩いた充足,木造旅館3連泊の安息。

大好きな場所を大好きな時間に歩き,それでも心は満たされるどころか却って乱されてしまった。本当に行きたい場所は,何処にもないのだろう。時間軸を遡上できないことを改めて強く,そして優しく提示され,思い知らされてしまった。

それでも下越への愛だけは揺るがない。どんなに失望しても絶望しても,最後は笹川流れに帰れば良い。きっと宿命である。気付けばすぐに,この道に帰りたくなっている。

 


 

■9月上旬:富山

富山地鉄駅舎巡歴。2日間で合計32駅を巡るという狂気の沙汰である。久々の二人旅,そして自身最長の車移動の旅であった。大岩山の宿は大変に素晴らしく,寿司と富山ブラックは美味だったし,早月川で富山湾に沈む落陽を眺める事が出来たのは良かった。今回は海岸まで出て,波に鳴る石の不気味な音を聴いて不思議な気持ちになった。

5月の時点で計画していたので,すんなりと実行に移せたのが良かった。やはり計画は予め立てておくに限る。

 


 

■9月下旬:川崎町

川崎町の夕刻,釜房ダムを見ながら,現在と遠い過去が繋がったような感覚になり,妙に感傷的になった。あてのない黄昏時を水辺で過ごした記憶が確かに蘇って来たのだった。知識のない状態,焦燥の無い状態を上手く再現できると,かなり一巡目に近い状態で世界と対峙する事ができるのかもしれないと思った。

バス会社に電話して予約をしたり,一風変わったアイス屋さんに入ったり,宿で飲んだり。「オフ会」という言葉はもうとっくに似つかわしくなくなっていた。

 


 

■9月下旬:化女沼

化女沼レジャーランドの見学会に参加したのは5年半ぶりだった。5年半という歳月は想像よりも長いものであり,様々なものが変わり果てていた。ここでは正直なところ,「一巡目」には勝てないという失望感があった。それと同時に,夏がそこまで得意ではない事も改めて気付かされた。あの夕暮れの光を,あと10分だけでも撮影できていたら,きっと記憶は違った形で脳に収納されたことだろう。

夜は仙台の相互フォロワーさんにもお世話になり,2日間とも夕餉が楽しかったし美味だった。また会いたいと思える人との出会いは,人生にとってかけがえのない財産であると,当たり前の事を噛み締めた。

帰路の仙台駅では思いがけずE2系のリバイバル塗色に出会い,急激に時間旅行をしたような感覚に陥った。窓のディテール等の差は一目瞭然なのだが,それでもあれだけのマッスで白と緑のツートンカラーが鎮座していると,十分に錯覚できるものである。色の知覚が優位な自分ならではの感覚なのかもしれないが。

 


 

■10月中旬:稲城・多摩川

目的地を一つだけに絞り,夕暮れの河川敷をただ歩くという簡素な散策。この気軽さ・気楽さで満足を得られる身体になれれば,と思った。己を叱責するような激しい焦燥は,十年後には抱いていたくはないと思ってしまった。

しかしその自罰的ともいうべき焦燥・焦慮こそが己の自我の何割かを占めているような気がしていて,それを失うのが恐ろしくも感じてしまう。もしその呪縛から解放されたとして,その先に何が見えるのか。今は未だ推察する事すら出来ない。

つまり自分には中年としての自分の理想像がまるで存在していない事に気付いた。焦慮から解放され,夢を諦めて「成仏」していなければならないという,消去法的な強迫観念は確かに存在しているのだが,そうなることができたとして今の自分と未来の自分は連続な存在なのだろうか。このあたりは自分が年を重ねる毎に,幾つになっても子供のままで居て良いと己を赦すことができるようになるのだろうか。何かを欲し追求していないと生きている心地がしない性分ゆえ,諦めた後の事がまるで想像できないのであった。

 


 

■10月中旬:藪塚・太田・足利

何とまた,今度は出張で足利に縁があった。

仕事前には藪塚と太田を散策。どちらも時間が足りないので,再訪せねば。

そして生憎,仕事の時間が想定よりも伸びてしまい,単独行動ができる頃には日没が迫っていた。西の空を眺めながら渡良瀬橋を渡り(実は初めてであった),前回の散策から漏れた一帯を歩く。時間帯も相俟って,迷い込んだ路地は不思議な空気に包まれていた。前回入らなかった「かきた食堂」で食べたチャーハンは,恐らく未だ嘗て食べた中でも一番美味しかった。この為だけにまた足利に行きたいとすら思える程であった。

きっとこの街とは,また縁があるに相違ない。

 


 

■10月下旬:会津

喜多方出張。旅行支援の影響で喜多方の宿が確保できず,東山温泉の鄙びた旅館を出張1日目と2日目の間に手配。磐越西線沿線の旅館を狙うも手配に失敗し,傷心の最中に見つけた奇跡の1室であった。経費で出すにはあまりにも嬉しすぎる一泊であった。夕食は軽く2人前であった。

出張の翌日が土曜日だったので,会津若松~三島町を散策。若松では太陽に翻弄され,建物の写真を撮る難しさと煩わしさを感じた。柳津では小雨に見舞われたが,郷戸からは晴れ,4年ぶり(2014,2018に訪れているのでちょうど4年間隔である)の只見線沿線が懐かしかった。何より桧原と川井で地元の方と会話できたのは嬉しかった。日没が早くなり,17時の鐘が切なかった。

今回の下準備において会津熱がすっかり高まってしまったため,2週間後に奇行に走る事となる。

 


 

■11月上旬:下仁田

青倉~下仁田を歩き,下仁田の中心街も歩く。1日をフルに使い切ったが,それでも日没の早いこの季節では時間が足りなかった。日中は地元の方のガレージに招いていただき,小一時間も話をした。饅頭やら林檎やらコーヒーやら緑茶やら,歓待をしていただいて有り難い限りであった。

とても好きな街。次は本宿や磐戸,車なら平原方面まで足を伸ばしてみたい。

 


 

■11月上旬:宇都宮

出張が午後からだったので,午前中は散策に充てる。この駅で降りるのは実に8年ぶりだった。歓楽街を丁寧に歩くと新たな発見もあり面白かった。色々な場所で鑑札を見付けた。当然ながら昼食を抜き,集合時刻5分前に間に合うように猛烈な早歩きで現場に向かったのだった。

 


 

■11月中旬:南会津

喜多方出張の際に火が点いてしまい,中2週間弱で南会津を再訪。那須塩原で車を借り,何と日帰りで昭和村,金山町の集落を巡った。

喰丸の集落の裏道にて,ふと足を止め,眩しさを我慢して目を見開く。その光と色と奥行感の真実を凝視したとき,写真の限界を感じた。ファインダーを覗く暇があったら,一秒でも長くこの真実を見るべきではないのかとすら思った。それでも強迫に駆られるようにして撮影したものを後から見返すと,案外悪くはないなと思えてしまうから,これからも体の動く限り,撮るという行為は手癖のように続けてしまうのかもしれない。

想像の何倍も劣悪な悪路であった尻吹峠に,只見線の撮影者と入れ替わるようにして着き,秋色の夕刻を味わった。日没後に玉梨温泉の共同浴場に入り,その足で帰京した。タヌキがトンネルの中で飛び出してきたので急ブレーキを踏み回避したっけ。

限界ともいうべき日帰りの旅で得られたものは,充足なのか何なのか。いずれにしても狂気の沙汰である。

 


 

■12月上旬:檜原村

11月下旬の郡山出張に前乗りし,中通りの街を幾つかを散策しようと計画していたのだが,天気が優れない為に取り止め。土曜日に栃木方面へ行こうと荷造りもし,5時15分のアラームで目覚めはしたのだが,心が萎えたので取り止め。後から振り返ると,近頃は悉皆的な街歩きや歓楽街の散策をあまり欲していないようで,その心の向きと頭が考えた行程が乖離していたために出発に失敗したようだ。その挙句の果てには,起床後すぐ酷い偏頭痛に襲われる始末であった。その翌日,「あまり何も無いところ」で運動不足を解消すべく,ふと思い立ち檜原村を歩くことにした。天邪鬼を拗らせたため数馬には行かず,笛吹(うずしき)から村役場を目指し,緩やかな下り道をひたすら歩いた。しかし寄り道をしすぎたため,日没コールドで完遂できなかった。

正直なところ「撮りたくない」と思いながら歩いているような捻じれた感覚を,近頃は心のどこかで抱いてしまっている。これは単に未編集分の蓄積が恐ろしいからなのか,それとも「成仏」したいと心が叫んでいるからなのか。いずれも真実ではあるだろうが,あまり良い兆候ではないように思う。それでもシャッターボタンを押させる力は,何処から湧いてくるものなのだろう。

 


 

■12月上旬:行川~安房小湊

1月のスペースで話題に上がっていた「おせんころがし」を主たる目的地とし,房総の海岸を歩いた。師走だというのに鶯は鳴き,紋白蝶が飛ぶ,あまりにも温暖な一日だった。浜行川,大沢,小湊,内浦。たったの1駅強だが場面転換がとても多く,いろいろな景色を見た。3つの漁港はそれぞれ個性があった。俯瞰というのは改めて良いものだと感じた(どこか鉄道撮影を懐かしんでいたのかもしれない)。藪漕ぎへの挑戦もいい思い出だ。

商店,井戸端会議,漁港の入口,鯛せんべい工場と駐車場にて,お会いした方々はみな我々を心から歓待してくださり,心が温まり救われる思いがした。内浦は不思議のある街で,帰京後にも色々と調べ物が捗った。

 


 

■12月中旬:大森

ちょうど5年前の同じ日に居た事もあり,晴れていれば川崎か横浜の工場夕景・夜景を見たかったのだが,生憎の曇天。立会川の商店街を歩いた後,大森の地獄谷こと山王小路飲食店街を黄昏時に訪れる。日没が早く,暗いのに飲食店がまだ営業を始めない,不思議な時間だった。ルアンでも良い席に通して貰えた。しかしまあ,何とあっという間の6時間であったか。確かに安寧に包まれた一日だった。

 


 

■12月下旬:下館

またもや出張があり,またもや散策してきた。夏とは異なり,時計店の南面が夕陽を受け金色に輝いていた。前回積み残したあたりを歩くと,素敵な景色が沢山あった。

冬の空気は終日澄み渡っており,朝の東北本線の車中,小山の手前までずっと白い富士山が見えていた。帰路,小山駅に戻る道中,橙色の空にはふたたび富士山の翳が黒々と兀立していた。

 


 

■12月下旬:松戸・流山

予てからお会いしたかった方にお誘い頂き,大晦日に初顔合わせが実現。思い返せば2年前,Twitterの方向性で完全に迷走し,投稿を放擲しかけていた頃,この方のツイートのスタイルに触発され,今日まで続ける事が出来たといっても過言ではない。

松戸は想像以上に見所が多く,純喫茶も大晦日ながら運良く営業中だった。二人とも下調べで持ち合わせている情報量・種類がとても良く似ていたのが特に面白かった。

15時前,流鉄に揺られ(表現としてではなく文字通り揺られたのだった)流山へ。素敵な駅舎を撮り,夕刻の街を歩き,最後は江戸川の対岸に沈む落陽を見送ると,いよいよ年の瀬を強く実感した。7時間半ほぼ対話し続け,最後は“固い握手”を交わし,一年の非日常にピリオドを打った。最寄り駅の改札にSuicaをタッチした時,ついに年越しが迫り来るのを感じた。

 


 

 

結局,このブログに関しては,3ヶ月遅延から回復できぬまま年を跨ぐ事となった。
1年を纏めるのに1年を要する訳だ…出歩けば出歩くほど苦しくなるが,その苦しさによって出歩かなくなるなんてことのないように気を付けたい。

遅延こそ続いたものの,それでも1年間で300記事を更新し,1万枚以上の写真をアップしてきた事は,少なからず自信・自尊心に繋がるものである。いつまでこの狂ったような行為を続けられるかは解らないが,続けられなくなった時に(少なくとも一定の期間は)未練を感じる事が無いよう,来年も暴れられるうちに暴れておきたいと思う。

 

最後に,一年間ご笑覧下さった読者の方に感謝申し上げます。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

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