現役,大場医院。 2022.03.20 栃木市
3月20日(日)。小山駅前,大平下駅付近を散策した後,栃木県栃木市へ。巴波川周辺に残る市内の近代建築を巡りつつ,街を散策している。
▼その1はこちらから。
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14時を回り,早春の太陽は少し西に傾いてきた。ここからは,西にファサードを向ける建物を巡ってゆこう。
大場医院,現役である。
今回の探訪のメインディッシュといっても過言ではない。
壮観だ。
この唯一無二の建築物が無指定で市内に残っている…この日常の尊さを,身に染みて感じる。
石と木を組み合わせた塀。
窓の並びが大変美しいが,構造壁が一切といっていいほど存在していないことに,どうしても恐怖を覚えてしまう職業病なのであった。
小割の窓も素敵だ。
奥は附属の住宅棟だろうか。瓦葺の近代和風建築。
統一感のある端正な意匠に惚れ惚れする。
門扉の上に三毛猫が居たが,たたっと向こう側に下りていってしまった。
側面の全貌。
屋根は鉄板葺か。
ヤツデの花。
この植物は,何とも近代の香りがする。この独特の葉形と色は,板壁やトタンと極めて相性が良い。
やはり和風建築の美しさは「線」,さらに狭めれば「縦線」にその真髄がある。窓や建具,欄干(さらに塀まで加わることもある)の洒脱で端正で軽快な印象は,数ある建築の中でも随一のものである。洋風建築の場合も,石造や煉瓦造の場合は目地があったり,様式によるのだが,やはり多くは当然ながら水平線が強調される。ゴシック建築は「高さの追求」がテーマの一つであり垂直線が強調されているし,それ以外の様式においても街並みや建物全体を単位にして見れば垂直線が美しさを構成していると言えるのだが,もう少しミクロな単位で捉えた時,やはり和風建築の垂直の細線というものは稀有なもののように思えるのだ。「縦の線と横の線,どちらが好きですか?」という問いは,そもそも線への執着がないと回答するのが難しいものかもしれないが,筆者は迷わず縦と答える。吹き抜けやアーケードへの憧れにも通ずる部分があるように思う。
完全に中毒状態に陥ったらしく,この十数メートルから動けなくなっていた。
スマホの超広角でぎりぎり一杯,何とか側面を一度にとらえた。
大変立派な建物で,しばらく呆然と見入ってしまった。ぜひ後世に残してほしい名建築だ。数々の近代建築を抱える栃木市で,個人的にはこの日一番の感動をおぼえた。
一本隣の道にしずかに建つのは,旧安田商店栃木支店(旧佐藤外科医院)だという。明治9年築,後年移築されたのだとか。
明るい橙色の瓦が印象的である。
木がかなり生い茂ってしまっていた。
板壁に錆。
さて,表通りに抜けよう。
安達呉服店店舗(1923,国登録)。
銅板葺のマンサード屋根,ドーマーにステンドグラス。
好古壱番館として現在も使用されている。
よく整備されている。
栃木県主食卸株式会社。扉の文字が消えており,今や名前を知る術はない。
本澤商店。「日星肥料」のピンクの看板が鮮やかだ。
11号線を南下すると,関根家住宅店舗(1922,国登録)が見えてくる。
左は五十畑荒物店店舗(国登録)。明治期の建物である。
「パーラートチギ」として営業中である。
切妻屋根を隠すパラペットの意匠が,建物に剛健な印象を与えている。
なかなか絵になる,良い並びだが,如何せん車通りが多い。
交差点を南に渡る。中央左が丸三家具店店舗(国登録),中央が毛塚紙店店舗(1908,国登録)。
店蔵が並ぶと,どこかセットのようである。
特にこの辺りは車通りが一瞬たりとも切れないので,撮影は困難を極めたが,一瞬の隙をついて,辛うじて何枚か撮ることができた。
こうして纏めてゆくと,栃木市は「登録有形文化財のまち」と謳ってもよいほどの,近代建築の宝庫である。登録でない市井の建物もこれだけ魅力的で,しかもそれらがかなり不作為的な匂いを残しつつ現存しているのだ。いやはや,北関東,恐るべし。
その7へ続く。
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