梟の島

-追想の為の記録-

ワニの死と桜の叙情的叙景詩,春と日常への想い。

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共演。 2020..03.25 西武新宿線 新井薬師前~沼袋

 


 

少し前まで,桜は好きではなかった。 

  

20日(金)に「100日後に死ぬワニ」が死んだ。それを受けて,クイズを兼ねて旧友のLINEグループに,昨年撮影した桜の写真を原作同様,「よくね?」の文言と共に11時10分に投稿したのだが,ノーヒントでこちらの意図に気付く者は無し。ヒントを出して「正解」に至ったのが,結局のところずっと親しくしてくれている2人だった。この結果もほぼ分かり切っていたが,誰がどのように反応するのかを改めて確認できたようで面白かった。このトークをきっかけに,24日(火)は急遽,この旧友2人を家に招いて飲んだ。

そして翌25日。あまりテンションの上がらない一日だったが,有休消化で家にいるヨメ氏に連れられて,15時半すぎに散歩へ出た。 

 

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もう,すっかり春だった。

 

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中野通りと西武新宿線の踏切に向かった。ここは定番スポットで,歩道橋は「なんちゃって鉄ヲタ」風の人で賑わっていた。下からの方が,自分の知覚の様式に相応しいアングルなので,先客3名の後ろに入り,2000系を待つ。ステンレスの列車ばかりで,副産物はほぼゼロだったが,いざ予告も無くファインダー内に黄色のボディが飛び込んでくると興奮し,緊張するものだ。

 

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緩やかな流し撮り,慣れないものは難しい。難しいものは面白い。こちらは後期型,所謂「新2000系」だった。

 

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一本撮れたので帰ろうかと思ったが,先客が一向に撤収しないので,スナップショットを撮りながら待っていると,2000系のトップナンバーがやって来た。

やはり旧2000系の「田」の字の窓がクラシカルで美しいと思う。戸袋窓もないので,側面の黄色の印象も強い。1977年登場,43歳。車両の寿命も近いし,この区間は高架化も噂されている。この景色も,もう何度も見られないのだろう。中野に越してきて2度目の春に,良い記録,良い記憶を得ることができた。

 

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再び散歩を続ける。新井薬師公園,ちょうど夕日が桜をやさしく照らしていた。

 

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ぱっ。

 

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子供たちの声の中。

逆光に透かす花弁は,ディテールが浮かび上がり,翳が見えるので素敵だ。

 

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少し前までは,桜は好きではなかった。

冬の透徹した空気が濁り,埃っぽくなる。人々が浮足立ち,非日常的に騒がしくなる。離別や変化が多く,心が追い付いてゆかない。鉄道趣味としては,ダイヤ改正があるたびに,どこかで思い出がまた遠くへと離れて行ってしまう。これに昨年からは花粉症も追加されてしまったが,それはさておきとして,そんな春という季節がそもそも苦手だった。

 

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春という景色に対して肯定的になれる記憶があまりにも無いことが,この苦手意識の1つの要因だったのではないかと思う。実際のところ,非日常をねじ込むには,3月下旬から4月上旬は忙しいことが多かった。

しかし昨年,3月末のいすみ鉄道の撮影に続き,4月上旬の2日間の山梨旅行で,桜をひたすら(個人的な感覚では25年分)見た。これが大きな転機になったようだ。撮影のリベンジをしたいだとか,もっとこういう絵が撮りたいだとか,そんな欲求に火が付き,苦手意識が少し薄れたように思う。

 

しかし最大の要因は,これではない。その季節特有の,不可逆的な「変化」に対する心の拒絶だった。

 

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今年はワニが死んだ。別にそこまで強く影響されている訳でもないのだが,100日目の桜には極めて強い叙情性が感じられた。もしかするとワニのように「大吉」を引いて,来年までに自分がこの世を去るかもしれないし,ネズミのように「凶」を引いて大切な人が居なくなるかもしれない。当たり前のようなメメント・モリと,それゆえに愛すべき日常。失われゆくものを仕事でもプライベートでも執拗に追い続けてきたので,そんな事は常日頃から考えているどころか,己の人生のテーゼだとも思うが,それに春の叙景詩が組み合わさるのが,自分には改めて新鮮だったようだ。

これまでの自分は,訣別の季節の訪れの前に「叙情的叙景詩」を求め,いざ春という変化の波が来ると,目を閉じ,心を塞ぎ,その余韻が鎮まるまで耐え忍ぶ。そんな生き方だった。しかし,その目を閉じている間の景色にも,それ以外の季節と同じような,日常の叙情的な物語があった。痛みと失望に怯え刺激を拒絶してきた心が,少しずつ恐怖心に慣れてきたので,薄くカーテンを開けてみると,外界は想像以上に美しかった。その美しさを構成する要素である「桜」も,自分が死ぬまでに多くてもあと5~60回くらいしか咲かないのだ。全てが一期一会であることに変わりはないのに,社会の非日常的なノイズに埋もれて,この季節の日常の情景の記憶とそれを想起するだけの記録が不足していたことに,ようやく気付かされたのだ。

 

(言語力と感性の両方を読み手に求めている。我ながら良い記事だ,なんて皮肉を書きたくなる感情は何処から来たのだろう。書いている途中で,全くオーディエンスが居なくなっている事に気付いたからだろうか。)

 

残念ながら青春時代は幕を閉じたが,時間のかけがえのなさはこの先も不変であると思いたいし,きっとそうであろう。周囲のノイズに加え,花曇りの多い季節に,叙情的叙景詩を求めるのは想像以上に難しい。それでも新たに初春の日常の記憶を作り続け,それらを大切に温め続ける。そんな次なるステップが待っているように感じた。

生憎のCovid-19で,今年はその試みももう出来そうにない。こういう形で一つまた一つと機会は失われてゆくものだから,だからこそ,感性に共鳴し,感情を震わせるものに一つでも多く出会おう,貪欲に生きようと思った。

 

一刻も早い事態の安定,収束を願いながら,今日(4月2日(木))も在宅勤務で一日を過ごした。

 

 

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