山塊と集落。 2023.01.21 名立
1月21日(土)。表題には「旧北陸本線沿線」を掲げ,様々な観点から昔日を偲びつつ,1泊2日で上越へ。直江津駅を発ち,谷浜,有間川を通り,鳥ヶ首岬の手前まで歩いて来た。
▼その1はこちらから。
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引き続き,久比岐自転車歩行者道,旧北陸本線の廃線跡をゆく。
十字。
ロックシェッド。
柱が細い。
それゆえに美しい。
鳥ヶ首トンネル。
延長された形跡だろうか。
相変わらず急峻な斜面が迫る。
海は明るくなっている。
石張りの土留。これは相当,古いものだろう。
波濤。
荒海は,視覚のみならず,聴覚と触覚にその轟音を記憶させる。
この目の前の名立食堂に入る事も一瞬だけ検討したが,時間が無いのでやめておいた。
鳥ヶ首岬灯台を見上げる。壮大な,美しい景観である。
ただし,人が住むという事と,この土地の歴史を考えると,見え方は一変する。
名立小泊の集落に入る。
この一帯は,1751年,「名立崩れ」の起きた場所である。宝暦高田地震に誘発され,幅1kmに渡り台地が地すべりを起こし,集落に激甚な被害を与えた。小泊村にあった91軒のうち,わずか3軒を残し集落の全域が海に押し流され,400人以上の命が奪われるという,想像を絶する大災害であった。
一世紀をかけて復興し,そこから半世紀で北陸本線が開通。その更に半世紀後に北陸本線は現行の新線に移行した。そこから更に60年。遠い話のようにも思えるが,その歴史は今もなお,山塊という,目に見える物理的な形で,小さな集落が背負っているのである。
町を歩く。基本的に家屋の外壁材は更新されており,鄙びた印象は受けない。
冬の山は物も言わず,常にこちらを見下ろしている。
下見板も散見された。
そして,慰霊碑の前にやって来た。
無縁塚に深く,深く,哀悼の意を捧げた。
土地の抱く悲愴に,完全に打ちひしがれたような気がした。
現代の町には,その悲愴感のようなものが漂っているようには感じられない。
神社と寺。やはりその奥には,山がある。
今を見ながら,昔を思う。歩きながら,そして歩いた直後に考えた事は,もう既に別記事に纏めてあるので,ここでは割愛させていただこう。
その8に続く。
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