梟の島

-追想の為の記録-

多治見散策(3):多治見銀座商店街,鄙びたアーケードの美しさ。

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鄙びの美。 2021.10.09 多治見

 


10月9日(土)。前日は岐阜出張にかこつけて,繊維問屋街や柳ケ瀬の街並みをひたすら歩き回り,数百枚の写真を撮影した。夜は美濃太田駅の旅館に投宿。土曜日は「旅行」である。まずは早朝の太田町を軽く散策し,多治見に移動。駅南のながせ商店街,土岐川の南の昭和町御幸町,「たじみ広小路」を歩いてきた。

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広小路の北側を歩いており,もう少しで新町の銀座商店街にぶつかろうかという所である。商店街に入る直前の街並みから紹介してゆこう。

 

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その2で紹介したアパートの先の街並み。

 

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金網看板のある酒屋。ここも地酒「富興」を掲げている。裏道のような位置付けの筈だが,こちらに店の正面を向けている格好だ。

 

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塩。

 

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広小路などの表通りに比べて,時代が一段階遡ったような印象を受ける。

 

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洋服店

 

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突き当たりにアーケード商店街が見えて来ているのだが,そうと知らなければそのようには認識できない光景である。

 

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錆の美。

さて,突き当たりを右に折れて,アーケードの終点から折り返す形で銀座商店街を見てゆこう。

 

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こちらが北端の全容。

 

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道の反対側には「清酒 白雪」の文字。全くもって地酒ではない。

 

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褐色の道へ戻ろう。

 

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色を失った,懐旧の世界。

 

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シャッターに絵を描くという発想自体が旧時代的になりつつある。

 

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アーケード沿いとは思えない立派な家屋がある。

 

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常にぎんざは平仮名。

 

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ショーケース。

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ふたたび陽が差して来た。

 

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山春。

 

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一度振り返ってみる。

 

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右に見えているのが,記事の冒頭で紹介した道である。

 

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圧縮気味で,空気感を捉える。

 

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でもやはり,アーケードの定番構図は縦だ。これを撮らなければ始まらないし,終わらない。

 

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緑の陰に喫茶店の看板。

 

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朱色の装テンが印象的なアングル。

 

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モリタ。時間があれば寄ってみたかったのだが。

 

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アーケードは道を越え,広小路まで続いてゆく。

 

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ここまでのハイライト。隅切り部に入口を構えるモリタの角度が絶妙だ。

 

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安藤商店は,開店準備を進めていた。

 

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このあたりからが,銀座商店街の真骨頂ともいうべき一角。

 

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靴屋

 

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シャッターの青灰色,装テンの黄色,壁の橙色。鄙びのトリコロール。

 

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縦長の看板が並ぶ。

 

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渋い。実に渋い。

 

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この鄙びたアーケード,堪らない。暫しの間,うっとりとしてしまった。全蓋式商店街の魔力というものは何なのだろうか。

日暮里・初音小路を訪れた際にも思ったのだが,内と外が混在しているというのは非常に特異的なことで,魅力を説明する上で重要になるだろう。靴を履いて不特定多数の人が往来できる街という点において外部空間であり,それと同時に屋根が掛かっているので内部空間でもあるのだ。特に昭和期のアーケードを新しいものと比較すると,両脇の建物との一体性が高いように感じられるので,内部空間としての表情がより強く見て取れる。つまるところこれは,記号的に見れば細長い吹抜けの空間なのである。

そもそも吹抜けは幼少期から大好物なのだが,それは何故なのだろうか…。疑問がかなり根源的な感性の部分に近付いているため,明確に言語化された答えは今のところ導き出せていない。

 

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模型店は現役だった。

 

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化粧品店。

 

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似たような構図に見えるだろうが,それだけ筆者好みの空間という事である。

 

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昼なのに仄暗い。とても居心地が良い空間。

 

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21世紀に入り,地方都市においてもアーケード商店街の解体撤去が進んでいる。別府の竹瓦小路は登録有形文化財になっているが,全国に多数作られた戦後のアーケードたちは,文化財のように保護されることは無いだろう。劣化による危険性が増して解体されるか,費用を工面できずに残って「しまって」いるか。多くの場所において,厄介な物として扱われ始めているのが実情である。あと十年,二十年と時を経れば,価値が見直される日が来るのかもしれないが,それまでの間,どうかその存在,あるいはその根源的な魅力が失われないように祈るばかりである。

そのために自分がしてやれることなど恐らく無いのだろうが,こうして記録して,記憶して,発信することが,無力さへのせめてもの贖いなのかもしれない。

 

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最後に振り返り,広小路の南側から撮影。

決して長大な訳ではないが,とても筆者好みの素敵な商店街だった。

 

さて,既に満腹感をおぼえつつあるのだが,いよいよ多治見の「メインディッシュ」を頂くとしよう。

その4へ続く。

 

 

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